わりと波乱万丈な人生です

 

こんにちは。こんばんは。おはようございます。

 

水墨画家【D】の波乱万丈人生を振り返る場所でございます。

 

人生何が起こるかわからないもので。

 

まずいちばん自分の人生で驚いていることは、水墨画を描いていることです。

 

まさか自分が水墨画を描いてるなんて人生、想像もしてなくて、そんなこと絶対ありえないんだろーなーと思っていました。

 

水墨画なんてすごく古くさいイメージがあって、若い人がやるよりも、どちらかというとじいちゃんばあちゃんが老後の楽しみでやってるって印象でした。

全力で謝らせていただきます。

ゴメンなさい。

 

でもすごい歴史があって国宝にもなってたりするし、正直「何なん?水墨画ってなんか凄そうやのになんでこんなマイナーなん?」っていう、頭がこんがらがってたイメージです。

 

そんなこんなで完全に自分とは無縁なものだと思ってたのに。

 

今ではそんな水墨画を夢中になって描いてるし。

水墨画のことを発信したり、教えたり、売ったりして収入を得ている。

そして僕が幼い頃から夢に見てた景色が少しずつ近づいてきている。

 

いやー。

 

人生ホントに何が起こるかわかりません。

心を閉ざした10代

 

生まれたのは兵庫県宝塚市。

…の下町の方。小林(おばやし)という駅から徒歩15分ぐらいのところの住宅街に住んでいました。

 

幼少期の僕は虫ばっかり追いかけてるような少年で、友達と遊ぶというよりかはひとりで草むらとかに行ってカマキリを捕まえて虫カゴに入れて持って帰ってバッタとかを食べてる様子を観察してニヤニヤしていました。

カマキリに話しかけたりしていて、繊細な心を持ってたんだなーと思います。

そんな僕のことを親は心配になってたみたい。

 

家にいる時は漫画を読むことと絵を描くことに没頭していました。

特にドラえもんとドラゴンボールは僕の人生を大きく変えた作品です。

このふたつはひたすら模写していました。

僕の絵の基礎はこの頃に培われたものです。

 

そんなこんなで、ひとりでなんかやってる方が楽しくて、友達に「あそぼう」って誘われてもテキトーに理由つけて断る始末。

 

唯一、そんな僕があそびに誘っていたのがひとつ年上のKくん。

 

彼は家が10秒でたどり着ける場所にあった幼なじみで、僕が物心ついた時からずーっとふたりで行動を共にして、彼から虫のとり方とか、魚のとり方とか、あそぶ場所とか、ホントにいろんなことを教わりました。

 

僕はKくんが大好きだったし、Kくんもすごく僕のことを可愛がってくれていました。

 

Kくんが小学校に入ってからは、あそぶ回数も少しずつ減っていって、他の子とあそんだりもしたのですが、感覚が全然違ってて、僕がワクワクするようなことはみんなワクワクしてくれなかったのです。物足りなさを感じて、僕はひとりであそんだ方が楽しいや、ってなったみたいです。

 

なので、決して孤独が好きなわけではなく、どっちかというとみんなでワイワイやりたいタイプです。

 

そんな中、僕はひとつの想いを抱くようになります。

 

「デッカイ人間になりたい」と。

 

デッカイっていうのはすごく漠然としかしてなくて具体的にどうこうしたいとかはこの時はまったくないのですが、どうやら、テレビでガッツリみてた「志村けん」に憧れを抱いたようです。

テレビとか全然興味なかった僕が、唯一しがみついてみてたのが「志村けん」。

特に土曜日の夜8時からやってた「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」は一家総出でみておりました。それの前の番組「クイズダービー」から。

芸人としてというよりかは、どっちかというと生き様みたいなのに憧れたみたい。

大人なのにすごく生き生きしてて、カッコイイ!って思ったのではないかと。

とはいえ。自分がお笑いをやるなんて考えられなかった(自分を面白いと思えなかった)ので、幼いなりに考えたことは、「プロ野球選手になる」でした。

当時テレビでやってるスポーツといえば野球ぐらいで、憧れた選手は阪神の掛布雅之氏。おかげさまで現在もガッツリ虎党です。

 

僕は親に言いました。

「野球やりたい」と。

 

が。

 

それは両親の「土日つぶれるからダメ」のひと言であえなく撃沈いたしました。

かなり食い下がって後日改めて何回も言ってみたりしたのですが、彼らの意見が変わることはありませんでした。

 

それならと。

他にやることもないので。

 

虫ばっかり追いかけてた、というわけです。

 

僕の夢はいったいどうなるのやら、、、?

 

そんな僕に人生初の試練が訪れました。

 

小学校2年生の時、母ちゃんが応募してた団地が当選したらしく、となりの伊丹市に引っ越すことに。

 

僕は小学校を転校することになりました。

 

引越しをする当日、親が学校に車で迎えにきてくれて、授業の途中でしたが、クラスのみんなでわざわざ校門のところまで見送りにきてくれたあの光景は今でもまぶたの奥に焼き付いています。

 

転校した先の小学校の担任の先生はすごく優しくて、転校生の僕が教室に入ろうとすると、先に先生が入っていって、クラスのみんなに「ちょっとみんな!転校生転校生!!」とすごく煽ってくださって、大盛り上がり。少しこっ恥ずかしかったですが、みんなすごく温かく迎えてくださいました。

かといって、べつに不安があったわけでもなんでもなく、何も考えずにここまでこれたのですが。

 

こうして、僕はすぐにみんなと打ち解けることができました。

そしてここ伊丹市でも相変わらず虫ばっかり追いかける日々を送っておりました。

とはいえ、友達とあそぶことも宝塚にいた頃よりは増えて、すごく仲良しの友達もできました。

 

そんなこんなで1年が過ぎようとしていた時、今度は父ちゃんが仕事の都合で茨城県のつくば市というところに転勤になったと。

 

僕はまた転校します。

 

この時僕は4年生になろうとしていましたが、前の転校の時と同じように、あまり深く考えていませんでした。

また転校生の僕を温かく迎えてくれるものなんだと、信じて疑いませんでした。

 

それは一瞬で崩れました。

 

コチラでは、伊丹市の小学校の時のように盛り上げてくれることもなく、ただ淡々と紹介されて、すごく入りにくかった。

カルチャーショックでした。

 

さらに、ここは関東なので言葉のイントネーションが全然違います。

関西弁の僕の言葉をすごくバカにして、変なやつ扱いされて、すごくショックを受けました。

 

このままでは僕はひとりになってしまう。

 

ただでさえ転校生で誰も味方がいない状況で、言葉も違う。すごくアウェーで、すごく寂しかったです。

僕の両親はすごく厳しかったので、学校に行きたくないなんて口が裂けても言えなくて、弱音を吐くことすら許されない。そんな状況で誰にも本音を言うことができず、生まれてはじめて孤独を感じた瞬間でした。

 

それまで平気で友達の誘いを断ったりしてひとりであそぶことの方が楽しかったのは、「断ってもべつにひとりじゃないから大丈夫」っていう、強力な後ろ盾があったからだったんですね。

温かい友達がいてくれたから自由に生きれてたんだと。

 

孤独を感じた僕は、とにかく友達を作ろうと、ひとりあそびをしなくなって、友達とあそぶことを優先しはじめました。

 

ところが。

 

運命というのは残酷なもので。

僕がそういうことを優先しようとした途端、プチイジメみたいなものが始まりました。

軽く仲間はずれにされたり、無視されたりちょっと陰湿なことをされ始めたのです。

 

そんなに目立ったものではなく、暴力とかもなく、期間も短かったので、最小限の傷ですみましたが、確実に僕のメンタルには何かしらの変化が起き始めていました。

 

今思えば、この頃から少しずつ僕の心は閉じていったんだと思います。

その象徴的な出来事がありまして。

小学校5年生の時です。

3つ年上の従兄弟の兄ちゃんがいたのですが、その兄ちゃんは空手をやっていたので、ケンカがめっぽー強かったのです。いわゆるヤンキーで暴走族で、髪の毛も金髪でちょっと怖い感じだったのですが、僕にとっては全然そんなことなく、すごく優しい兄ちゃんでした。僕はそんな兄ちゃんが大好きでした。

父ちゃんの実家の鳥取に正月に帰省してた時、兄ちゃんが「ちょっとついてきて」と言い、人気のない場所に連れていかれました。

何をするのかなーと呑気にワクワクしていたら、兄ちゃんがおもむろにタバコを取り出して吸い始めたのです。父ちゃんもタバコを吸っていたのでそのこと自体に何の驚きもないのですが、タバコは20歳になってからということぐらいは知っています。

「え?大丈夫なん!?」と不安になっていたらもう1本取り出して「お前も吸え」と。

 

ちょっと待ていっ。

 

小5にタバコをすすめるなっっ。笑

 

…と、思いつつも、ちょっと興味があった僕は人生初タバコを11歳ですませました。最初はゲホゲホゆーて超しんどかったですが、3本目あたりから慣れてきて普通に吸えてました。

 

3日間ぐらい鳥取に一緒にいたのですが、その間兄ちゃんと一緒になってタバコを吸っていました。でも、さすがに1人で吸う勇気はなく、つくばに帰ってからは吸っておりません。

不良に憧れる=ちょっと心に闇を抱えていたんだろうなーと思える出来事でした。

 

なんとかつくば市の生活にも慣れてきて、友達も少しずつできてきました。

 

そんな中、相変わらず絵もときどき描いておりまして。漫画を描きたい、と思うようになった僕は、漫画家になろう!と考えて、毎週読んでた「週刊少年ジャンプ」に漫画を描いて投稿を試みます。

 

結果は箸にも棒にもかからず、撃沈。。。

 

 

いや、そらそうよ。冷静に考えたら。

絵も下手くそだし。ストーリーも全然だし。

そんな甘いもんじゃねぇよ。

 

しかし、この撃沈で心が折れた僕は、しばらく絵を描くことから離れます。

なんとガラスのハートなのでしょう。

 

それと同時期にバスケットボールを始めた僕は、まわりのみんなを巻き込んで休み時間とかにバスケをするようになっていました。

その小学校にはミニバスのチームがあったのですが、女子しか入れず、僕ともうひとりの友達とで、「試合に出れなくてもいいから。練習だけでもいいから」と、無理やりチームに入れてもらいました。それほどバスケに夢中になっていて、中学校に入ったらバスケ部に入ることをすごく楽しみにしていました。

そうやって3年が過ぎた頃、小学校卒業間近の僕のところにまた赤紙が届きます。

 

父ちゃんの転勤ふたたび。

 

今度は大阪に行くんだって。

 

この時の転校がいちばんキツかったのを今でも鮮明に覚えています。

中でもキツかったのは、僕だけ違う中学校に行くのに、なぜか僕もみんなと同じ中学校の入学説明会に参加したこと。

他のみんなは「部活何入るー?」みたいな会話をしてワクワクして楽しそうなのに、僕の心の中は超どんでん模様。

あれはメンタルをえぐられましたよ。ホントに。

 

小学校の卒業式が終わると、その足ですぐに大阪に向かいました。道中、すごく気が重くて、何回「行きたくなーーい」と心で叫んだことでしょう。

 

そして大阪にたどり着き、中学校に入るための入学手続きをすませると、何やらクラス分けのためのテストがあるんだとか。

 

僕の通った中学校は3つの小学校から生徒が集まってたので、クラス数がすごく多かったのです。

 

テスト当日は小学校ごとに教室が分かれていて、僕は転校生だけが集まる教室に、僕と同じような中学からの転校生が20人ほど集められていました。

 

それから入学までの数日間、僕は原因不明の喘息みたいな発作に襲われて呼吸困難におちいっていました。

特に夜になるとひどくて、寝ることもままならず。

よっぽど精神的に追い込まれていたのだと思います。

そんな危うい精神状態でしたが、当然、親にそんなことは言えるはずもなく、友達もいない。

 

つくば市の時に感じた孤独感とはまた全然違う、かなりレベルアップした孤独を感じていました。

 

ギリギリの精神状態に追い込まれていた僕は、すでに心を閉ざしてしまっていて、友達みたいな存在ができても、心の底から笑うことができなくなっていました。

 

そんな中、唯一心の支えになってくれたのがバスケットボールでした。

 

それがなかったとしたら、かなり危なかったなーと思います。

 

それでもバスケだけは頑張ろう!と心に決めていたので、なんとか学校にも毎日通っていました。

 

ちょっと慣れてきて半年ほど経った頃、またもや僕を事件が襲います。

ヒザが痛くて走ったり跳んだりできなくなりました。

成長痛みたいなやつで、普通に生活するのには差し支えないものの、バスケのような激しいのになると激痛が走って動けません。

 

せっかく今までがんばってきたのに。。。

 

そこから僕は半年ほど何もすることができず、部活もほぼ見学で、すごく悔しい思いをしました。

 

さらに追い討ちをかけるように、またプチイジメが僕を襲います。

今度はジャイアン的なヤツが現れて、僕を何かと目の敵にしてパシらされたり、軽く暴力もあったりと、程度は軽いといえど、イジメにあっていました。しかも同じバスケ部のヤツだったから余計にタチが悪い。

小4の頃に負った傷がさらにえぐられて、心の扉はさらに閉じていきます。

 

それでもなんとか踏ん張って、2年生になった頃にはイジメもおさまり、ヒザも復活。がんばって必死に練習して、3年になる頃には、レギュラーを獲得していました。

 

そんなに強いチームではなかったですが、ハンデを背負いつつもレギュラーになれたのは、僕の中ではすごく財産になっています。

 

そんなこんなでバスケがあったのでなんとか中学3年間マジメに通うことができましたが、この3年間の記憶がほぼありません。

 

もうこの頃には、メンタル的にはかなりやられていて、中学を卒業する頃には完全に心の扉は閉じきってしまいました。

 

心は閉ざしたものの、幼い頃にみた夢の景色はまだ頭の中ではブワーッと広がっていて、それが唯一の生きるための希望でした。

 

続き⇒非行に走った高校時代

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