世の中には偉そうに振る舞う人間が大勢いらっしゃいます。
上から目線でもの言ってきたり歩き方だったり、まるで自分がどこぞのお殿様であるかのような立ち居振る舞いをしてきます。
そんな態度で来られた側は完全に萎縮してしまうし、逆らおうものなら火に油を注いでしまうことになりそうでどうにもこうにも大人しく従う道を選ばざるをえません。偉そうな人はどうして「偉そうな」態度をとってしまうのか…。
そんなものはもはや昭和の遺物でしかなくて、見ていて恥ずかしいし、誰も幸せになれないし、人はドンドン離れていってしまいます。
彼らがそんなことになってしまったのは、彼ら自身の器が小さいからだ、とか思っていましたが、ホントにそれだけなのかな?と考えてみたところ、どうやらそれだけじゃなさそうです。
偉そうな人の特徴とその原因を深掘りしていきたいと思います。
偉そうな人の特徴
■上からものをいう
偉そうな態度をとる人はだいたい自分が人よりも優れていると思い込みたい人です。思い込みたいのがミソです。 実際は自分でそんなに大したことないってことを薄々わかっています。
でもそれを認めてしまうと自分の立場が危うくなったり、恥ずかしくなったりするので、ついついそれを守ろうとして「自分が優れているんだ! 」という態度をとってしまい、上からの物言いになってしまいます。
なので自分よりも身分とか地位が低い、逆らえないことがわかっている身のまわりの人に上からものを言うことで自分を慰めているだけのオナニー野郎です。
身のまわりの人っていうのは部下とかお店の店員さんとか家族とかです。
目上の人とかに対しては態度が一変してへりくだってゴマすりすりです。

もう見てて恥ずかしい限りなのですが、こういう人たちがそうなってしまった原因のひとつは、過去に偉そうにしてる人を見て「カッコいい!」って憧れてしまったパターン。大名行列みたいに人を引き連れて風を切って歩きたい!って思っちゃった馬鹿な殿様タイプ。

こんなバカはもはやどうしようもないので、なるべく距離を置いて深く関わらないようにするか、その人の下を去るのがいいと思います。一刻も早く逃げてください。
もうひとつは自分も親とか先輩とか上司とかに同じようにされた過去があって、それが当たり前だと思ってしまってるパターン。
自分がされたのだから同じようにやって当たり前、と思っていらっしゃいます。
中には自分はそんなふうに理不尽に上からものを言われたことで根性がついて成長することができた、と思っている「大きなお世話」タイプもいます。
ここで共通していることは、「相手の気持ちなど微塵も考えていない」です。
自分がそうされたから、人にやっていい道理なんかあるはずもなくて、むしろ自分がされてイヤな気持ちになったんだから人にはするなよ、って言いたいのですが、そんな彼らも実は被害者であることは間違いありません。
日本という国は大昔からそういう文化が根付いていて、お殿様のいうことは「絶対服従」で誰も逆らえませんでした。逆らえばその場で斬られてしまうようなひどい封建社会だったんです。
それに追い討ちをかけるように異端児ははじかれてしまう、っていう右に倣えの風潮がありました。
なのでそれが当たり前のものとして育ってきたんです。
最初はおかしい、と思っていたとしてもいつの間にか流されてまわりと同じようにしてしまっていた、というケースがほとんどです。
こういった深く根付いてしまった文化はちょっとやそっとではなかなか変えれるものではありません。
でもひとりひとりが「おれはそんなことは絶対にしない」という断固たる決意を持って生きていけば、いずれ「優しい世界」が当たり前になると思います。
それが出てきてるなぁと思うのが近年のパワハラ問題です。
ちょっと前までは当たり前だったことが今では「ちょっと待て、それはおかしい」という風潮になってきているので、少しずつではありますが、文化が変わってきているのは間違いありません。
■自信がないのに存在を認めさせたがる
偉そうに振る舞う人の特徴に「自分の存在を認めさせたがる」というのがあります。それ自体は別にどうってことないのですが問題はそのやりかたで、限りなく下品に「おれすげえだろ」を猛烈にアピールしてきます。そうしないと「すこいですねぇ〜!」って言ってもらえません。
言ってもらわないといても立ってもいられないぐらい自信がない、気の弱いチキン野郎です。
百歩譲って今現在進めていることを自慢げに言ってくるのはまだ許せますが、過去のことを武勇伝のように語る人はホントにタチが悪くて聞けたものではありません。
多くの場合、「すごいですねぇ〜(棒読み)」と言っておけばその場が丸くおさまります。
くれぐれも否定したり反対意見を言ったりしないでください。烈火の如く暴れ出します。

そうなってしまったのには原因があって、自分の信念とか理念に従っていないからです。
自分の中に一本筋が通った信念とか理念があればそれに向かってひたすら走り続けるのでまわりの評価とかはあんまり気になりません。
でも信念がないと、自分の中でそれが正しいかどうかの判断ができません。
だからまわりの人に認めさせて、自分を慰めるしかないのです。
信念がないのはその人の気の弱さうんぬんだけでは語れないような気がしています。
持ちたいけど持てなかった、まわりがそれを許してくれなかった。
というのもあったと思います。日本は異端児ははじかれてしまう文化でした。でも一方ではワビサビの思いやりあふれる文化でした。
なので自分がそういった信念を貫き通すことで自分の大切な人にまで迷惑がかかってしまう、と相手を思いやってそうせざるを得なかったのかもしれません。
■中途半端にプライドが高い
偉そうな人は中途半端にプライド高い人が多いです。 中途半端にというところがミソなのですが、本当の意味でプライドが高い人っていうのはものすごく腰が低くて謙虚な人が多いです。
それは自分に信念があって、絶対的な自信を持っているからまわりにどう思われようが気にならないからです。 そういう人はむしろ偉そうに振る舞うことを嫌って、すごく低姿勢で気配りもできる、優しい人です。
なのでプライドが高いという言葉よりも自分に誇りを持っていると いったほうがなんだかしっくりくる気がします。 意味は同じなんですけどね。まぁ、プライド高くても偉そうにする人はしますが…。
それに対して偉そうにする人というのは、 自分に対する自信をそこまで持ち合わせていないのでそのプライドもかなり中途半端なものになってしまいます。
自信があるようにみせてはいますが実はハリボテでしかありません。
これも右へ倣えの日本の文化がそうさせてしまったのだと思います。基本的に日本は「つまらないものですが…」とか言って自分を下げる、謙遜するのが当たり前だったので公の場で身内を褒めることはしてこなかったんですね。さらには褒めると調子に乗ってダメになってしまうから、といって褒めることをしなかった。
なのでウチのバカ息子が、とか愚息が、みたいなことを言うもんだからそういう環境で育った人は自信なんか持てるハズもなく、自分を見失うのは致しかたないことだと思います。
まとめ
以上偉そうな人の特徴というテーマでお送りしてまいりました。
偉そうにしてる人ってそうなりたくてなったんじゃなくて、環境がそうさせてしまってる、っていうのが僕の結論です。
歴史的にみても、何の能力もない人が血筋とか人脈とかだけで、高い地位を得たり、権力者になったりしています。
能力がないので地位とか権力を守るためには脅したり高圧的な態度をとるしかありません。
それをみて育った人が同じことを繰り返してしまって「偉そうな人」が出来上がってしまう。
でももうそれも終わりです。
偉そうにしたって誰もついてこないし、むしろ人は離れていくっていうことに気づいた人がドンドン増えていっています。
「優しい世界」がすぐそこまできています。
それでもイラつくちょっかいをだす。
それがウザいを越えているんですよ!
一刻も早く逃げてください。
謝罪強要とはええごみぶんだな。
あんた何様だ?