クラスのいつも行動を共にしてた友達から「バンドやろうぜ」と。
バスケに対しての情熱が薄れていた僕にとって、その言葉はすごく輝いてみえました。
日本のバスケット界にはプロがない。
でもバンドだったら日本でもプロがたくさんいる!自分次第でなんとでもできるんだ!と。
その瞬間に僕の気持ちは一気に固まりました。
そういう気持ちが固まるともう即行動にうつりたい性格なので、あれよあれよという間にすぐにバンドを始める準備にとりかかり、バスケ部には一切顔を出さなくなりました。
ここから僕は少しずつ道を踏み外していきます。
いや…もうすでに外れています…。
僕はドラムを担当することになりました。
それは全然いいのですが、軽音楽部なるものに体を預けることになりまして。
そこの部員の方たちがですね、ちょっとヤンキーといいますか、そういった部類の人たちで。
タバコ吸うわ髪の毛染めてるわで、一般的には不良という烙印を押されてしまうような人たちです。
そして僕自身も従兄弟の兄ちゃんがバリバリだったので、軽い憧れみたいなものは持っていて、すぐに順応していきました。
同じように髪の毛を染めて、タバコを吸うようになり、いちびりヤンキーの出来上がりです。
もーーーこの時はすごい目をしてたんだと思います。
そもそも心を閉ざしていたものの、それを表に出すことはしてこなかったのですが、もうそんなこと関係なく表にも出すようになっていって、表面的にも心がどんどん荒んでいっていました。
でもそんないちびりヤンキーでも、ドラムだけはは頑張ろうと思えてたので、なんとか人としてはギリギリ保ててたところがあります。
基本的に根っこの部分は大マジメなので、学校をサボることはできませんでした。笑
授業もちゃんと聞いてたので、成績もそんなに悪くなかったし。
すごく中途半端なことをしてたと思いますが、この時はこうすることでしか自分を保てなかったんです。
でも、そんな中途半端な心が、アホなことをしでかしてしまうもので。
「停学」というものを体験しました。
学校でもかまわずにタバコを吸っていた僕は、定期テストの時間にポケットからタバコを落としてしまうというアホなことをやらかしました。
しかもそれを先生の机の目の前の席でやるというアホっぷり。
その瞬間に生徒指導室に連れていかれ、即日停学になりました。
今回は初めてということで、3日間の停学ですみました。
どっこい、停学といっても学校に行かないわけではなく、僕の行ってた高校の停学は毎日朝8時に学校にきて、夕方5時までひたすら原稿用紙に漢字を書く、課題みたいなことを一日中やって、やっと帰路につくことができます。お昼ご飯もひとりでポツンと黙々と。笑
自業自得の地獄です。
そんないちびりヤンキー街道まっしぐらの中、ドラムの腕は順調に上手くなっていきまして。
人生初ライブではブルーハーツのコピーバンドをやったのですが、ライブハウスがパンパンになるほどお客さんが入ってくれて大盛り上がり。こんな快感は初めてで、それでプロを目指そう、という気が起こるにはじゅうぶんすぎるほど気持ちのイイ夜でした。
僕が幼い頃から憧れてた世界がそこにはありました。
もしそういうものに対しての憧れみたいなものがなかったとしたら、僕はとっくにこの世にいなかったかもしれません。
人前で何かをするのは苦手だったはずなのですが、この頃にはすでに頭のネジがどっかにぶっ飛んでいて、そんな恥ずかしい気持ちもどこかに置き忘れてしまっているので、もはや関係ない領域まできていたのです。
自分を取り戻してからは、よくやってたなぁ…という感じです。
そんな華やかな音楽の世界とは裏腹に私生活はどんどん荒れていき、またもやタバコで停学に。
さすがに朝学校行く途中に自転車こぎながらタバコ吸ってたらバレるよねー。#アホすぎる
同じように自転車で学校に向かってる担任の先生に見つかって即確保。
今度の停学は1週間ですってよ。
無事に停学を終えても、タバコをやめることはなく、性懲りもなくまた学校で吸っていました。
誰かこのアホを助けてください。
非行少年まっしぐらです。
もーいろいろ爆発しちゃったんでしょうね。
幼い時のこととか。
小学校の時のこととか。
中学校の時のこととか。
ホントの自分を出すこともできず。
まともに話ができる友達もできず、親にもそんなこと言えず。そればっかりか、中学生になっても門限がかなり厳しくて夕方6時には帰らなければいけない、という終わってる家庭環境。
まわりの友達はその時間ぐらいから盛り上がっていく中、僕はひとり門限があるから…と、それを尻目にスゴスゴ帰宅。
翌日にはその話で盛り上がってる中、自分だけその話に入ることができない寂しさ。
いろんなことが重なって心を閉ざしてしまって、精神的なストレスが相当溜まっていました。
そのエネルギーをもっといい方向に爆発させればよかったんだけど、当時の僕にそんなこと考える余裕もなければ知識も情報も何も無い。
心が病みすぎて、自分を見失いすぎて、頭が相当おかしくなってました。
そんな僕に追い討ちをかけるような事件が起きます。
その時、小さな個人経営の出前の中華料理屋さんでバイトをしておりまして。
出前のお皿を回収しに行った時のこと。
いつも前の日の伝票を持ってお皿を回収しに回るのですが、伝票を1枚紛失してしまいました。
それを素直に言えばいいものを、怒られる…と、ビビってしまった僕は、コッソリ新しい白紙伝票の束の下の方のやつにそれらしいことを書いて何食わぬ顔でごまかしたのです。
そしたらその夜、どうも店長さんの様子がおかしくてですね。
お店の営業が終わってから いつもは閉めないシャッターを閉めて何やら不穏な空気…。
アレ…?
この雰囲気はもしや…。
胸のあたりがザワザワしてたらあっという間に壁ドンのような体勢にもっていかれ、そこからボディブロー、ローキックの応酬。
話を聞くと、どうやら伝票をごまかしたことがバレていた模様。
でも詳しく聞くと何やら話が食い違っていて、お皿を盗んだだろう、と。
………はい………?
いや…伝票はごまかしたけどお皿なんか盗んでない…。
盗んだところで何のメリットが…。
もう向こうはブチギレ状態なので聞く耳持たず。
とりあえず盗んだ皿代として50万持ってこいと理不尽なことを言われ、泣く泣く持っていくことに。
当然僕にはそんなお金がないので母ちゃんに泣きつくことに。
母ちゃんもブチギレてましたが、ホントのことは言えずじまい。
ホントのことを言うとよりめんどくさいことになる、と判断してのことだったのでしょう。
何よりももうそんな人と関わりたくなかった、っていうのが大きかったんだと思います。
でも今思えば全力で戦えばよかったなーと。
なんで殴られるだけ殴られて放ったらかしにしたのか。
別に目にみえないほどの速い攻撃ではない…むしろ遅いとすら感じるような攻撃だったので、避けようと思えば避けれたハズ。
そしてたぶんそこまでケンカは弱くはないハズ。
拳法やってたし。
普通はそんな状況だと、もうそこでそのまま継続して働くなんてできないことは一瞬で理解できそうなものですが、その時の僕はそこまで頭が回らず、なんなら「ここで抵抗したらここで働けない…!」とすら考えていたと思います。
頭の中お花畑かよ。
せめて母ちゃんにはホントのことを言って警察に行くなり弁護士に相談するなりできたはずなのですが、親すら信用の対象外になっていたのでそんなことは言う気も起こらず。
なんなら察してほしかった。
もうそれぐらい僕は精神的に追い込まれていて、誰も信じられなくなっていたところにこの事件。
意味不明にボコられ、バイトも失い、親にはブチギレられ(そりゃキレる)、もうホントに病み具合がどん底のドン底まで落ちました。
落ちすぎて頭おかしくなって、変な行動に出ました。