子どもの生活発表会はなぜ感動するのか考えてみました

先日、子どもの幼稚園の「生活発表会」に行ってまいりました。

次男が年長で三男は年少。

朝から幼稚園には30人ぐらいの行列ができております。理由は少しでもいい席で我が子の発表を観たいからです。

基本的に観覧席は自由席で、早い者順だからです。ほかにも運動会では前日の夜中12時ぐらいから並ぶという強者もおりました。それぐらい我が子に対しての想いを形にできるってすごいことだなぁと思いつつ、僕も子どもの運動会のときには前日の夜中12時から並んだクチです。

そんなことをしたのは高校生のときにチケットぴあでジュディマリのライブのチケットを取ったとき以来。

それだけの熱い想いを持ってのぞんだ発表会ですが、本番が始まるともう感動で涙が止まらず、終始ハンカチとお友達でした。我が子の発表だけならまだしも、ほかのクラスでもおかまいなしに涙が止まりませんでした。

さて、この生活発表会。誰もが感動できるものだと思います。親御さん、ご家族はもちろんのこと、携わってきた先生方も。ほかのクラスの先生でさえも。

ただただそれを「あー感動したー!!」で終わったら非常にもったいなくて、「なんでこんなにも感動して涙がとどまることを知らないのか?」を分析して今後のアーティストとしての活動に生かせないか?を探りたいと思います。こんなにも100%に近いぐらい感動して涙が止まらないことってほかにあまりないと思うので。

 

年齢を重ねると涙腺が弱くなる

 

よく「年いったら涙腺ゆるんで涙もろくなる」というのを聞きますが、

たぶん30を超えると涙もろくなっていくのは間違いありません。それは科学的にも証明されているらしく、18歳〜25歳をピークに人は感情にブレーキをかける力が徐々に落ちていくというデータがあるそう。

僕は最近は特に映画をみてもすぐに泣くし、動物系の感動モノとかは涙が枯れてしまうんじゃないかと思うぐらい泣きます。

そういうこともあって我が子じゃなくても感動しっぱなしだったのだと思います。

 

お世辞にも上手ではない

 

こんなことを言うと怒られそうですが、歌でも演奏でも劇でも、お世辞にもお上手ではありません。たぶん大人がこのクオリティでやってたら誰も見たくないし、すぐにでも帰りたくなるようなレベルだと思います。(あくまで冷静にみたら、です)

だけど、そんなことは当たり前の話で、誰もがわかってることです。そこに文句を言う人なんかひとりたりともいません。その理由としては「まだ幼い子どもだから」というのがあります。だからこそ誰もが知ってるような物語の劇をやったり誰もが一度は聴いたことがあるような曲を演奏したり歌を歌ったりします。

たとえばこれが自分たちで作ったような曲とか歌を演奏されたらたぶんチンプンカンプンで感動どころではなくなります。

でも、お世辞にもお上手ではないんだけど、仮にお金を払ってくださいと言われたとしたら喜んで払うと思います。それぐらいの価値のあるものだからです。園側も絶対にそんなことはしないと思いますが。

 

裏側を知っている

 

この日のために子どもたちは一生懸命練習を重ねてきました。それは家でもそういった仕草、歌を歌ったり、鍵盤ハーモニカの音階を口ずさんだり、劇のセリフを口走ったりしていることから「あぁ、発表会のために一生懸命練習してるんだな」というのが読み取れます。それがたとえ先生から言われてるにしろ、自分でそういう行動を起こしてるにしろ、どっちにしても意識がそこにかなり集中しているのは間違いありません。だからこそ普段の生活にもそれが出てるんだと思います。

そういう普段の行動を見ているからこそ、本番を見たときにそれが頭によぎってさらに感動してしまうというのがあります。

ほら、夏の甲子園とか見てても「熱闘甲子園」でその高校のドキュメンタリーとかみてしまったら感情移入してしまって見る目変わったりするでしょ?

あれと同じで裏側の物語を知っているのと知らないのでは全然違いますよね。

 

まわりの人たちと共有している

 

これらの事がらはまわりの親御さんたちもまったく同じ条件です。我が子の頑張りを見届けたい。それは誰しもが同じ想いを胸に秘めていると思います。

中には「めんどくせぇなぁ…」なんて思ってる人もいるかもしれませんが、おそらくごく一部だと思います。つまり、少なくても8割〜9割を超える割合で同じ想いを持った人たちがまわりにもいる、という状況が生まれています。

なので必然的に空気がそういう空気になってしまって、もうどんどん泣いてくださいと言わんばかりです。

これがたとえばめちゃくちゃカタイ場所で誰もまわりに同じ想いの人がいない場所だったとしたらそこまで感動できていないと思います。

まったく関係のないどこの誰だか知らないような人がまわりにたくさんいたとしたら、たぶん感動したとしてもおそらくそこまで感動できないと思うんですね。

つまり同じ想いの人がたくさんいるという安心感で僕らは思いっきり心を解放して目一杯感動できるんだと思います。

アーティストのライブを観に行くような感覚と似てると思います。あれだって、多くのアーティストが出るようなライブよりも一組のアーティストのライブのほうがより一体感が生まれて感動を起こしやすいです。

それはまわりも同じ想いの人だという認識がそこにあるからですね。

 

まとめ

 

これらのことをまとめて自分の活動にどう活かすか?を考えたとき、年齢的なものはどうしようもなくて、たとえば思春期の中学生とかだと、感情をうまく抑えてしまうことが多いのでそれはまた違うアプローチで攻めていかないといけないのかなぁと思ったりします。

 

ただ、それ以外のことは年齢関係なく誰にでも当てはまることです。裏側を見せることにより、感動の度合いはいくらでも上乗せできると思います。たとえば練習では失敗ばかりしてしまってなかなかうまくいかないことを知ってたとしたら。失敗ばかりで1度も成功したことがないとしたら、たぶん本番を見るときのドキドキ感は子どもと同じぐらいか、ヘタするとそれ以上かもしれません。つまり、スタート地点がマイナスであればあるほど応援したいという気持ちが生まれて、仮に本番で大成功を収めようものならたぶん泣きじゃくって大変なことになります。裏側をいかに見せるのかが大きなカギになりそうです。

あとはそれを見せる場所がすごく大切なんだなぁということ。どんな作品でもただただポンと置かれてるだけよりも、ちゃんと見る体勢を整えてからみたほうが入り込めると思います。

そのためにどんな準備ができるか、いかにそういう空間を作り込めるか、ということがすごく大事なんだなぁと思いました。