あなたの心は今、閉ざしていますか?開いていますか?
……そんなこと言われても自分ではよくわかんないですよね。
自分の心が閉ざしてるのか開いてるのかなんて自分ではなかなかわからないものです。
仮に閉ざしてたとしても、それを自覚できるようになるのはだいぶ後になってから。
しかも「ん?ちょっとまてよ?…なんか、よく考えたらあのとき心閉ざしてたなぁ…」ぐらいの感じで、わりと真剣に考えて自分から歩み寄っていかないとそういうのってなかなかみえてこないみたいです。
心を閉ざしたままだと、相手の懐に入ることができないので、いろんなところで損をしてしまいます。
仕事、恋愛、結婚、いろんなところににつながります。
じゃあ、どんなふうに心は閉ざされていくのか?
どうしたらその閉ざされた心を解き放つことができるのか?
そんなお話をしたいと思います。
心を閉ざすってどういうこと?

心を閉ざしてる状態っていうのは、カンタンにいうと「何も信じられなくなった」状態のことです。なんでもかんでも疑いの目を持ってしまいます。
9割9分が人間関係です。
僕の場合は、誰も何も信じられなくなってました。
唯一心をよせていたのは、イヌとかネコとかカマキリとかカメとか、言葉を話さない動物たちばっかりです。

それ以外は友達はおろか、家族すらも信じられなくなっていました。
この度合いはたぶん人それぞれで、「家族は信じれるけどそれ以外はNO!」っていう、わりと軽い感じの人もいると思います。
中には人間はおろか、動物すらも疑ってしまうほどの重症な人もいるかと思います。
それに比べたら僕なんかは全然マシなほうだったんですが、それでも家族すら信じれないっていう精神状態はなかなかひどいもんだなと、今振り返ると身の毛がよだちます。
そして何よりもこわいのが、それをまったく自覚できてなかったっていうこと。
なんで自覚できないのか?
どうして心を閉ざしてることを自覚できないのか?
それは少しずつゆっくり閉ざしていくからです。
音も立てずにスーーーっと閉まっていく扉みたいな感じです。
いつ閉まったん?です。
そんでもって、心を閉ざしていくきっかけがすごく些細なことだったりするからです。
なんか大きな出来事があって、それをきっかけに心を閉ざしてしまうんだったらたぶん自分でも認識はできると思うのですが、大抵の場合そうじゃなくて、些細なことの積み重ねで心が閉ざされていくので自分ではなかなか気づくことができないんです。

僕の場合は、何回か転校をくり返したことが原因です。
転校すると強制的に人間関係をリセットされてしまって、すでにできてる人の輪の中に自分から切り込んでいかないとダメなんです。
このときの心の状態っていうのは、そもそも幼くて未熟で、その上で自分一人だけが新しい環境に放り込まれてる、っていう状態で、例えると、防具、マスクはおろか、パンツ一丁で硬式野球の試合でキャッチャーをさせられてる、みたいな感じです。
無防備で、傷つきやすくて、めちゃくちゃ不安な状態です。

そんな心の状態で新しい環境に放り込まれて自ら切り込んでいかなきゃいけないので、普通なら大したことないちょっとした軋轢とか摩擦でも、心に傷ができてしまいます。
ちょっとした軋轢とか摩擦っていうのは、たとえば約束を破られるだとか、みんなでしゃべってるときに自分がいないころの話をされてちょっと疎外感を感じるだとか、そんな感じのホントに些細なことです。
それでも傷ついちゃうぐらい心が柔らかくてフニャフニャでヤワな状態なんです。

で、厄介なことに心の傷ってなかなか治ってくれないんです。
だから心には無数の小さな傷がたくさんあります。
その傷自体はちゃんと自分で認識できてるんです。
で、その傷を悟られたくなくて必死で、その都度その都度「ばんそうこう」を貼って傷を覆い隠すんです。でも、傷がたくさんありすぎて「ばんそうこう」だらけになって中身が全然みえなくなります。
この状態が「心が閉ざされた」状態です。
傷を悟られないように必死でしてたその行為が実は、自分で自分の心を閉ざしてしまってる、なんて思いもしませんよね。
こんな感じで人の心は少しずつ閉じていくのです。
心を閉ざす人の特徴

じゃあどんな人が心を閉ざしてしまうのか?
こんな人は心を閉ざしやすい傾向にあるので要注意です。↓↓
◾️繊細すぎる心と回転の速い頭の持ち主
人の仕草とかちょっとした目線とかで「何を考えてるか」とかがわかっちゃう人は繊細で頭の回転が速いので、相手が隠そうとしてる「あなたへの敵意」を瞬時に察することができるので傷つきやすいです。要注意です。
◾️果てしなく優しい心の持ち主
「そんなとこまで考えちゃう!?」っていうぐらい、相手のことを思いやれる、果てしなく優しい心を持っている人は要注意です。
その優しさは相手にとっては重荷になってしまって、逆に傷つけてしまうことがあります。
そんな相手をみて「やってしまった…」とあなたも傷つきます。
◾️優柔不断
繊細で頭の回転が速い上に、果てしなく優しい心を持ち合わせていると、いろんなパターンを瞬時にたくさん考えれてしまうんです。
それが結果的に「優柔不断」になっちゃうんです。
◾️意外と根性アリ
繊細で果てしなく優しいからついつい相手を思いやりすぎてしまってガマンしちゃうんです。
◾️不器用で寂しがりやさん
これらのことがいろいろ重なって自分の考えてること、気持ちを相手にうまく伝えることができません。…ていうかすべてが伝わるハズがありません。
「どうせ、伝わらないんだろうな…」とか、ついつい余計なことを考えてしまってすべてを伝えきれずに終わってしまうこともしばしば。
でもホントは仲間に入って一緒にワイワイしたい。でも心の底からそれができないのならガマンしたほうがマシだ。
そんな「不器用で寂しがりやさん」です。
僕自身、↑のすべてが当てはまってしまっています。
心を閉ざしかけてたとき、たぶん誰かに助けてほしくてSOSは出してたと思います。
その反面、また裏切られるのが怖いから誰にも知られたくないという思いもありました。
これ以上傷を増やしたくないっていう思いもありました。
心配かけたくないっていう思いもありました。でも心配してほしい気持ちもどこかにはありました。ハッキリ言ってどうしたらいいかわからないんです。
だからSOSを出してもすごく中途半端になってしまって、結果誰にも伝わらず、何もできずそのままズルズルいってしまいました。
閉ざされた心を解き放つには
閉ざされた心を解き放つには、とにかく自分自身にたくさん問いかけて、自分自身が心を閉ざしてる、っていうことを受け入れることが大切です。
僕自身、自覚がまったくないときに、「この人、心を閉ざしてしまってるなぁ…」って思える人に出会って、それがきっかけで自分自身のことを鑑みるようになりました。
「人の振り見て我が振り直せ」でした。
自分が心を閉ざしてしまっている、っていう事実を真正面から受け入れることはそれなりに苦しいことではあります。そんな自分を認めたくないので。
でもそれを受け入れることができたら、そこから心が開けていくのはわりと早いです。
僕がそれをスッと受け入れれたのは手塚治虫氏の「ブッダ」を読んだのが大きく影響してると思います。
「ブッダ」は仏教の開祖、シッダルタの一生を描いた作品で、生きるとはなんだ?をむちゃくちゃ考えさせられます。
月並みですが、人はひとりで生きていくことなんてできない、っていうのをバン!と突き付けられた感じがして、自分がいかに甘いことを考えてるのかを思い知らされました。
もし今これを読んで心あたりがある場合はぜひ「ブッダ」を全巻読破してみてください。
心が開けていきます。
ありがとうございます。
Dさん初めまして、加藤 アイタロウです。3回も、読んで感想が自分だけでない、私はこれが辛かったことだ❗と附に落ちています。
そしてやはり、自分と同じくらい繊細な心の持ち主に先週4年ぶりに会い自分も、心を閉ざす癖から抜け出せそうです。心から感謝しております。✨