長い時間芸術の世界にドップリ入り込んでいると、
自分がなにを創りたいのか。
なにが良くてなにがダメなのかがわからなくなるときがあります。
それがわからないまま作品を創っても小賢しいものになってしまうのは
火を見るよりも明らかです。
そんなときはまず感覚をいったん
リセットしないと創作意欲が湧いてきません。
「創りたい」と思えるか

作品を創りたいと思うということはその作品に
触れた人と共感したいという想いがどこかにあります。
それはその作品に何かしらの想いが込められているので。
いいものができたら誰かに見てほしくなりますよね。
見てほしくなるということはそれだけ
胸を張って全力でその作品に取り組んだということ。
小さい子どもが一生懸命絵を描いて、できたら
「見て見て!」
と言って見せてくるのと同じことですね。
子どもと同じかよ!と思うかもしれませんが
芸術の世界で活躍してる人はみんなそういう感覚は
子どもだと思うんです。

少なくともそういう感覚だけは。
ここがいちばん大事なところです。
子どもみたいに目をキラキラさせて
胸がワクワクして取り組めることができなかったらそれは
ほんとになにも伝わってこないくだらないものになってしまうからです。
感覚を取り戻すための方法

僕も長い間音楽の世界にドップリはまって
途中から自分がなにを創りたいのかが
わからなくなってしまったことがありました。
その要因として、「創りたい」から
「創らねば」に変わってしまったということがあります。
それは音楽がだんだん仕事になっていくぐらいの
ときにいろんな人と関わることでそういう
強迫観念になっていってしまったのだと思います。
もちろんそのときの僕の精神的な弱さが
根本的な原因であることは間違いないのですがっ。

そこから「創りたい」に戻るまでけっこうな時間がかかってしまいました。
そんなときに感覚を取り戻すために僕がやったことを紹介していきます。
スッパリ辞めてしまえばイイ

「ねばならぬ」の感覚になってしまうと
なにをやっても満足できない。
自分でもいいと思えない。
、というよりいいのか悪いのかさえもわからなくなってしまいます。
作ってみたけどこれはいいのか?ダメなのか?
みたいな感じになってしまったので、
「ああ、もうこれはいったん離れるしかないな」
、と最終的にそう思って音楽を作ることを辞めました。

辞めて絵を描くという方向にシフトチェンジしようと決めたんですが、
どのみちこんな感覚のままでは同じ轍を踏むだろうという確信はありました。
なので「作品を創る」こととは違うことを
しようと思って始めたのが整骨院の先生です。
そうなるためには専門学校に3年間通わないと
国家試験を受験できないのでとりあえずその3年間は
一切作品を作るということをしないと決めました。

そうやって1年半ぐらい経ったときに自分の中で何かが変わりました。
それまで音楽を聴いても何も感じてなかったのに、
ふと聴いた音楽が何だったのか覚えてないけど
音楽をやり始めた頃の目がキラキラする、
胸がワクワクする"あの感じ"が戻っていました。
自分でも不思議な感じがして、妙に懐かしいような感じもありました。
それからというもの、「もっとこのドキドキを感じたい」
、と思うようになって「作品を創りたい」という
想いがフツフツと湧いてきました。
それでもそれがホントに戻ったのか信じることができなかったので
国家試験に合格するまではそういうことはしないでおこうと誓いました。
それが功を奏したのか、創作意欲はどんどん増していって
国家試験に合格したころには
描きたくて描きたくてしょうがなくなっていました。
結局自分との戦い

こうして僕は3年かけて感覚を取り戻すことに成功しました。
今では「ねばならぬ」的な感覚に陥りそうなときは、
思いっきり気分転換をすることにしています。
音楽を作ってみたり、
子どもとじゃれ合って子どもの感覚に触れてみたり、
子どもの頃に大好きだったことをしてみたり。
人間ってリフレッシュが大事なんだなと痛感しました。
そして何があっても揺らぐことのない
タフな精神力が必要なんだということも
よーーくわかりました。笑
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