世の中平等だというけど顔も名前も違うから平等もクソもない

僕は日本という国で生まれて育ってきた。

日本ではみんな肌の色や目の色はだいたい同じなので

人種差別こそないものの、身分差別というものが昔からあった。

 

その身分差別が形式上なくなったのはおよそ100年ちょっと前の話。

 

僕は特に歴史に詳しいわけでもないけど、

四民平等というスローガンとともに身分関係なく

結婚、職業、住居の自由が認められたのが明治時代初期のころ。

 

 

そう考えると今の時代というのはなんでもできて

住む場所も自由だし、特に不自由を感じるということはない。

 

ただ、平等意識が強すぎて制服を着ることを強制したり

みんな同じようなランドセルを背負ったり、

風紀が乱れるだのの理由で髪の毛をむりやり

黒髪にしたりというのはいかがなものか。

 

やりたいようにやればいいじゃないか。

 

それをあくまであたたかい目で見守るのが人生の先輩としての役目だ。

 

そういうことを強要するから個性というものが失われてしまうんじゃないか?

 

みんなそれぞれ生まれた場所も違えば育った環境も違う。

4月に生まれた人もいれば3月に生まれた人もいる。

およそ1年も差がある。

 

子どもの幼児期の1年というのは大人の100倍ぐらいの価値がある。

 

 

もっといえば人によって成長の度合いなんてのはさまざまで、

20代半ばから急速に成長する人もいる。

30代になってやっとこさ伸びてくる人もいる。

 

そんな中でいまだに学歴社会の風潮が

根強く残っているのはほんとに意味がわからない。

 

たかだか18やそこらでその人のなにがわかるというんだ?

 

世間で"一流といわれる大学"を出たやつがアホなことをして

テレビで取り上げられているのを見ると余計にそう思う。

 

これだったら中卒で社会にもまれてきたやつのほうが

よっぽど人間くさいし、思いやりも情も深い。

 

平等なんていうから枠の中におさめようという意識が

働いてその人のオリジナリティがつぶされてしまう。

 

 

結果、自分のやりたいことがなんなのかわからないまま、

まわりの意見に流されて自分でもよくわからない職業に就いて、

組織の中に入ってさらに輪をかけて自分を見失う。

 

 

人間には理性があるからなんとか持ちこたえることができる

人が多数だけど、一部の人は理性もクソもなくなってしまって

人を殺してみたり、悪に手を染める人もいる。

 

この世に生を受けた時点で平等なんかじゃない。

 

まず顔がみんな違うしね。

 

顔が違うのにそれぞれを区別するかのごとく名前を持っている。

みんなそれぞれ違うのならはじめからそういう前提でやればいい。

そうすればもっと面白いやつがいっぱい出てきて制御できなくなる。

そのほうが世の中もっと面白くなる。

親が教えないといけないのは「思いやり」だけ。

それさえあればあとはご自由にどうぞ。

そんな世の中になったらいいのにな。

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