戦争中の日本軍の裏側:生き残った祖父が持ち帰った軍隊の裏側の記録

戦争から70年以上の時間が経ち、今やすっかり

戦争というものを知る人は圧倒的に少なくなりました。

 

戦争を知らないで感じる平和と、

戦争を知った上で感じる平和では、

天と地ほどの差があるのではないかと思います。

僕自身、戦争の「せ」の字も知らないので

えらそうにものを言える立場ではありません。

でもこの本は戦争の生々しい実態が記録されているので

戦争を知らない人にぜひ読んでもらいたい一冊です。

僕の祖父は第二次世界大戦のとき、満州国へ出向していました。

そのときつけていた「当用日記」なるものを

ある特別な事情により、持ち帰ることができました。

その日記を基に一冊の本を自費で出版しました。

僕がそれを読んだのは祖父が亡くなってからしばらく経ってからです。

 

出版した当時はまだ高校生ぐらいだったので

恥ずかしながら読もうという気すら起こりませんでした。

その数年後に祖父が亡くなり、社会に出て世間を知ってから

そういうことにも興味を持つようになり、読んでみました。

 

そこには当時の様子が生々しく書かれていました。

 

究極に優しかった祖父

 

 

僕は祖父に怒られた記憶がありません。

ですが、父はめちゃくちゃ厳しい父親で、よく怒られたと

子どものころから聞かされていました。

 

僕にはそんな祖父の姿が想像できないぐらい、

いつもにこにこしていて、結局僕がどれだけ態度が悪くても

いっさい怒ることなく、ただひたすらに優しい人でした。

 

この本を読んでからわかったことですが、

戦争に行くという体験をしたからこそ、

命の尊さを肌で感じたからこそ、

自分の子どもには厳しく育てたのだと、理解できました。

 

祖父は孫である僕たちには本当に優しかった人でした。

その優しさは戦争という体験をしたから

こその優しさなんだと気づいたとき、涙が溢れてきました。

そしてもっといろんな話をしたかったなと、

もっと早くにこの本を読むべきだったと後悔しています。

 

当時の日本は「大日本帝国」という天皇を王に見立てた王国でした。

 

お国のために散っていった若い命がいくつあったか見当もつきません。

そして衛生兵という特殊な任務だった祖父は戦線に参加することもなく、

無事に日本に帰還することができました。

 

当時は日記に本心を書くことなど到底許されなかった時代です。

 

それでも祖父がある事情でその日記を残せたことで

戦争の無意味さ、悲惨さを後世に残したいと考え、出版に至りました。

 

目次

発刊に寄せて

はじめに

第一章  初めて軍服を着て

第二章  杏樹陸軍病院に転属

第三章  日記抄ー昭和十六年ー

第四章  日記抄ー昭和十七年ー

第五章  日記に記せなかったできごと

第六章  短い帰国

第七章  再び召集される

第八章  父島での戦い

第九章  硫黄島の地獄

第十章  最後の戦い

第十一章 日本へ

あとがき

 

 

祖父は大正9年生まれで歌などを詠んでいた人です。

 

なので多少表現の難しいところもあるかもしれませんが、

逆にそれで生々しさが伝わってきます。

 

改めて戦争というものの意味を考えるキッカケになった

 

この本では当時の軍隊の様子が生々しく書かれています。

今の時代では到底考えられな封建制度の精神。

愛国主義。

パワハラ、イジメは当たり前。

今考えても当時の「初年兵教育」とは、「苛め」であり、「私的制裁」であったと思われる。「天皇陛下万歳」「大日本帝国万歳」と歓呼の声で送られてきた。命を国に捧げるために故国をはるばる北満の地まで来たのに、これが軍隊なのか。何が皇軍だ。死んでたまるもんか。そんな想いで、日曜日を除く連日連夜の点呼後に受ける「兵舎教育」に次年度の初年兵を迎えるまで一年三カ月間、歯を食いしばって耐えねばならなかった。

(中略)

「初年兵は自分の編上靴(ヘンジョウカ)を持って来い」各自手に提げた靴を、一人ずつ二年兵が手に取って靴裏まで返してみて検査する。
「貴様この編上靴を手入れしたのか」「はい」「これで手入れしたと言えるか、嘗めてみろ」「はい」
「嘗めろ。命令だ」強制的に嘗めさせられる。
点呼が終わると「初年兵は一列に整列」と班内中央の廊下に並ぶ。「第一釦を外せ」 二年兵の声に、首に一番近い第一釦を外すと、二年兵が前に来て襟布を剥ぎ取り、取り替えの有無を検査する。誰か一人でも取り替えていない者がいると大変、「貴様達はたるんどる。一人ずつ前へ出ろ」牛草製上靴の爪先の方を持ってピシャリ、ピシヤリ。踵の固い皮が頬を打つ。次、ピシャリ、ピシャリ。次、眼鏡を外せ、ピシヤリ。

 

何のための軍隊なのか、それすらよく分からなくなってしまいます。

僕は戦争のことはテレビやネットなどでしか知らないのですが、

それでもなんで罪もない人たちが殺されてしまうのか、

と疑問しかなかったのですが、この本を読んで一層、

戦争というものの意味がわからなくなったと同時に、

命の尊さ、重さを感じさせてくれました。

 

 

 

この本で祖父が何よりも伝えたいことは、戦争を知らない子どもや、

孫たちに、できれば若い世代の人たちにも、二度と繰り返したくない

戦争の悲惨さを伝え残したいということです。

 

その日背の高い豪州兵が入って来た。通りすぎるのを待って、手榴弾を投げ付けたが発火しなかった。逃げ出した敵兵は入口にハッパをかけ、硫黄弾を投げ込んだ。黄燐弾の苦しさは言葉に表現出来ない苦しさで、私達は手で土をかき分けて、そこに顔を埋め、辛うじて呼吸する始末だ。壕内には死体が累々として悪臭を放っていたが、その死体に鼻を押し付けて黄燐弾を避けなければならなかった。
そんな時、八木上水が石に挟まれ、悲鳴をあげた。石は動かなかった。苦しみに悶える八木は、手榴弾で自決するという。手のほどこしようもない我々は、やむを得ず手榴弾を発火させて渡そうとしたが、なかなか発火しなかった。今度は「拳銃で頼みます」という。こればかりは私には出来なかった。全員が泣きながら八木の苦痛を見守っているうちに、手榴弾が発火爆発した。八木は永久に苦痛から解放された。

 

衛生兵だった祖父も、硫黄島に上陸し、捕虜となったり、

同僚が目の前で命を落としたのを見守ったり、

凄まじい体験を伝えることでいかに戦争が無意味なものなのかを

伝えたかったのだと思います。

 

平和ボケした日本人に是非読んでもらいたい

 

僕を含め、日本人は平和ボケしてると思います。

それはそれで素晴らしいことです。

が。

海外ではいまだに戦争をしている国もあります。

 

日本にもその戦火がいつ訪れるかもわかりません。

もちろん戦争なんて起こってほしくありませんが、

そういうことがあってこその平和なんだということを

知るためにもぜひ読んでみてほしいと思います。

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