絵を描くのに才能はいらない|大事なのは描くのが好きだという気持ち

絵を描く人の悩みとして尽きないのは

「なかなか絵が上手くならない・・・」

「才能ないんじゃないか?」

という人がかなり多いです。

 

才能なんて言葉で片づけるのはもったいないですよ。

 

絵の才能ってなに?

 

そもそも絵の才能ってなに?ってことですね。

上手く描けたら才能がある。

描くのが下手だと才能がない。

そんなカンタンなことじゃないような気がしませんか?

下手でも練習たくさんして血の滲むような努力を重ねて

上手くなれた人なんてわんさかいるわけです。

それを「才能」のひとことで片づけるってどうなの?

ってことですよ。

 

生まれつきのもの?

 

絵を描く才能があるならそれは生まれついてのものなのか?

生まれながらに絵が上手い人なんているんですかね?

僕自身、物心ついたころに描いた絵で覚えてるのはドラえもんでした。

写真がないのであれですが、記憶をたどるとたぶんこんな感じでした。

おそらくこれを描いたのは

4歳とか5歳ぐらいだったと思いますが、

これを才能があるのかどうなのかというところですね。

 

才能という概念があるとすれば絵に興味がいくかいかないか

 

もし才能があるのだとすれば、それは能力うんぬんではなく、

それに対して興味があるのかどうなのかというところだと思います。

興味があるとそれをどうやって描いたんだろう?

なんてことが気になります。

それを自分でも描いてみたい!と思うわけです。

 

たとえば先ほどのドラえもんだったら丸があって

その中にも丸があって丸がいっぱいあって

ヒゲが6本あって…などなど、いろんなことを分析します。

興味がいくというのはそういうことです。

興味があると自分が絵を描いている姿をイメージできるので、

勝手に頭の中で絵を描くイメージトレーニングをしていたのだと思います。

これが逆に何も興味がないのだとしたら、そんなこと考えないですよね。

、ということはその時点で、「才能がない」

みたいなことになってしまってたかもしれません。

 

最初は誰でも下手

 

絵でもなんでもそうですが、最初から上手い人なんていないんです。

できないことをできないからといって投げ出すかどうかです。

できないことが悔しいと思って

できるようになるまで頑張れるかということですね。

できないのには理由がありますが、

それをかんがえるのは大人の目線です。

子どもにはそんなこと考えるだけの頭はないので、

ひたすらがむしゃらに描きまくるだけです。

僕がそうだったので。

僕の記憶では自分が描いたものと、オリジナルを比べて

「なんか違う」のが悔しくてたまりませんでした。

なのでどうやったら近づけるんだろう?

みたいなことを考えてたのかどうかは定かではないですが、

とにかく描きまくってたのは覚えています。

それがあったから今の自分があるんだろうなと。

 

絵の才能がないのではなくほかに意識がいっているだけ

 

絵の才能がないって言ってる人って

自分のことをあまり見てない感じがします。

そんなこと考えるんだったらもっと練習したらいいのにって感じですね。

 

まわりの評価を気にしすぎ

 

自分以外の人に評価を求めると自分を否定する方向にいきがちです。

まわりの人の評価はしょせんその人の感性です。

自分で自信があって胸を張って見せれるような作品ならまだしも、

そうでないものを人に見せたらそりゃ心折れますよ。

でもそれは絵描きなら常につきまとうことです。

おそらくどんなプロの人でも自分の作品を

人に見せるときって内心ドキドキだと思います。

僕もそうです。

人に見せるときは内心ドキドキです。

わからないですもん。

人がどう感じるかなんて。

だからできるだけその不安を削っておきたいので必死に腕を磨いて

より素晴らしい作品に近づけるために日々精進しています。

まわりの評価を気にするんじゃなくて

自分でどうなのかということのほうが大事なことです。

自分で描いた作品を自分で見てどう感じるかです。

それは才能でもなんでもなく、練習量の問題です。

 

成長曲線は人それぞれある

 

人それぞれ成長する速度は違います。

早くに上手くなれる人もいればゆっくり少しずつ、

でも確実に上手くなる人だっています。

まわりの人の成長を見て自分はダメなんだと思い込まないこと。

人は人です。

「まわりができてるから自分は成長が遅いんだ。」

ではないです。

 

突然上手くなれることもある

 

地道にコツコツやっていればある日突然、

全然できなかったことができるようになっている、

なんてこともあります。

よくあります。

絵なんてしょせん孤独な作業なので自分だけ見てりゃいいんですよ。

まわりを見てへこむぐらいなら見なきゃいいんです。

 

最終的に絵は才能ではなく「描くのが好き」という気持ち

 

才能うんぬんの話でいちばん大事なところですね。

絵を描くのが好きかどうか。

才能=好きの度合い

だと考えてもいいと思います。

 

本当に好きなら挫折してもはい上がれる

 

絵を描くことが本当に心底好きなら、どんな挫折を味わおうが、

へこたれようが、人にけちょんけちょんに言われようが、

やっぱり絵を描くのが好きだ!

なんて言って絵を描いてるもんです。

僕は小学校6年生のときに

漫画を描いて雑誌に投稿したことがありますが、

そのときは何も音沙汰なくてかなり落ち込んでそれから

20年ぐらい絵を描くことから遠ざかっていました。

でもやっぱり好きだったんでしょうね。

気がついたら絵を描くことをしてました。

 

また描き始めてからも、

何回も下手すぎて落ち込んだりすることもありましたが、

それで絵を描くこと自体がイヤになったかというとそうでもありません。

やっぱり絵を描くのが好きなので描いてます。

 

挫折したり、描くのが嫌いになるってことは

その程度の気持ちしかないということです。

でもそれは自分のせいだけではないかもしれません。

環境によってそうなってしまった、ということもあります。

そんなときは少し時間を置いてみるといいかもしれません。

僕みたいに。

20年も空けることはないですが、絵を描くことから

離れてみると違ったものが見えるかもしれません。

 

「才能だ」は言い訳でしかない

 

才能がどうこう言う人って結局言い訳でしかないです。

そのセリフを吐く前に血の滲むような練習をしましたか?

才能うんぬんの話をする人に限って

そんな大した練習もしてないのにあーだこーだ言います。

自分が何もしてないのを棚に上げて。

 

途中で諦めてしまうのは「描くのが好き」という気持ちがそこまでじゃないということ

 

極論ですが、途中で諦めてしまうのは気持ちが

そこまでじゃなかったということなんでしょうね。

残念なことですが。

でもそれはそれなので仕方のないことではあります。

好きになれるかどうかは環境も大事です。

それに負けてしまうことも寂しいことですが、

どうしようもないこともありますから。

 

「才能」という言葉

 

才能という言葉の意味は、

 

個人の素質や訓練によって発揮される、物事を成し遂げる力

 

だそうです。

才能というのは自分でどうこう言うものではなく、

あくまで他人が判断するものです。

自分で才能がないと判断してしまったら、

せっかく今まで積み上げたものが台無しになってしまいます。

もしかしたらあと少しで花開くところだったのに・・・

なんてこともあるかもしれません。

もしそうだったらめっちゃもったいなくないですか?

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