何やら2万円ぐらいのブランドものを購入したレシートを発見しました。
日付をみると同棲を始めてから1ヶ月ぐらい経った頃のもの。
……なぜ……??
こんなにギリギリの生活なのに、なぜそんな高いものを買う?
彼女はダンサー志望だったので、夜になるとミナミのクラブで踊ったりすることは知っていました。
なので多少なりとも身なりを整えるためにはそういうものも必要なことは理解していました。
でも。
せめてひと言相談してほしかった。
ギリギリの生活にはなるけどふたりで頑張っていこう!って言ってたのに。
何の相談もなくそんなもん買うか???
言えばいいやん。
言ってくれたらなんとかするやん。
ただでさえメンタルボロボロの状態なのにこの始末。
そこから僕は彼女に対して不信感しかなく、ふたりの仲はギクシャクしてしまって結局そこから1ヶ月も経たないうちにお別れすることになり、彼女が家を旅立たれました。
わずか3ヶ月の短い同棲生活でした。
めでたく(?)ひとり暮らしになったので、突然の自由が僕に襲いかかります。
高校時代までの縛られた生活のうっぷんを晴らすかのように、アホなことをたくさんしました。
夜中に麻雀をして音がうるさい!と大家さんに怒られたり。
変な葉っぱ吸ってお酒も飲んでないのに超ハイテンションになったり。
夜中にバイク盗もうとしてたら通報されて警察にお世話になったり。
サイフを拾ってキャッシュカード使おうとして防犯カメラから足がついてまた警察にお世話になったり。
食費がなかったからスーパーで万引きしてたら外国人に追いかけられたり。
人生でいちばんアホな時期でした。
18歳でひとり暮らしというのは、まわりの人たちからすると大変希少な存在で、僕の家はほぼたまり場になっていました。
常に誰かがいて、なんなら仕事から帰ってきたら誰かがいる、みたいな日が週に3〜4日ほど。
そのたくさん来てた悪友の中のひとり、「Y」はしょっちゅう家にきていました。
そんな生活が半年ぐらい続いていたある日。
そのYが、僕が高校時代によく出演してたライブハウスで働き始めた、と言うじゃありませんか。
Yはいろんなバンドと知り合いになってすごく楽しそう。うらやましくなって、僕もそのツテでライブハウスで働きたいと考えました。
そうすれば自分のバンドメンバー探しもできるし、いろんな繋がりができる。
そして何よりも、僕は高校の時に、そこの店長さんがバンドやりながら音響の仕事(PAといいます)をしていたのを知っていて、そのスタイルに憧れていました。
Yに相談してみたところ、店長さんに話を通してくれて、やる気あるなら1回電話しておいで、と言ってくれました。
僕は思い立ったら即行動タイプなので、その日のうちにそれまでの人生の中でいちばんドキドキしながら電話をしました。
何回も通話押して切って通話押して切って、を繰り返して発信履歴がその人の名前で全部埋まるほど。笑
どんだけー。
ようやく通話できたのはかけ始めてから10分ほど経ってから。笑
そして僕の熱い気持ちを声を震わせながら全力で伝えました。
そしたら「最初は給料は出ないけどそれでもいいなら明日から見習いとしておいで」と、快く受け入れてくれました。
こうして僕の音楽人生がスタートすることになりました。
ひゃっほう。
とりあえず給料が出ないので、工場の仕事が終わってからPAの見習いをしに行くという生活が始まりました。
毎日毎日休まず欠かさず行って、少しずつ仕事を覚えていきました。
僕はやる気が表に出ない、というかこの時も心は閉ざしていたので、表に出せなかったのだとは思いますが、そういういろんなものが災いして、やる気を感じてもらえず、「やる気あんの??」と、怒られることがしょっちゅうありました。
やる気あるから毎日きてるのに…。
そういう細かい人の気持ちもわからんような人が他人の音なんか調整できるんか?
…とかなんとか言ってやろうかと思いましたが、そんなことを言うと二度とくるなとか言われそうなので頭の中でグチグチ言いながらも必死で耐えていました。
そんなことよりも、とにかく一刻も早く仕事できるようになってやろう!と歯を食いしばってひたすら毎日通い続けました。
そしたらその姿勢が認められて、半年ぐらい経った頃、ようやくひとりでPAとしてお金をもらえるようになりました。
どうだっ。コノヤロウ。
その頃には「音響の人」そして「ドラムの人」としてライブハウスに訪れる人たちにある程度認知されていたので、有り難いことに「一緒にバンドをやろう」というお誘いがたくさんありました。
選びたい放題です。笑
そんな中で面白そうなHとCとNの3人と組むことにしました。
こうして僕はバンド活動を本格的に始めることになりました。
そこらへんの界隈ではわりとすぐ人気者になり、自主制作のCDもあっという間に完売して、そのままトントンといくかなーと思いきや、いろいろあるのが人生ですよねー。
ボーカルのNは女の子だったんですけども、Nと僕はつき合っていました。
…というより、つき合ってから歌を歌いたいという願望があるのを知って、じゃあボーカルやる?って誘ってみたらやる!ってなりまして。
HとCに相談したところ、快く受け入れてくれてバンドメンバーになった…という馴れ初めがありました。
Nは高校時代にイジメを経験していてそのトラウマで薬を大量に飲んだり、自らの手首を傷つけたり、精神的にかなり不安定な状態でした。
僕の家で一緒に住んでいたのですが、
僕が仕事行ってる間にも何をしでかすかわからない状態です。
なので妹に頼んで一緒にいてもらったりもしていました。
ちょっとでも生きることに喜びを味わってもらおうと、仕事が終わってから夜中にドライブに連れて行ったりもしました。その影響で寝不足になり、次の日の仕事中にほぼ寝てたりとかして、僕の体力と精神もまあまあ削られており、限界近くまできていました。
そんな精神的に不安定なNをみて、なんとかできないもんかとアレコレ考えてたどり着いた答えが「結婚」でした。
結婚という肩書きがあれば精神的に落ち着くのではないか?と。
この時僕は21歳、Nは20歳。
早すぎる、と周りの人たちに猛反対されつつも、勢いで振り切って結婚しました。
僕はそもそも結婚というものに対してまったく重きを置いておらず、しょせん紙切れだけの繋がり、程度にしか考えていません。
なのですごくお手軽感覚で、ちょっとコンビニ行ってくるわ、ぐらいのノリで結婚できてしまうヤツです。#とんでもねー
トコロガ。
結婚してもNの精神状態は何ひとつ変わらず、そのまんま。なんなら結婚したことによって、どんどん束縛が激しくなっていきました。
完全に逆効果。笑
まじかよ。
極めつけはライブ前日の夜に薬を大量に飲んで救急車で運ばれる始末。
どうしようもないのでライブは中止することに。
この時点で僕のメンタルはすでに限界をとっくに超えていたので、いつ爆発してもおかしくない状態です。
そしてついに大爆発を起こしたのが、メンバー全員でUSJに遊びに行った時のこと。
#仲良しかよ
たぶんちょっとしたことがきっかけだったと思うのですが、それまで溜まっていたいろんな不満が限界を突破して爆発して、突然のブチギレ。
公衆の面前でテーブルとかイスとか公共の物を蹴ったり投げたりして暴れ散らかしました。
他にもお客さんはたくさんいたのですが、そんなの関係ねぇ。
今考えるとなんて恥ずかしいことをしたんだろうと思いますが、人はメンタルが極限になるとそんなこと関係なくなるんですねぇ。。。
危害を加えなかったのが唯一の救いです。
いろんな不満っていうのは、「もっと真剣にやろうや!」っていうのが主だった、と記憶しています。#あんまり覚えてない
でも、その行為のおかげ(?)で、自分の思ってることをぶつけ合って、結果的にそれまでよりも仲良くなったので、それはそれでよかったなぁと思いました。
人生でたぶん初めて自分の感情をむき出しにした出来事でした。
そんなこともあって、そこからバンドは確実に成長していって、メジャーデビューの話とかがちらほら出るほどになっていました。
レコード会社の人とかイベント屋さんとかいろんな大人たちと関わるようになっていって、そうなると「数字」が大きな存在になっていきます。
〇月までに何枚CDを売るとか、〇日のライブに〇〇人動員しなきゃいけない、とか。
少しずつバンドが「仕事」になっていって、いろんな人たちの想いを背負うようになっていきました。
そうすると、メンバー間でギスギスした、バチバチした空気が漂い始めます。
当然のことなのですが、僕は基本的に平和主義者なので、メンバーを丸く収めるために、自分の意見は極力言わないようにしていました。
せっかくUSJでの大事件の時に感情むき出しにしてちゃんとやろう!って叫んでたのに。
何のためにあれだけ暴れ回ったのかわからない。
バンドが売れるためにはもっとこうした方がいい!みたいなことも頭の中ではいろんなことを考えてはいたのですが、摩擦を恐れてしまってそれすら表に出すことができず、悶々としていました。
バンドのリーダーがそんな状態ではうまくいくものもいきません。#一応リーダーでした
結局、メンバーは仲間であり家族のような存在のハズなのに、僕自分が心を開かずにそういう存在というのを信じれていませんでした。
そんなリーダーが率いてるグループが何をできると言うのでしょう。
メンバー間がギスギスするのもリーダーの責任です。もっと僕が心をオープンにして、嫌われようが何を言われようが思ったことを表に出してちゃんと向き合って話をしていればまた全然違った方向に向いたのだろうなと思います。
そんな最中、大事件が勃発しました。