わりと波乱万丈な人生です⑤悪魔のささやき

母方のじいちゃんが天に召されました。

それも合格発表当日の朝方に。

そもそもガンの末期で、「いつ何が起きてもおかしくない」と言われている状態だったのですが、それにしてもこのタイミング…。

 

合格発表の当日の未明、病院から容態が急変した、と電話がかかってきて父と母は急いで病院に駆けつけました。

 

ただならぬ空気を敏感に感じ取った僕は父と母が出ていく時に目を覚ましました。

たぶん夜中の2時とか3時ぐらいだったかと思います。

 

その時点でもうじいちゃんが亡くなるんだな、っていうことは理解しました。

 

おそらく父と母が帰ってくるのは朝になってから。しかもいろいろバタバタするだろう、と判断した僕は、そのまま起きて妹たちの朝ごはんを用意することにしました。

幸いなことにちっちゃい頃から母の手伝いをしていて、特に料理が好きでよくやっていたので、小6の時にはすでにクリームシチューを小麦粉とバターから全部ひとりで作れるぐらいの腕前にはなっていました。

そんなヤツなので朝メシを作るのなんか文字通り朝メシ前です。#上手いこと言った

 

たぶん作ったのは目玉焼きとサラダと味噌汁とごはん。

今考えると中3でこれをできることがすごいことだな、と自分を褒めてあげたい。

この時僕はすでに心を閉ざしていて、父と母には心の壁ができていました。

なので、別にそこまでしなくても…という葛藤もありました。

 

でもさすがにこの状況だとそんなことも言ってられないし、何より妹たちがかわいそうだと思っての行動です。

 

案の定、朝7時ぐらいに帰ってきた父と母。

朝ごはんが用意されてることに面食らって、深い「ありがとう」を母が言ってくれました。

なんか生まれて初めて本気で褒められた気がする。

 

喜びもつかの間。

 

バタバタ用意をしてまたすぐに出ていきました。

母はそのままお通夜の準備。

父は僕の合格発表の付き添い。

 

合格発表の1週間前。

お見舞いに行った時、もうすでにほとんど喋れなくなっていたじいちゃんが「まだ早いけど」と言って僕に合格祝いをくれました。

 

もう自分の命が合格発表までもたないことを自分で悟っていたのです。

合格かどうかはおれはもう分からないけど、どっちにしても頑張って生きるんやで、おめでとう、と。

 

僕自身も、もうそういうことをじゅうぶん理解できる年齢です。

 

もうじいちゃんいなくなっちゃうんだ…っていうことが嫌でも分かってしまいます。

普通ならお祝いをもらって、何買おう?とかいろいろ考えたりして嬉しいハズなのですが、さすがにこの状況でそんなことは1ミリも考えれなかった。

 

今までのじいちゃんの元気な姿とか笑って話しかけてくれてすごく優しかったこととか、じいちゃんとのいろんな思い出が頭の中を駆け巡って、胸が痛かった。

 

受験の結果は見事に合格。

この合格はじいちゃんからの贈り物です。

でも。

ホントは合格発表の後に「おめでとう」って言って渡したかっただろうなー、とか考えるとまた胸が痛い。

心を失くしてしまった僕でも、それぐらい考える余裕が少しは残っていたようです。

 

合格発表の後には入学説明会みたいなものがありまして、僕はほとんど寝ていないので、その席で爆睡かましてたので、何を言っていたのかまったく知りません。笑

 

そしてその足でそのままお通夜へ。

もうその後のことはほとんど記憶にありません。

受験に合格したことはよかったけど、それと引き換えみたいにじいちゃんが亡くなってしまった。

そんな複雑な心境でバタバターっとあっという間に時が流れていきました。

 

僕が入った高校は中学の姉妹校みたいな感じで、その中学からすごく近所にあって、生徒も多くの人がその中学出身。

 

知ってる人が多くいて、中学の時とは違って、ずいぶん気が楽な入学です。

これまで新しい環境に飛び込む時は不安材料しかなかったですが、今回はそれがまったくない。

かといって安心して身を委ねられるかというとそうでもない。

 

もう大阪にきて3年も経つのに。

 

これまでは3年もその地に住んでいれば何かしら少しは安心できる環境ではあったのですが、それが一切ない。伊丹の時なんかたった1年足らず…。

 

それまではまだ人としての心がかろうじて残ってたから、人の温もりを感じれてた部分はあります。

 

でも。もうこの時点では感情が欠落してしまっているので、人の温もりなんか感じる余地がないという、いちばん危険な精神状態になってしまっています。

 

こんな状態で果たして高校生活はうまいことやっていけるのでしょうか。

 

とりあえず入学式やらクラス発表やら諸々の行事ごとは何事もなくスムーズに終わり、バスケ部にもスーッと入れました。この時は中3の時に同じクラスで仲良かったTくんと一緒に仮入部に行ったので、何にも問題なしっ。

 

ひとりじゃないってすごく心強いなー…としみじみ。

 

そんなこんなで鼻息を荒くしてバスケ部に入ると、そんなに強いチームではなかったものの、1年生ですぐにレギュラーになりました。

試合に出ないことにはその先の道なんか何も生まれないので、とりあえず自分の中で第一関門はクリアしました。

センパイのひとりが早朝、新聞配達のバイトをしていて、Dもやってみるか?と言われ、面白そうだからやってみることにしました。

 

僕が行ってたところは、朝5時ぐらいに起きて5時10分ぐらいに店に着いて、新聞一部一部にチラシを入れる作業から始まります。そこから100件ぐらい朝刊を配ったら仕事終わり。

時間でいうとだいたい1時間ちょい。

月に5万円ぐらいは稼げました。

これだけ聞くとすごく楽な仕事に思えますが、それを毎日休みなく、雨が降ろうが雪が降ろうが台風が来ようが関係なくやらないといけないので、まぁまぁハードです。笑

春とか秋とかは心地いい気温なのでそんなに問題はないのですが、冬は寒いし夏は暑いし。笑

冬の雨の日なんか最悪です。

しかも公休は月に一度、朝刊が休みの時のみ。

 

でも、そこから家帰って朝ごはん食べてそのまま朝練に行けるし、なんなら朝刊配りで準備運動ができてるから練習にも入りやすかった。

夕方はバイトがなくて部活に専念できるので、そういう意味では僕にとっては最高のバイトでした。

 

そしてバスケ部に入るのとほぼ同時にマネージャーとつき合い始めて、人生でふたり目の彼女ができました。

この時も奥手感全開でしたが、手を繋いだりアレやコレやできたので大進歩です。笑

 

よくよく考えるとバスケ部のレギュラーで、マネージャーの彼女がいて、しかも多少お金も持ってる、というなかなかハイスペックな高校1年生でした。笑

 

今までの人生を考えるとかなり順調な滑り出しの高校生活です。

 

このまま頑張ればバスケの道が何かしら見えてくるかもしれない。

そんな期待で胸を踊らせていました。

 

とはいえ。

表面的にはイイ感じにみえてはいますが、根本的なところは何も変わっておらず、ガラスのハートであることには違いがありません。

なので、ふとしたことがキッカケで一気にガタガタっと崩れ去る危険をはらんでいます。

 

案の定、そんな踊る胸とは対照的に、他の部員の皆さまはちょっとしらけムード。

僕ひとりだけ空回りしてるような感じになってしまっていました。

チームがこんな状態だととてもじゃないけど勝ち進むなんてことはできません。

 

じゃあ自分が引っ張ってチームを鼓舞させればよかったのですが、当時のボロ雑巾のようなメンタルの僕では彼らを引っ張っていくことはできず、むしろ僕の方がそのしらけムードに引っ張られてしまい、少しずつバスケに対しての情熱が薄れていってしまいました。

 

なんとも情けない話…。

 

そして冬になる頃にはその気持ちの糸があと少しのところで切れそうなほど張り詰めていました。

っていうのも、チーム状況がやる気がないのに加えて、付き合ってたマネージャーにフラれてしまったのも大きく関係しています。

むしろほぼそっちじゃねーかと。笑

 

原因は僕がキチンと気持ちを伝えていなかったこと。

感情を表に出す術をこの時の僕は知らなかったのです。

彼女からするとホントに好きなのかどうなのかがわからない。そんな不安でいっぱいの状態で、他に好きな人が出来たんだと。

 

その夜は枕を濡らしました。

寝具を濡らしたのは小学校3年生のおねしょ以来、およそ6年ぶりです。

 

そしてこの頃から僕の波乱万丈人生のエンジンが少しずつギアを上げていきます…。

 

そうやって高校生活も1年が過ぎようとしてた頃、僕に悪魔の囁きが。

続く⇒わりと波乱万丈な人生です⑥ついに・・・