中学校3年間の間に完全に心の扉が閉じてしまったD少年。
でも当の本人は心を閉ざしてる、なんて自覚は1ミリもなく、ただただ一生懸命生きてるつもりでした。
「つもり」です。
ここ重要。
そしてそんなものはまだまだ序章にすぎないことをこの時のD少年はまだ知りません。。。
ここからさらに深い闇の中に堕ちていくことになるのです。
・心ここに在らず
・地に足がついてない
とはまさにこのことですよ、奥さん。
そんな状態で迎えた中3の秋。世間一般的には受験シーズン到来です。
部活を引退して、やることがなくなった僕は、今までまったく興味を示さなかった流行りのものを追いかけたりするようになりました。
それまでテレビはアニメと動物ものと志村けんぐらいしかみたことなかったのに、ドラマとかをみるようになったし、音楽番組なんかもみて、どんな歌が流行ってるんだろうとか、そういうのを追いかけてみたりしました。
服装も今までオシャレなんか1ミリも興味なかったのに、気を使うようになりました。
これは、部活を引退してやることがなくなってまわりの人たちとの共通の話題がないことに気がついたからです。
部活をやってる頃はそこに集中してれば他のことは一切気にならなかったし、部活以外の人としゃべることもあんまりなかったのでそんなに気にならなかったこと。
でも引退してやることがなくなると、部活以外の人としゃべる機会も増えて、その時に話題に全然ついていけないんです。
これはヤバいな、と。
また仲間ハズレになってしまうな、と。
もうあんな寂しい思いをするのはイヤだったので、ちょっとでも置いていかれないようにするために、流行りを知って仲間ハズレにならないようにしようと頑張ってました。
なんて健気な…。笑
あとシンプルに思春期に突入してモテたい願望が発動したのもあると思われます。笑
その甲斐あってか、僕に生まれて初めて彼女ができました。
正確には小学校の時に彼女らしき存在はいたのですが、その頃はホントに何も分かってなかったのでノーカウント。
部活を引退するちょっと前ぐらいからつき合い出したのですが、僕は恋愛は小っ恥ずかしくて超奥手だったので、どうしていいか分からず、手を繋ぐことすらできませんでした。
なのでやることといえば学校から一緒に帰るぐらい。
デートすらもしたことがない。。。
すると案の定、卒業する手前でフラれてしまいましたとさ。
当然の結果です。
ただ。
もっとガーンと落ち込むかと思いきや、そんなに精神的ダメージはなく、今までのことの方がよっぽどツラかったです。
てゆーよりも。
人を好きになるってことがどういうものなのかも分かっちゃいないし、そもそも人を信じることがまともにできてない人間です。
そんな人間がまともな恋愛なんかできるはずもなく。
感情が欠落してる、というか感情を表に出さないようにメッキをかぶるようになっていました。
いい人にみえてたのが本性をさらけだしたら「メッキが剥がれた」っていうのと同じように、心にメッキをかぶせて感情を表に出さないようにしていました。
自分の感情を出すのが怖かったのです。
そんな状態で迎えた高校受験。
僕は高校に行くかどうかをこの時めっちゃ悩んでいました。
髪の毛抜け落ちてハゲるんちゃうかっていうぐらい。
っていうのも。
小6の時にマンガ家を目指して挫折して、心が折れて絵を描くことから逃げたのですが。
でもどうにかこうにかそういう華やかな世界に行きたくて、バスケがそんなふうになったらいいなーとがんばっていたわけですね。
ところが。
当時はバスケットボールはまだマイナーなスポーツで、野球とかサッカーみたいにプロリーグがなかったので、このままバスケやってても道がないよなぁ…と、半分絶望していました。
かといって世界最高峰のプロリーグ・NBAがある本場アメリカに行く勇気も根性も持ち合わせておらず、途方に暮れかけていました。
それならば。
高校なんか行くよりとっとと社会に出て違う道を探した方がよっぽど人生に役に立つのでは?と、葛藤していました。
とは言っても働くアテなんかなかったし、ただの現実逃避という可能性は否めないですが。。。
すると、そんな僕の悩みを察していたかのように、例の従兄弟のヤンキー兄ちゃんがうちの父ちゃんにひとつの伝言を頼んでいました。
「D、高校だけは行っとけ」と。
兄ちゃんはヤンキーで中学時代ほとんど学校に行っておらず、高校は受験すらしてなかったので、いろいろと思うところがあったのだと思います。
僕は兄ちゃんが好きなので、この言葉を素直に受け止めて、とりあえず高校は行くことにしました。
じゃあ。
どうせ行くのならまたバスケ部に入って活躍してやろうと。
プロリーグはないけど頑張って全国大会とか行ったら何かしら道がみえてくるのでは?
そんな野望が心の中で燃え出しました。
ところが。
高校受験の時にひとつ事件が起きました。