「疑って安全を保つより信じて裏切られたほうがいい。」
僕の好きな前田慶次の名言です。
、といっても漫画のなかでのセリフですが。笑
人は大人になればなるほどまず疑うことから入ってしまいます。
「これで大丈夫なのか?」
「何か裏があるんじゃないか?」
「裏切られたらどうしよう」
などなど。
もちろんそのリスクは当然考えるべきことなのですが、
ハナからなんの疑いもなく身を委ねる事ができるのは
赤ちゃんやせいぜい幼児ぐらいまでだろうなと思うんですよね。
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疑うということ
疑うという行為は、それまでに自分が裏切られたりして
傷ついた経験があるからその防衛策として信じる事をしない
っていうことなんです。
要するに自分の身を守るため。
自分が傷つきたくないから人を疑ってかかってしまう。
大人になればなるほどいろいろな経験をしてるから
それと照らし合わせて過去に傷ついた経験がフラッシュバックして
また同じように傷ついてしまうんじゃないかという不安が生まれる。
この一連の流れが「疑う」という防衛システムを僕らの中に
誕生させるきっかけになってしまいました。
一度不安が生まれるとそこから抜け出すのは容易なことじゃありません。
全部あやしくみえてしまってもはや信じるという選択肢は皆無に等しくなります。
そうやって疑ってかかって結果的にそこから逃げようとしてしまいます。
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逃げればとりあえずその場は自分の身を守る事ができますよね。
でもそうやって逃げて逃げて逃げまくった結果、残っているのは
何も信じれなくなった超がつくほどくだらない自分自身なんですけどね。
信じれない人間の末路
信じようとしない人間は得てして自分のことを棚に上げて
批判や嫉妬をまき散らかします。
そうやっていろんな経験をして傷ついたから
信じるという選択肢を自ら放棄するわけですね。
信じるということは何かしらのリスクが生ずるもんです。
また同じように自分が傷ついてしまうかもしれない。
だから信じることを諦めて人から離れようとしてしまいます。
でもね。
あきらめたらそこで試合終了なんですよ?
信じた結果また傷つく事になってもどうせ1回傷ついてるんだから
どういうリスクがあるかぐらいは想像できるんじゃね?
、と思うわけですよ。
結果的にまた傷ついたとしてもそこですべてが終わるわけじゃないんです。
次のチャンスがあります。
疑ってばかりいたらそれは
リスクの影に潜んでるチャンスも自分から放棄することになってしまいます。
もしかしたらぱっと見、すごいハイリスクなことでも
その裏にはものすごいチャンスがあるかもしれないんです。
それをハナから逃げてしまったら一生そこで終わっちゃいます。
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赤ちゃんのほうがマシ
人それぞれ差はあるものの、裏切られて傷つくから信じることから
自分を遠ざけてしまいます。でもいつかは信じないとそこから
前に進むことはありません。
見習うべきは赤ちゃんです。
赤ちゃんは初めて自分で立つときに
何回も何回も転んでやっと1人で立てるようになります。
それを誰もが経験してるはずなんです。
なのになんで失敗することから逃げるんですか?
逃げてもなんもいいことないですよ?
リスクを考えないのはただのバカです。それはもう。
無謀にも程があります。
人間という動物である以上いろいろなことを考えてしまうものです。
成功するか失敗するかの分かれ道に立たされたとき、
その道を信じるか疑うかの選択を迫られたときに失敗ってめちゃくちゃこわいです。
失敗することで自分の大事なものを失うことになるかもしれない。
そこを考えれない人はただのバカヤロウです。
それを考えた上で信じる道を選べる人にしか見えないものがあると思います。
そういうことができる人とは是非一緒に飲みに行きたいもんですね。笑
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疑うことからはじめる
僕自身の話をしますと、かなり疑り深い人間であることは間違いありません。
今までいろんな経験をしてきたもんで。
でも疑うことは決して悪いことではないと思ってます。
疑えばそれはキリがありません。
ありとあらゆるケースを考えてしまいます。
でもどんな最悪なケースを考えたところで未来が分かるわけでもないんです。
じゃあその考えたありとあらゆる最悪なケースをすべて受け入れてしまえばイイんです。
もしそうなったらこうしようとかありとあらゆる対応策を考えてしまえばイイんです。
どんな最悪なケースがこようがそれをどうやったら
プラスにもっていけるかを考えればイイんです。
失敗したってその後で失敗を活かして次の行動に移せばイイんです。
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そうすればどんな道を選んでも自分にとっては最悪ではなくなるはず。
傷つくのは誰だってこわいです。
こわくて身を守りたいから
始めから頭の中で傷つかないための道を自分でつくっとけばいいんです。
僕はそうしてます。ありとあらゆることを頭の中でシミュレーションします。
自分にとっての最悪なケースを何パターンも。
そうすることで実際に起きたことがそれほどでもなかったとき、
傷なんかつくはずがないんです。
だって想定内のできごとなんですもの。
極論いえば、生きてりゃなんとかできるものなんです。
それ以外の事ならなんだってこわくなくなるんじゃないですか?
死んでしまったらもうそこで何もかも終わりです。
生きてさえいればそこからの道は無限大です。
疑うという行為にそがリスクだと僕は考えます。
仮に疑われた相手の人が全身全霊で語りかけてくれてたとしたら。
疑った本人はそれで自分の身を守れるかもしれないません。
でも疑われた側にはとてつもない傷が残ることになります。
そんなことばっかりしてたら気づいたら
周りには誰もいなくなってることでしょう。
失敗するリスクよりそっちのリスクの方が僕はこわいです。
それだったら信じて裏切られる方がはるかに楽です。
その方が後でバカみたいに笑える。