自分にしか描けない「個性的」な絵を描くために必要な3つのこと

こんにちは。水墨画家のDと申します。

今回は「個性的な絵を描くために必要な3つのこと」というお話です。

こんな感じです。

・個性は人のマネから生まれる

・何に心が動くかが個性になる

・個性はゆっくり育てていくもの

 

絵描きを志す上で必ずぶつかるのが「個性」問題です。

 

「個性がない」って言われたりだとか。

ほかの人と違う自分だけの絵を描きたいとか。

 

でもそれは悩むようなことではないので安心してください。

 

結論から言うと、「個性」ってそんなにすぐに出せるようなものじゃなくて、いろんな人の絵をマネして吸収したりして、ゆっくり時間をかけて「育てて」いくものです。

 

なのでもしあなたの絵に「個性がない」なんて言われたとしても。それは「個性がない」んじゃなくてまだ「個性が育ってない」だけです。

自分だけの絵を描きたい!という気持ちは痛いほどわかりますが、あせってしまって無理やり個性を出そうとしてまわりと違うことをしようとすると、かえって個性はなくなってしまいます。

 

なので、たとえ何か言われたりしてもスルーしておけばいいと思います。

 

個性は育てていくものっていうのは、漫画家さんをみてると「あーー」ってなると思います。

たとえばドラゴンボールの鳥山明氏。

デビュー作の頃とドラゴンボールの最終期では全然絵柄が違います。(とはいえ、デビューの頃もなかなか個性的ではありますが。)

鳥山明氏はディズニーとかアメコミに影響を受けているので、初期の頃の絵柄はアメリカっぽさを感じさせる絵柄になっています。

でも後年の絵柄はそんな雰囲気が1ミリもなく、完全なオリジナルになっていった、と言えます。#誰に言うてんねん

鳥山明氏のデビュー作をみてみる

もうひとり。

スラムダンクの井上雄彦氏。

単行本の1巻と最終巻では絵柄がまったく別人です。

井上雄彦氏はシティハンターの北条司氏のアシスタントをしていたので、初期の頃の絵柄は少なからず影響を受けてるんだなぁ、という感じがありますが、やっぱり最終巻になるとそんな雰囲気皆無。

 

今や日本では生きる伝説のお二人ですが、そんな人たちでも少しずつ時間をかけて仕上げていってるので、あせらなくても大丈夫ですっ。

井上雄彦氏のデビュー作をみてみる

個性は「人マネ」から生まれる

 

先ほどのお二人がアメリカや師匠から影響を受けてそこから少しずつ仕上がっていったように、個性は人マネから生まれるものです。

それもいろんな人のマネをして少しずつ吸収していくイメージです。

 

図で表すとこんな感じ。

 

AさんBさんCさんがいて、それぞれのマネをして、少しずついいところだけを吸収してDさんの個性が出来上がる。

鳥山明氏だったら、アメコミ、ディズニー、芦田豊雄の影響を受けて鳥山明が出来上がる。

井上雄彦氏だったら、水島新司、池上遼一、北条司の影響を受けて井上雄彦が出来上がる。

 

みたいな感じです。

影響を受けるっていうことは、その作家さんたちの「ナニカ」に心を動かされたっていうことです。

この「ナニカ」っていうのがなかなかのクセモノで、言語化とか数値化とかなかなか表現が難しい厄介ものです。心を動かされる時ってそうじゃないですか。

「なんかよくわからんけどイイ」

みたいな。

それも本気で心の底から魂を鷲掴みにされるほど心を動かされた時って、言葉を失いますよね。

人は本気で心を動かされた時、言葉が出ないんです。

 

そういうワケのわからない、言葉にできないエネルギーみたいなモノっていうと長いので「ナニカ」と表現してます。

 

何に心を動かされるかが「個性」になる

 

「ナニカ」の基準っていうのは人それぞれ感覚が違います。10人いれば10通りの感じ方があって、共有できるものもあればそうでないものもある。感覚が似てるなぁって思う人でもどこかでズレるので、それが完全に一致することは今までの経験上ないです。

 

つまり。そういう感覚の違いが「個性」になるのです。

で。「ナニカ」を感じ取る時ってひとつとは限らないじゃないじゃないですか。

人はいろんなものに感動を覚えます。

鳥山明氏だったらアメコミとかディズニーとか芦田豊雄とか。

井上雄彦氏だったら水島新司、池上遼一、北条司とか。

たぶんそれだけじゃなくてもっといろんなものに感動を覚えてると思うのです。

 

そのひとつひとつが「個性の芽」になるわけです。

「個性の芽」はいわば絵の具みたいなもので、混ぜたら全然違う色になります。

しかも絵の具ってその量によって出来上がる色が変わってくるじゃないですか。

赤と青を混ぜたら紫になるけど、赤が多かったらピンクっぽい紫になるし、青が多かったら青っぽい紫になる。

絵の具の量は感動の度合いに置き換えれば分かりやすいかと思います。

鳥山明氏でいうとディズニーの影響も受けてるけどアメコミ色の方が強くて、初期の頃は擬音をアルファベットで表記してた、みたいな感じです。

 

そんな感じでですね。

「個性の芽」は人それぞれ色があってその色も人によって種類も個数もバラバラです。

それを混ぜ合わせた色があなたの「個性」です。その色は経験を積むたびにどんどん濃くなっていくし、どんどん色が変わっていきます。

なので、自分の個性を知るには、まず自分が何に心を動かされるか、を自分自身と向き合ってしっかり見極めることです。

十人十色とはよく言ったもんだなぁ、と改めてしんみりしています。

 

■恥ずかしがらずに

 

自分自身と向き合って見極めたものがどんなものでも、それはしっかりと受け止めるべきです。

たとえそれが自分の身の回りにいる人たちに公表すると恥ずかしいようなものだとしても。

 

「え?そんなん好きなん?」みたいにバカにしてくるデリカシーのない人間はたくさんいらっしゃいますが、負けないで。

 

ちなみに僕は思いっきり負けた人間です。

好きなものを好きと言えず、まわりに合わせて引っ込み思案になってしまったタイプです。

それを受け止めてくれる人がたまたまいなかったので、誰にもしゃべらなくなりました。

そのひとつの例が「少女マンガが面白くてずっと読んでた」です。

たまたま妹が2人もいたので、家には少女マンガがたくさんありました。

自分のものは読み切って読むものがなかったので読んでみたところ、めちゃくちゃ面白くてですね。

でもそんなこと恥ずかしくて言えなくてずーっと黙ってました。

今思えばべつにそれはそれで人それぞれなんだから「何が悪いねん」ぐらい言えばよかったなーと思っている次第でございます。

 

なので最悪べつに負けてもいいんです。公表なんてしなくてもいいんです。

でも心の底では自分を信じてください。

それがあなたの「個性」なので、それを時間をかけて育てていけば素晴らしいものが出来上がります。

 

マッキーも言ってるじゃないですか。

「好きなものは好きと言える気持ち抱きしめてたい」って。

 

個性はゆっくり育てていくもの

 

冒頭でもお話しましたが、個性はいきなりポンっと顔を出すようなものじゃなくてゆっくり育てていくものです。

でも「個性の芽」はいきなりポンっと顔を出してくるものです。ココがすごくデリケートなところなのですが、「個性の芽」はまわりの人にはわからないほどの小さなものなので、よっぽど感性が鋭い人じゃないとなかなか理解できないのです。

だから「個性がない」とかゆーてくるんです。

そんな人は個性がどんなものかっていうことをわかってないのでスルーしとけばいいです。

 

そんなことよりも何よりも、個性が育つ時間っていうのはそれも人それぞれで、何年もかかることもあるし、何ヶ月とかである程度まわりの人が理解出来るまでに育つこともあります。

 

そこはほんとに人によって違うので、一概にどうこう言えるものじゃないです。

大切なのは「自分を信じること」です。

すごく月並みで申し訳ないのですが、それしかないのです。

自分を信じるっていうのはなかなかカンタンなことではないことはよーく知っています。

自分ひとりの力だけではどうにもこうにもならない部分があるからです。

なので、そこを理解してくれる人に打ち明けて認めてもらうことで自分を保つことができるので勇気を出して打ち明けてみてください。

僕は経験者なのでその気持ちは痛いほどわかるし、だからこそ「個性って何だろう?」ってことを死ぬほどたくさん考えて、自分なりの答えを導き出してけっこうたくさん相談にのったりしています。

いちばんやっちゃいけないのは、まわりと違うことをしようとしすぎて自分のやりたいこととかけ離れたことをしようとすることです。

いわゆる「奇策」って言われてるヤツです。

それをやってしまうと自分を見失ってしまって、最悪の場合もう取り戻せなくなってしまいます。

自分が心動かされるモノを見つけることが時間かかることもあるし、それを育てていくのはなおさら時間がかかるものなので、あせるのは禁物です。

 

ゆっくりでいいのですよ。

 

「個性」という言葉

 

「個性」という言葉は時に迷いを生むものでもありまして、あんまりそこにとらわれすぎても、それはそれで自分を見失うことになりかねないのも事実です。

 

ただ、見失ってしまうのは中途半端に考えるからで、考えるならとことん考えて、根っこの本質の部分は何なのかってところまで考えてしまえばもう迷うことも見失うこともなくなります。

 

「個性」の本質はここで話してることです。何回「個性」という言葉が出てきたことでしょう。

それをゆっくり噛み砕いてしっかりと自分の中に落とし込んでみてください。

 

個性の意味を調べてみたところ、

個人や個体の持ってる特有の性質ウンタラカンタラ、、、

ってWikipedia先生はおっしゃっていました。

 

わかりやすくいうと「生まれた瞬間からみんなそれぞれ違うのよー」って意味です。

 

同じ両親から生まれてきて同じ家で育って、かつDNAがまったく同じ双子でも、それぞれ考え方とか感性が違ったりします。

DNAレベルまで同じでも違うのだから、じゃあ違う両親から生まれてDNAも違えば育った環境も全然違う人たちは合わないのは当たり前のことですね。

個性は生まれた瞬間から持っているものなのです。

…にも関わらず、「個性」っていう言葉が強調されてしまう風潮の我が国ニッポンですが、それは「皆同じで当たり前」の教育を長い間押し付けてたからにほかなりません。

ちょっと皆と違うことをした途端、注目を浴びて「ナンジャこいつ?」って空気になる。

ひどい時は完全に「変な人」扱いを受けてしまう始末。たとえそれがべつに迷惑をかけないことであっても。

それが原因でイジメが起こることもあるのが我が国ニッポンです。

やっとこさ「個性が大事」みたいな風潮になりつつありますが、これはかなり根深いものなので、完全に払拭するまでには相当時間がかかってしまうと思われます。

そうやっていわば「個性」を育てるんじゃなくて押さえつけてしまってるのです。

学生の時はそれでいいかもしれませんが、社会に出た途端、「個性」を求められてしまうこともあります。そこから個性を育てるとなると、一旦押さえつけてたものを無理やり引っ張り出して育てるのは二度手間で、なかなか至難の業です。

とはいえ。過ぎてしまったことをあーだこーだ言ってても仕方ないので、前を向いて今の自分にできることをしっかりとやるしかないのです。

 

どうしても言いたい余談話

 

すごく個人的な趣味の話なので興味がない場合はすっ飛ばしてください。

 

先ほどお二人の伝説のお話をしましたが、もうふたり(二組?)僕の中で伝説の方々がいらっしゃいまして。

 

それが手塚治虫氏と藤子不二雄氏です。

藤子不二雄のお二人は幼少期に手塚治虫氏の漫画をみて衝撃を受けて漫画家に憧れるようになり、手塚治虫氏のマネをして、ふたりで手作りの雑誌を作ったりするほどでした。

それほどに強烈に影響を受けた藤子不二雄のお二人の漫画は、絵のタッチとか雰囲気とか空気感がもうホントにそっくりなのです。

初期の頃なんかは特に「手塚治虫じゃん!」ってなるぐらいに。

それはパクってるから不快に感じるとかそんな域はとっくに超えていて、「あ〜、好きなんだなぁ」って胸のあたりがホッコリする感じです。

 

特に「ミノタウロスの皿」とかいくつかの「S・F短編集」があるのですが、ドラえもんみたいな子ども向けの内容じゃなくて、人間の真理をついたちょっと怖い内容になってて、ちょっとゾクッとする話があったりします。

そのあたりは手塚治虫氏の得意分野で、影響をモロに受けてるのがすごくよくわかって、それがめちゃくちゃ面白いっていう話です。

ぜひ読んでみてください。

 

 

まとめ

 

これまでの話をまとめると、

 

・個性は人のマネから生まれる

・何に心が動くかが個性になる

・個性はゆっくり育てていくもの

 

です。

あともうひとつ、「個性」は自分で決めるものじゃないです。「あの人は◯◯の人」みたいなことは、自分以外の人が勝手に判断して言うものです。

自分のことは自分でわかっておいた方がいいに越したことはないですが、

「おれはこれだー!」って決めつけてしまうとそこから進化できなくなってしまうので、日々精進して常に変化を求めていくことが個性を育てていくことになります。

 

それではまた〜。

 

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