こんにちは。水墨画家のDと申します。
今回は「芸術センスは磨くもの。才能や生まれつきではない」っていうテーマで能書きをたれていこうと思います。
「芸術センスって才能とか生まれつきだからしゃあねぇ」なんてあきらめていませんか?
僕も最初はそう思っていました。だから自分の作品に自信が持てなくて作品を誰かに見せるのもすごく恥ずかしかった。
だから「センスなんてしょせん才能よなぁ…」なんて思ってました。
でもそれって結局逃げでしかなくて、センスっていうものと向き合うことを放棄しちゃってるだけなんです。
センスは磨けば磨くほど研ぎ澄まされて、なんとでもできるんだということがわかりました。
今回はそんなお話です。
センスは環境によって変わる

まず「センス」という言葉についておさらいします。僕らがよく使うのは「〇〇のセンスがある」とかです。
ちなみにわりとどうでもいい情報ですが、英語では「You have a good taste.」とか言ったりするそうです。
わかりやすいのでファッションセンスで説明しますね。
ファッションセンスがある人に対してはたくさんの人がカッコいいとかカワイイ、といったいわゆる「ステキやん♡」っていう感情を持ちます。
「あの子ファッションセンスあるよね~。オシャレよね~。」っていう感じです。
その人のに憧れて服装を真似する人なんかも現れたりします。でも、そこに仮に100人いたとして100人が全員そういう感情を持つのかというと必ずしもそうではないですよね。あくまでも「ステキやん♡」っていう人の割合が多いよね、というだけです。
たとえば100人中、80人が「ステキやん♡」といえばそれでセンスがある、と認識されちゃうわけです。
残りの20人は「そうでもないんちゃうのん?」とか、「いや、ダサいやろ」という感情を持っています。
逆に100人中20人しか「カッコイイ」ってならなかったらその人は「センスがない」っていうレッテルを貼られてしまいます。
こんなふうに「センスがある人」ってたまたまそこにいる人たちの中で「ステキやん♡」ってなってる人のほうが多かったっていうだけの話なんです。
その規模が大きくなって日本全国民の皆さんが対象になって1億人中8千万人の人たちが「ステキやん♡」ってなると、国民の皆さまの憧れの的になってデザイナーとかモデルとかになったりしちゃいます。
ココで確実に言えることは、どうやら「センス」ってまわりの人たちがいてはじめて成立するものなんですね。
仮にもしあなたひとりだけしかいない世界だったとしたらセンスもクソもないんです。
この「センス」は時代とか国、文化、環境によって全然違ってきます。
ファッションなんかはまさにその典型で、移り変わりも激しくて時代とか環境とかがけっこう影響しています。
わかりやすい例でいうと、その昔、まだサムライという職業があった時代はチョンマゲに羽織を着て刀を差して、というスタイルが「カッコいい」とされていました。その当時はそれが当たり前だったので、逆にスーツとかパンツスタイルが「西洋かぶれ」みたいに揶揄されていたような時代でした。
今と真逆です。

じゃあ今のほぼ欧米文化に染まってしまった日本でサムライみたいな格好をしたらどうでしょう?チョンマゲに羽織袴 着て刀差した人が電車に乗ってきたら、間違いなくザワザワします。「コスプレか?」と。
あるいはドラマかなんかの撮影か?と。
100人中ほぼ100人が違和感を感じるはず。
カッコいいと思っていたとしても普通の街中で真似をしたいと思う人はおそらくごく少数派です。その日がハロウィンでコスプレならその格好で出陣する人も少なくないかもですが、日常でその格好をすると、もれなく「頭おかしい人」のレッテルを貼られますよね。超激レアすぎて。
これはほんの一例ですが「センス」っていうのは時代とか環境、状況に応じて常に変化します。
ファッションってすごく移り変わりが激しいので、去年流行ってカッコいいと言われてたものが今年はダサいなんてこともザラにあります。
芸術は時代に左右されにくい

長々とファッションセンスのない男のファッションの話におつきあいいただき、ありがとうございました。
ここからようやく本題の芸術センスについて述べていきたいと思います。芸術とファッションは全然違うようで根本的な考えかたは同じです。
つまるところ「美的感覚」です。
でも芸術って時代の流れとかそういったものにあまり左右されてないなぁという印象があります。
ファッションでも普遍的なものはありますが、どっちかというと普遍的なものと流行を取り入れたものの割合が6対4~7対3ぐらいの感じで流行の割合が多い感じです。
でも芸術に関しては普遍的なものが圧倒的に多いです。
流行が皆無というわけではないですが、とはいえ、これといって大きな変化はあんまりないし、本当に魂のこもった素晴らしい作品はどの時代のものだろうと心を鷲づかみにされてしまいます。
割合でいうと8対2ぐらいで普遍的なものが勝っている感覚です。なので芸術に関しては古今東西問わず「良いものは良い」という感覚のほうが強いですね。
センスの磨きかた

センスを磨くにはまずまわりの人たちの感覚を知るところから始めます。
そもそもひとりひとり生まれた環境も育った環境も全然違うので「ステキやん♡」ってなるポイントがズレてるのなんて当たり前なんですね。
たとえばAさん、Bさん、Cさんの3人がいたとします。
図で表すとこんな感じです。

3人それぞれの感覚を把握するとAさんが赤、Bさんが青、Cさんが緑の感覚を持っています。それぞれみんな違う感覚を持っているので「ステキやん♡」って思うポイントが微妙に違ってます。
それぞれの感覚の共通するところを仮に「X」とします。この「X」の部分がセンスがいいって言われるところです。
要するにこの部分をキッチリ押さえとくと、この3人にとっては「センスがある人」です。
これを100人分にしたときに80人の人が「ステキやん♡」ってなるところを探してそこを突いていけば「センスがある人」の出来上がりです。場合によっては「X」の部分が極端に狭くなったりすることもあります。

こんなことになっちゃうともー何がなんだかわからなくなるので、こんなときは「だいたいここらへん」っていうのを把握しとけばおっけーです。

そのためにはまわりの人たちがどこに「ステキやん♡」ってなるかをイチイチ徹底的に観察するんです。
人数が多くなればなるほど大変にはなりますが、センスを磨くって大変なんです。
これには「正解」がなくて、日々形を変えていきます。なので1年前はこうだったのに、なんてことも平気で起こります。
なので決めつけちゃうと痛い目に合うのでご注意ください♡
まわりの感覚がなんとなく把握できたら今度はそこに自分の感覚をガンガンぶち込んでいきましょう。
そしたらまわりの感覚と自分の感覚のズレてるところがわかります。
それを少しずつ修正していけばセンスが磨かれていきます。
まとめ

以上、「センスは磨くもの」っていうテーマでお送りしてまいりました。
まわりの人が良いと思うものを知ってそれに自分が良いと思うものを重ねてみて試行錯誤を繰り返しながら少しずつ蓄積していくことでセンスは磨かれていきます。
でもあんまりまわりの人たちの感覚ばっかり追いかけてると自分を見失ってしまいます。
センスを磨くのはすごく大切なことですが、同じぐらい自分の感覚も大事にしてまわりに流されないようにすることも大切です。
そうならないようにするのはとにかくいろんな知識を吸収することが大切です。いろんな知識を持っとけばまわりから入ってくる情報にいちいち振り回されることが極めて少なくなります。「ああ、ソレ知ってるよ」ってなるので、心が全然動じないんです。
なので常に頭を柔らかくして日々アップデートしていきませう。
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