荒みまくってた高校時代

繰り返す転校やらイジメやらで、10歳ぐらいからの5年間で完全に心をの扉が閉じてしまった僕は、ずいぶん生気を失っていました。いや。たぶんその当時はそんな自覚はまったくなく、普通に一生懸命生きてるつもりでした。

 

でも後から考えたら全然生きてる感じがなかったので、そういうことなんだろなと。

バスケ部引退したから余計に、ですな。

 

そして迎えた中3の秋。普通なら高校受験なのですが、高校も正直行くかどうか悩んでいました。

 

バスケットは野球とは違ってプロリーグが当時はなかったし、高校なんか行くよりとっとと社会に出た方がいいんじゃないか?って思っていたのです。

 

そんな時、例の従兄弟のヤンキー兄ちゃんがこんなことを言いました。

 

「D、高校だけは行っとけ」

 

兄ちゃんはヤンキーで高校には行ってなかったので、いろいろと思うところがあったのだと思います。

僕は兄ちゃんが好きなので、この言葉を素直に受け止めて、とりあえず高校は行くことにしました。

 

そしてどうせ行くのならバスケットボールをして活躍してやろうと。

そんな野望が心の中で燃え出しました。

 

無事に受験にも受かり、高校生活が始まりました。

僕が入った高校は中学の姉妹校みたいなところで、その中学からすごく近所にあって、生徒も多くの人がその中学出身。

 

知ってる人が多くいて、中学入学の時とは違って、ずいぶん気が楽な入学だなーと思いました。

 

そしてバスケ部に入ると中学同様、そんなに強いチームではなかったものの、すぐにレギュラーになりました。

このまま頑張ればバスケの道が見えてくるかもしれない。

ところが、そんな熱い思いとは対照的に、他の部員たちはちょっとしらけムード。

当時の僕の弱い心ではそいつらを引っ張っていくことはできず、なんなら僕の方がそのムードに引っ張られてしまいました。

そうやって1年が過ぎようとしてた頃、僕に悪魔の誘いが。

 

クラスでいつも行動を共にしてた友達から「バンドやろうぜ」と。

 

バスケ部に面白みを感じなくなっていた僕にとって、その言葉は希望の光にしかみえていませんでした。

バスケットにはプロがない。

でもバンドにはプロがある!

 

そして、あれよあれよという間にすぐにバンドを始める準備にとりかかり、バスケ部に顔を出さなくなっていきました。

 

ここから僕は少しずつ道を踏み外していきます。。。

 

バンドを始めた時、僕はドラムを担当することになりました。

それは全然いいのですが、軽音楽部なるものに身を預けることにもなり、そこの部員のヤツらがですね、ちょっとヤンキーといいますか、そういった部類の人たちで。

タバコ吸うわ髪の毛染めてるわで、一般的には不良という烙印を押されてしまう人たちでした。

 

そして僕自身も従兄弟の兄ちゃんがバリバリで、軽く憧れみたいなものは持っていたので、すぐに順応していきました。

 

同じように髪の毛を染めて、タバコを吸うようになりました。

 

もーーーこの時はすごい目をしてたんだと思います。

 

心がどんどん荒んでいってました。

それでもなんとかドラムがあったから頑張れたようなもんで。

学校はサボらずに行ってて、成績もそんなに悪くなかったし。

 

すごく中途半端なことをしてました。

 

そんな中途半端な心が、アホなことをしでかしてしまうもので。

 

学校でもかまわずにタバコを吸っていた僕は、定期テストの時間にポケットからタバコを落としてしまうというアホなことをしてしまいます。

しかもそれを先生の机の目の前の席でやるというアホっぷり。

 

その瞬間に生徒指導室に連れていかれ、即日停学になりました。

 

今回は初めてということで、3日間の停学ですみました。停学といっても、毎日朝8時に学校にきて、夕方5時までひたすら課題みたいなことを一日中やってから帰ります。その間誰とも接触することは許されません。

自業自得ですが地獄です。

 

そんな中、ドラムの腕は順調に上手くなっていきまして。

人生初ライブではライブハウスがパンパンになるほどお客さんが入ってくれて大盛り上がり。こんな快感は初めてで、それでプロを目指そう、という気が起こるにはじゅうぶんすぎるほど気持ちのイイ夜でした。

 

僕がずっと腐らずにいれたのは小さい頃からのそういう想いがあったからだと思います。

もしそれがなかったとしたら、僕はとっくにこの世にいなかったかもしれません。

 

そんなドラムとは裏腹に私生活はどんどん荒れていき、またもやタバコで停学に。

 

さすがに朝学校行く途中に自転車こぎながらタバコ吸ってたらバレるよねー。

同じように自転車で学校に向かってる担任の先生に見つかって即確保。

 

今度の停学は1週間ですってよ。

 

アホすぎる。

 

無事に停学を終えても、タバコをやめることはなく、性懲りもなく学校でも吸っていました。

誰かこのアホを助けてください。

 

非行少年まっしぐらです。

もーいろいろ爆発しちゃったんでしょうね。

 

中学の時のこととか。

小学校の時のこととか。

まともに話ができる友達もできず、親にもそんなこと言えず。そればっかりか、門限とかかなり厳しくて夕方6時には帰らなければいけない、という厳しさ。その上で心も閉じてしまって、いろんなものが溜まってたんだと思います。

 

そのエネルギーをもっといい方向に爆発させればよかったんだけど、当時の僕にそんなこと考える余裕もなければ知識も情報も何も無い。

 

心が病みすぎて、自分を見失いすぎて、頭がおかしくなりそうでした。

いや、相当おかしくなってました。

 

そこに追い討ちをかけるような事件が起きました。

小さな個人経営の中華料理屋さんでバイトをしていたのですが、出前のお皿を回収しに行った時のこと。

いつも前の日の伝票を持ってお皿を回収しに回るのですが、伝票を1枚紛失してしまって、新しい白紙伝票の束の下の方のやつでごまかしたのです。そしたらその夜、営業終わってから いつも閉めないシャッターを閉めて不穏な空気に…。

どうやらごまかしたのがバレてしまったらしく、壁ドンのような体勢にもっていかれ、そこからのボディブロー、ローキックの応酬。

話を聞くと、何やら食い違っていて、お皿を盗んだだろう、と。

 

……はい……?

いや…伝票はごまかしたけどお皿なんか盗んでない…。

盗んだところで何のメリットが…。

 

もう向こうはブチギレ状態なので聞く耳持たず。

とりあえず盗んだ皿代として50万持ってこいと理不尽なことを言われ、泣く泣く持っていくことに。

母ちゃんもブチギレてましたが、ホントのことは言えておりません。

 

意味不明にボコられ、バイトも失い、親にはブチギレられ(それはキレる)、もうホントに病み具合がどん底まで落ちたんじゃないかってぐらい落ちてました。

落ちすぎて頭おかしくなって、変な行動に出ました。

 

夜中にひとりでふと思い立ち、生まれ育った場所、「宝塚」の家があった場所に行きました。

確か夜中2時とかだったような気がします。

 

原付バイクを1時間ぐらい飛ばして。

 

しかも制服のまんま。

この時の記憶は正直あまり残ってないのですが、 いまだにその場所は当時のまんま残っていて、10年ぶりぐらいに訪れた、自分が生まれた場所はずいぶん小さく思えました。

 

家の前の道路もすごく狭く感じて、ホントにこの場所で育ったのか?と疑いたくなるほどでした。

でも確かに住所は合ってるし(覚えてた)、間違いなく自分が生まれ育った場所です。

 

心を閉ざしてしまってから、いろんなものを真正面からみれなくなっていたのかもしれません。

 

この場所に到着して、生まれ育った家を見て、幼かった頃は何も考えず、無邪気に笑ってたこととか、虫ばっかり追いかけてたこととか、なんかホントにいろんなことを思い出して、僕はその場で号泣してしまいました。

 

本来の自分をココに置き去りにしてしまった気がして。そんな自分がすごく惨めに思えて。昔の自分に謝りたかったのかもしれない。

 

でもそれを理解できるようになるのはもう少し後のお話。

 

とりあえずこの日。

ほぼ無意識で宝塚にたどり着いたことは、僕の人生の中で超ファインプレーです。こんな真夜中に制服のまま号泣してたら警察の方が心配して声をかけてくれました。状況を説明したらなんか理解してくれて、「危ないから早く帰りや」と。そりゃそうだ。

 

この時生まれ故郷に赴いたことで、僕の心は少しだけ癒されました。

それ以来、僕はこの地を何度か訪れることになりますが、それもまたもう少し後のお話。

 

少しだけ癒されたとはいえ、根本的に病んでることには変わりないので、それからもまだまだ死んだ目をしていました。

 

もう記憶としてはあまりないのですが、とりあえず、その後にもう1回停学くらいました。

 

3回目の停学は期限が定められておらず、いつ帰ってこれるかわかりません。

いわゆる「無期停学」というやつです。

 

この時は1ヶ月ぐらい他のみんなとは完全に別行動で、誰とも会わずに過ごしていました。

 

広い教室の中でひとりポツンと課題をやっているところに、いろんな先生がやってきて、ありがたい話をたくさんしてくれました。

ここまでのアホは学校始まって以来だと。

 

その中でバスケ部の顧問の先生も来てくれて、いろんな話をしてくれました。

僕的にはバスケ部は1年の終わりぐらいからまったく顔を出さなかったので、気まずくて仕方なかったのですが、そんなことは意にも介さず、ただただ僕のことを心配して励ましてくれていました。

もう、申し訳なさすぎて顔を上げれませんでした。

 

そしてさらに追い討ちをかける言葉を吐いてくれました。

 

『オマエには期待しとったんやけどなぁ……』

 

こんな言葉をかけられたら、なんてことをしてしまったんだろう、という後悔と、期待してくれてたんだ…っていう嬉しさと。

すごく複雑な気持ちになりましたが、この言葉を聞いた瞬間からその後の記憶がありません。

おそらく泣き崩れたか、恥ずかしすぎて記憶を削除したか…。

でも、この短いけどすごく重みのある言葉は今もハッキリと僕の心の中に残っていて、心の支えにさせてもらってます。

 

感謝しかありません。

 

そしてもうひとり。

僕の高校生活の中で忘れられないのが3年生の時の担任「M」先生。

女の先生で、オカンみたいな存在でした。

3回目の停学になった時、僕はかなり自暴自棄になり、物に当たるわ、人に当たるわ、相当荒れまくっていました。

もし過去を消せるとしたら、この部分だけは消し去りたいぐらい恥ずかしい。

 

その時、一生懸命僕をなだめて落ち着かせてくれたのがM先生。

停学中も何回も何回も僕のところに足を運んでくれてたくさん話してくれました。

そうしてるうちになんとか僕の心も落ち着いていって、M先生には少し心を開くようになりました。

バスケ部の顧問の先生もしかり、なんかひとりじゃないんだなぁと思えて、荒んでた心がほんの少しだけ浄化されました。

 

M先生は僕の進路のこともすごく親身になってお世話してくれて、高校を卒業してからも交流があったのはこのM先生だけ。

 

こんな話してたら会いたくなってきた。

 

続く⇒就職、音楽、結婚、離婚×2