わりと波乱万丈な人生です

 

闇の学生時代

 

どうもこんにちは。水墨画を描いたり、音楽を作ったり、整体師をしたりしている「D」と申します。

こんな繊細な絵を描いていますが、高校生のときは停学3回もくらって次は退学やぞ、とまで言われてしまうような「悪ガキ」でした。タバコ吸ったり、バイクをノーヘルで乗り回したり、髪の毛染めたり先生とケンカしたり。そんな学生時代を過ごしておりました。

もともとはすごく繊細で、捕まえた昆虫相手にしゃべりかけたり、昆虫の気持ちを考えたりするような心の優しい少年だったのですが、度重なる転校によってその心は徐々に閉じていきました。親が相当厳しかったのもあって、ストレスがたまってたのかなぁと思います。それが一気に爆発したのが高校1年生の終わりごろのお話。

それからタバコは吸うわ、髪の毛染めるわ、バイクノーヘルで乗り回すわ、親と仲悪くなるわ、朝帰りして父ちゃんにボコボコにされるわ。

完全に「悪ガキ」になってしまいました。そんな生活でしたが意外と学校はマジメに行ってて、そんなにサボった記憶はありません。なのでテストとか赤点取って補習したりとかは全然なかった、成績優秀な「悪ガキ」でした。いちばんタチ悪いやつです。

せっかくそれまで頑張っていたバスケ部も行かなくなってしまいました。でも今だから言えますが、荒れるのには必ず原因があって、かなりのエネルギーが必要です。ホントは誰かに助けてほしかったです。なので荒れてる人がいたらぜひ優しく手を差し伸べてあげてください。

そんな心が閉じたままの状態で高校を卒業します。そのとき担任の先生がすごく頑張ってくれて南方の料理屋さんに就職することができたのですが、社長の言動があまりにも理不尽で気に入らなくて入社式で辞めてしまいました。先生ごめんなさい。

 

高1の終わりにドラムを始めて腕はプロ並みに

 

 

荒れに荒れてた高校時代ですが、唯一の救いだったのがドラムと出会えたことです。

小さいころから「何かのプロになりたいなぁ」とボンヤリ思っていた僕はバスケのプロになりたかったのです。

高校1年の終わりごろ、人数もそんなに多くなく、ほかの部員たちにそこまでやる気を感じられなかったバスケ部に嫌気がさしてきていました。同時にこんな状態じゃプロなんか程遠いなぁと感じていました。そもそもその当時はまだ日本にプロバスケはなかったのもあってこのままバスケ続けるのもなぁ…と思っていました。

そんな矢先に友達から「バンド組もうぜ」という誘いがありました。なんだかモヤモヤしていた僕に宝箱を開けるようなワクワクする気持ちが生まれました。それからすぐにドラムに打ち込むようになり、バスケ部には行かなくなりました。

バンドなら日本にもプロがいる!という超単純な理由です。一生懸命練習したら腕はめちゃくちゃ上がりました。いろんな人から一緒にバンドやろう、と声をかけられるぐらいまで上達しました。

学校も私生活も荒れていましたが、そこだけは純粋に夢中になれました。

おかげでそこまで腐らずにすんだのかなと思います。そんでもって仲間を集めてバンド組んで地元でそこそこ人気者になりました。インディーズデビューして全国流通したり、ワンマンライブやったりと、順調に活動していきます。仲が悪くなってしまっていた両親、迷惑かけた担任の先生もライブに来てくれたりCD買ってくれたり、すごく応援してくれていました。「頑張ってる姿が何よりも嬉しいよ」って言ってくれたのにはすごく救われました。

音楽が楽しくてしかたなくて、のめり込んでいきました。ドラムの腕もおかげでプロ並になりました。そのうちお見せできたらなと思います。

 

早すぎた結婚と離婚。そして何もかも失う

 

バンド活動は順調にいってはいましたが、思わぬ落とし穴がそこにはありました。

ボーカルが女の子でその子とはバンドを結成する前から付き合っていたんです。ほかのメンバーも納得してくれての活動だったのですが、ボーカルの子は精神的にちょっと弱いところがあって、僕なんかよりもはるかに荒れておりました。「おれ、全然マシやん…」と思うほどに。

それをみた僕は「心のよりどころができたら精神的に落ち着くだろう」と思って結婚しました。21歳のときでした。

結果的に結婚しても精神状態は落ち着くことはなく、荒れたままでした。(なんてこったい)

それでもなんとかバンドはメジャーデビューとかの話がチラつくぐらいまでは頑張ってました。レコード会社とかイベンターとか、業界関係者も関わるようになってきて、メジャーデビューに向けて一大イベント「全国ツアー」をやろう!ってなった矢先、バンドはあれよあれよという間に解散することになります。

理由はメンバー間の関係の悪化です。

その発端になったのが僕とボーカルの離婚です。詳細は「Dの部屋」で詳しく語っているので気になる人は登録してみてください。

上手くいってたかにみえたバンド活動でしたが、実はガタガタでした。離婚して解散してってなった瞬間にまわりの人間の手のひら返しが起きて、大バッシングを浴びました。なぜか関係のない先輩にボコボコにされるわ、これまた関係のない人間20人ぐらいの前で土下座させられるわ、音楽仲間と連絡取れなくなるわで、なんかもう一気にいろんなものを失いました。このときばっかりはさすがに「死にたい」と本気で思うほど、どん底に落ち込みました。

さらなる試練

 

メジャーデビューとかを意識し出すともう音楽=仕事になります。仕事となると、自分たちがいいと思ってる曲でもアレンジとかが全然違う方向に持っていかれることもあったりします。売り出さないといけないので「売れる」ための音楽をやらないといけない。そこの感覚のズレが生じてしまって、何がいいのか悪いのか分からなくなっていました。

でもそれって至極当たり前の話なので、それを乗り越えなきゃプロとはいえないのです。とはいえ、途中で解散しちゃったもんですから夢半ばで終わっちゃいましたが。

バンドは解散したものの、音楽は大好きだったのでひとりで作曲していろんな会社に送ったりして音楽活動は続けていました。

ところがどっこい。感覚のズレは戻っていませんでした。なので何がいいのかが分からなくなってしまって、完全に迷走していました。音楽家にとっていちばん大事な「ワクワクするような感覚」を感じられなくなっていたのです。

「これはイカン…」ってなりました。それでも諦めずにしばらく続けていましたが、やっぱり一度失った感覚はなかなか戻らなくてどうしようか悩んでいました。

そんな最中、目に異変を感じて、すぐに眼科に行きました。診断結果は・・・

「網膜剥離」

すぐに手術をしないと失明してしまうほどの大事件でした。マジか・・・

 

でも、タイミング的にはもう絶妙だなと思いました。音楽作っても上手くいかず、この先人生どうしようか…なんて考えていたときだったので。

手術は無事に成功し、1週間の入院生活に突入しました。

その入院中、あまりにもヒマすぎて、メモ用紙とボールペンが机の上にあるのを発見しました。そういえば小さいころ絵を描くのが大好きだったなぁと思い出しました。わりと上手かったのでまわりの友達に絵を描いてと頼まれたりしていました。でもある事件で心が折れてしまい、それ以来絵を描くことはなくなりました。

そんなことを思い出して絵を描いてみることにしました。絵を描くのなんてかれこれ15年ぶりぐらいのことで、さすがにもう全然描けないだろうなと思っていました。

すると思いのほか上手く描けたのです。自分でもビックリするぐらい。クソ単純な脳みその持ち主の僕は「音楽じゃなくて絵のほうがいんじゃね?」と思い始めます。

でも音楽も絵も同じ芸術。今絵を描き始めてもまたおかしくなるんじゃないか…という不安がよぎりました。そこで僕は「それならいっそいったんまったく違う道を歩いてみよう」と決意しました。

それが「整骨院の先生になる」でした。僕はドラムをやっていたときに「筋肉がこうなってるからこんなふうに動かせば疲れない」みたいなことを研究するのが好きだったのです。

それと、一度だけ腰が痛くて整骨院に行ったらそこの先生がすごく丁寧に腰が痛くなる原因を教えてくれて、「こんな仕事もあるんだ」という好印象がありました。なので3年間睡眠2時間生活をして無事に国家資格を取って整骨院の先生になりました。そして1年後には院長になりました。

 

水墨画家Dの誕生

 

およそ3年間。音楽も絵も我慢していた僕の感覚はすっかり戻ってリフレッシュできました。

ようやく絵を描き始めることができます。それからというもの、水墨画を始めて1年で国内、海外で入賞し、絵の依頼をいただくほどに成長しました。

そしてインターネットをフルに使って絵を効果的にいろんな人に見てもらうことができる方法も発見しました。

いろいろ辛いこともありましたが、全部がつながって今はわりと充実した人生になってきており、今後はもっといろんな人に水墨画を知ってもらったり、物語を作ったり音楽活動も再開したり、クリエイティブなことにドンドン挑戦していきたいと考えています。今こうして出会ったあなたも僕に共感してくださったなら、ぜひご一報ください。

 

 

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