絵の構図:「決められた枠の中」という制約が創造性を膨らます

こんにちは。水墨画家のDと申します。

絵の構図を考えるときって枠の中でどうしようか考えますよね?

たとえば画家とか写真家がよくやるアレです。↓

こうやって手でフレームを作ると枠の中に収めたらどうなるかを簡単にイメージできます。

これを使って絵画なら額縁の中。

漫画ならコマの中。

といった感じで構図を考えます。

絵描きにとってこの「決められた枠の中」ってすごく大事なことなのではないか?

その制約があるからこそ創造性ってふくらんでるんじゃないか?

と思ったので考えてみました。

たとえばこの写真だったらあえてズームにして枠の中に収めたことによっていろんな想像をふくらませることができます。

赤ちゃんのくつを持ってるパパとママが手をつないでいて、赤ちゃんはパパが抱っこしてるっていう幸せそうな夫婦の写真にするのか。

はたまた赤ちゃんは亡くなってしまってて、赤ちゃんを忘れられずにいるパパがその形見を持っている、絶望のどん底にいる夫婦の悲しい写真なのか。

上の写真をちょっと加工して色を暗めにするとそんな悲しい写真にもできます。

 

 

 

でも実際はこれです。

赤ちゃんはお腹の中にいて生まれるのを心待ちにしている幸せそうな夫婦の写真でした。

こんな感じで枠があるからこそいろんな想像がふくらんでアイデアがたくさん出てくるじゃないかと思ったので今回はそこを整理してみたいと思います。

画という文字にはいろんな意味がある

 

先ほども少し述べましたが、絵には枠があるからこそ面白いのです。枠を言い換えると「画」という字になります。

芸術の世界にはこの画という文字がたくさんあります。絵画、水彩画、漫画、映画、水墨画、版画、などなど。

画という字にはそれだけで絵を描くっていう意味があります。

線を引いて境をつける、区切るっていう意味もあります。

ほかにも計画や企画などのある目的をイメージするなどの意味もあります。「画」というたったひとつの文字なのにそこに込められている深い意味。そこにロマンを追求するのが男です。(?)

これだけでもひと晩飲み明かせそうなぐらい面白い話です。

もう少し深掘りしてみます。

 

絵画

僕ら絵描きにとっては絵画はいちばんポピュラーで愛着もあります。

しかもたった1枚の紙の上のたかだか30センチから1メートルぐらいの小さな枠の中で世界観を表現しないといけません。そこには文字もなく、音も動きもありません。

僕がやっている水墨画だと色もありません。(´;ω;`)

これは大変です。制約だらけです。

でもだからこそ必死で考えるし、それで思うような世界観が表現できたとき、僕らは言葉には表せない感動を観てくれた人と共有することができて、ます。

 

漫画

漫画は絵画よりももっと小さな枠の中で勝負します。でも漫画は小さな枠を連続して見せることでストーリーがつながります。

漫画にはセリフという文字もあるのでより鮮明に作者のメッセージだったり、想いだったりが伝わりやすくなっています。

映画

映画は映像なので画面の中の人やものが動いてしゃべって、音も出てくるのでより伝わりやすいですね。

 

こんな感じで、それぞれにひとつの枠があってその中で表現するからこその面白さがあります。

 

3つだけ例を出しましたが、その中でも面白いなぁと思うのが枠の中での出来事よりも、いかにその「枠の外」を想像させるかっていうところだと思います。

漫画だったら主人公が懸命に戦ってるシーンでそのときほかの登場人物はどんな想いで何をしているんだろうとか。

映画でも同じ。

いろんな場面を同時進行ではみることができないですよね。

ひとつのシーンが終わってから時間を戻してほかの登場人物のシーンを描いたりしますが、それによって「ああ、あのとき彼はこんなことをしてたんだ。だからこれとつながってこういう結果になるんだ」みたいなことが起こったりします。

絵画ならその絵の枠の外の世界はどんなふうになっているの?と疑問を抱かせるような構図だったら見る人の興味がそそられたりします。

そんなふうに持っていけたらそれは表現者としてはめちゃくちゃ面白い領域です。

 

制約には副作用がある

 

絵画、漫画、映画そのほか「〇画」は枠の中という制約の中でどう表現するかが醍醐味で、そこにロマンを感じて命をかけて表現してるクリエイターが少なくありません。

だからこそその枠の外を想像してみたりといろんな副作用みたいなものが生まれます。

昔のファミコン時代のゲームがいまだに色あせないでプレイヤーの頭の中に強烈に刻み込まれているのは、数々の制約があったからにほかなりません。

シリーズ化した「ドラクエ」や「ファイナルファンタジー」などはまさにその典型的な例といえると思います。

そこには「容量」という制約がありました。

昔は今のように技術が発達していなかったのでキャラの動きもカクカクしてるし、音楽も3つのトラックしか使えない。

そんな状況で各スタッフがピンポイントでエネルギーをフルコミットすることであのような名作になったのだと思います。

特に音楽はいまだに神曲といわれるほどの名作ぞろいです。

音楽家の観点でいうと、3つしか音が使えないからこそ、メロディーを印象的なものにするしかない、というふうになったのだと思います。

主旋律のメロディーさえよければあとはどうとでもなるものです。

童謡なんかはまさにそれで単音で奏でてもそれとわかるようなものばかりです。

こんなふうに制約があるからこそ名作が生まれることってけっこうあると思います。

そんな中、水墨画は文字もない、動きもない、白と黒しか使えないという制約だらけでいかに世界観を表現するかということが問われます。

だからこその魅力がそこにはあります。

 

関連記事⇒【水墨画の魅力】白黒だからこそ表現できることがある

 

絵は生き物なので勝手に膨らんでくれる

 

絵は枠の中で、制約の中で表現する芸術です。

だからこそ、その枠の中で勝手に躍動してくれることがあります。

はじめにある程度固めたイメージが描いていくにつれてどんどん違う方向にいってしまうことがあります。

絵は生きているんです。

「スラムダンク」や「バガボンド」の井上雄彦先生はこんなことを言っていました。

読者の人気を得るためにコミカルな学園ドラマの要素をふんだんに盛り込んだ。

桜木の笑える一面をふくらまそうと懸命に考えた。その中である日、「こいつのココが好きだな」と思った。

それは意識しないで描いていたシーンだった。たとえば、ひとりボールをみがいているところ。

ビデオで自分のプレイを研究しているところ。負けず嫌いで努力を惜しまない桜木の一面が垣間見えていた。

井上はこの部分をふくらませてみようと考えた。負けず嫌いなのは自分も同じ。

自分ならどうするか、、、そう考えながら桜木を描いた。

 

『桜木と自分の公約数的な部分をすごく感じてそこをどんどん桜木に注入していった。

自分の出しどころというものがすごく明確になったらより強いものを出せるようになってくる。』

 

やがて桜木は生身の人間のように躍動し始めたーーー。

NHK:プロフェッショナル~仕事の流儀~より引用

これって「スラムダンク」っていう作品の枠が制約になってその中で自分をどう出していくかっていうことですよね。

自分を桜木というキャラクターに見立てて作品の中で動かすことでより作品に厚みが増すという。

絵も同じで、自分の中にある創造性を枠の中に凝縮して育てていくと枠の中の登場人物が勝手に膨らんでいくことがあります。

それは「枠」という限られた区画の中だからこそだと思います。

限られた枠の中でひとつの世界観を決めてその中でこそ

いろんなものが躍動してくるという。。。

 

それはまるで限られた環境の中で進化する生命のように。

まとめ

 

今回は枠の中でっていう制約が生む創造性について整理してみました。

あえてストレスをかけることで生まれることって間違いなくあると思います。

なかなかアイデアが浮かばないときとかにあえて自分で何か制約をつけてみるのも面白いかもしれません。

それでは今日はこのへんで($・・)/~~~

 

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