バガボンドに学ぶ人生哲学:人間の成長とはなんなのか

誰もが知る剣豪・宮本武蔵。

彼の生き様を描いた吉川英治の小説「宮本武蔵」を原作に井上雄彦氏が連載を開始した渾身の作品「バガボンド」。

これを読むと人生観が変わります。

前作の「スラムダンク」は主人公・桜木花道がバスケットボールを通じて成長していくどちらかというと「陽」の雰囲気の青春漫画でした。

それとは正反対に人間の暗部を掘り下げた「バガボンド」は完全に「陰」の雰囲気です。生きることの意味、人間のエゴ、殺し合いの螺旋、自らの内に潜む「闇」と「光」を行き来しながら成長していく宮本武蔵を描いた作品です。

連載した雑誌が「週刊少年ジャンプ」じゃなくて「週刊モーニング」ってのもなんか興味深いですね。過激な表現が多いからかな。

「バガボンド」の連載が始まったのは1998年。そこから作品を読むまでに僕は10年の時間がかかりました。

前作のスラムダンクはリアルタイムでジャンプで読んでいたのに。宮本武蔵といえば剣豪、という事実は僕でも知っていました。

日本の歴史をそんなに知らない僕でも知っているほど、超有名な実在する歴史上の人物です。

だからこそなんか変に先入観みたいなものがあって敬遠してしまってました。

もっと早くに読んでいればもうちょっといろんな気づきを早くに知れていたのかもしれないなーと思う反面、逆にそれぐらい後になってから読んだからこそわかる部分も多々あったのかもしれないと思う気持ちもありました。

それほどにこの作品はいつ、どのタイミングで読んでも深く考えさせられるような奥の深い作品であることは間違いありません。

そんな「バガボンド」を読んでみようと思ったキッカケはたまたま「NHKのプロフェッショナル〜仕事の流儀〜」で井上雄彦スペシャルをやっていたのを見て、です。

思っていたほどの時代劇感はなく、むしろ今っぽい感じでスーッと入ってきて心地よかった。

すぐさま古本屋に行って3冊ほど買って帰りました。すぐに読み終えてしまい、その日のうちにまた3冊ほど買いました。

読み出したら絶望的に面白くて僕は後悔しました。なんでこんな漫画を今まで読まずにいたのかと。

ここからネタバレ全開なので注意が必要です。

ひとりでも認めてくれる人がいればいい

 

武蔵は最初新免武蔵(しんめんたけぞう)と名乗っていました。そこからまず驚きでした。たけぞうは、母の愛情を知らず、父に命を狙われ、鬼の子とよばれて村人からも忌み嫌われて「おれは何故生まれてきた?」と、生きる意味を見出せずにいました。まだ幼い少年なのに。そんなひどい仕打ちをする、はみ出し者を忌み嫌う「村八分」の文化が当時はすこぶる盛んだった時代なので、これはもうどうしようもないかもしれません。

そんな中、沢庵坊という坊主に自分の存在を認めてもらい、剣の道に生きる志を立てました。そのときに名前を「宮本村のたけぞう」ということで宮本武蔵と名乗ることになりました。

「あーーー!だから『宮本武蔵』なんやー!!」と、ものすごく納得して興奮してしまいました。

ここでなるほどと思ったのは、この世にひとりでも自分のことを認めてくれる人がいるのなら、絶望せずに生きる希望が湧いてくるものなんだなぁと感じました。僕自身も過去に人に絶望して生きることの意味がわからなくなった時期があるので、ただただ泣きそうになりました。そのときに自分の存在を認めてくれたのは家族でした。

序盤であれだけ自らを否定して沢庵に「殺せ」とけしかけていた武蔵が、いろいろな人と出会い、その度に少しずつ成長していくのはいろんな人の人生に共通してるなぁと思います。

 

真の強さとはなにか

 

京都の吉岡道場で死にかけた武蔵は三日三晩彼岸をさまよいますが、なんとか復活します。そしてその後、沢庵と再会し武者修行の旅に出た武蔵は奈良の宝蔵院で胤栄というおじいちゃんに出会います。表面だけの強さしか持っておらず、ブサイクな殺気を放っていると言われた武蔵は胤栄の弟子、胤舜に敗れ、自分が強いと思いたかっただけだったということに気づきます。

武蔵の中の「強い武蔵」はただの虚像に過ぎなかったのです。胤舜との戦いで「死」の恐怖を覚え、その場から逃げようとした武蔵は「死」の覚悟すらできていなかったのだと。

かつて、自ら命を奪った野武士と同じように自分も胤舜から逃げ回ってしまったのです。自分はなんてちっぽけな人間なんだと気づきます。

そしてここから武蔵は人間的に少しずつ成長していきます。己の弱さを受け入れ、前を向いた瞬間です。

人間はしょせんちっぽけでそれを受け入れた瞬間から強くなれる、強くあろうとする。そんな作者のメッセージを読み取れる名シーンです。

 

虚栄は虚栄しか生まない

 

武蔵とは対照的な存在として描かれた又八。又八はその場の欲望に走り、盗み、詐欺、嘘で自分を固めていきます。

嘘で固めた自分の真ん中には何もない。空っぽだった。そんな又八は幼なじみであるはずの武蔵とまともに向き合うことができずに、さらなる嘘で自分やまわりを偽るしかなかったという。

そんな自分の弱さを誰よりも知っていたのも自分自身であり、最終的には母のお杉オババの今際のときに自身の弱さを認める発言をしました。

嘘をついてその場を凌ぐのは楽です。だけど、自分についた嘘はやがて自分に返ってきます。そんな又八は人間らしさを前面に押し出したなぜか憎めない魅力的なキャラとして描かれています。

こんなふうになりたくなかったらちゃんと自分と向き合って正直に生きたほうがいいよ、っていう感じです。

苦しいことや辛いこともそのぶん多い。だけど、乗り越えたときの達成感や喜びは、嘘で固めてしまった人間には絶対に味わえない。

まだまだ書きたいことが山ほどありますが日が暮れてしまうのでこのへんで失礼いたします。

 

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