センスは自分で作るもの:「センスがない」は何も考えてないだけ

センスがないという言葉をよく耳にすることがあります。

服装のセンスとか運動のセンスとかその他もろもろ。

◯◯のセンスというのはその分野において優れた感覚があるかないか。

センスがない人はその分野で何をやっても人に喜ばれることがあまりありません。

でもそれはその分野に対して何も考えていないからで、ちゃんと考えて行動すればセンスはいくらでも磨くことができます。

気持ちがあるかないかだけでずいぶん変わります。今回はそんなおハナシです。

 

頭の中で繰り返し練習する

 

僕はこの「センス」というのは自分で作り上げるものだと思っています。

少々僕の身の上話におつきあいください。僕は学生の時にバスケットボールをやっておりまして。センスでいえば僕は誰にも負けない自信がありました。こんなこと言うと自信過剰と思うかも知れませんがセンスはそんなことからも生まれてくるものです。

僕はバスケをやり始めてから四六時中バスケの事ばかり考えていたのでセンスが磨かれていったのです。

そこまではよかったのですが、センスだけに頼ってしまって努力することをサボってしまって結局中途半端に終わってしまいましたが。

もっと努力すれば日本代表ぐらいいけたんじゃねぇかなーなんて思ったりしています。#自信過剰にもほどがあるやろ

もうしばらくバスケの話におつきあいください。バスケットボールというスポーツはひとつのボールを5人対5人で奪い合って高さ3メートル5センチのリングに制限時間内に多くボールを入れた方が勝ちというスポーツです。

そのために常に走り回ったり跳んだりして相手からボールを奪ったり、逆に奪われないようにボールをコントロールして少しでもゴールに近い位置でシュートすることが勝利の近道です。

そんな動きを頭の中でひたすら繰り返すと実際に体を動かしたときにすごくスムーズに動きます。僕はこの頭の中でイメージするということがものすごく大事な事なんだと思います。

僕はバスケットボールの神様・マイケルジョーダンに憧れていたので、彼のように動きたくて何回も何回もビデオを見て体の使い方を細かいところまで分析していました。

それこそドリブルをする時の手や腕の使い方、走る動作、ジャンプする時の足や腰の使い方など、ありとあらゆる角度から見て細かく分析して頭の中でそれをずーっと繰り返し繰り返し脳内で再生していました。

それを自分がやってるイメージを持てるようになるまで。

要するに頭の中で彼の動きを真似してる自分をイメージしてそれをらひたすら繰り返すんです。それは学校の授業中でもご飯を食べているときでも関係なく頭の中でずーーっと練習を繰り返していました。

そうすることで実際に体を動かした時にある程度の動きはできるようになっているんです。この時にすでに頭の中ではイメージが出来上がっているのであとは体の動きをそれに合わせて微調整を繰り返しながらイメージに近づけていきます。

なので実際に体を動かす時にはゼロからのスタートではなく6割、7割ぐらいのところから始めることができるようになるんです。

でもこれは感覚的なもので、数値化したり可視化したりできるものではないのが残念なところです。

スポーツだけじゃなくドラムでも同じ

 

また自慢話っぽくなりますが、もうしばらくおつきあいください。

僕はドラムの腕はプロ級でして。高校のときに始めたんですけれども、はじめてドラムセットに座ったときにいきなりエイトビートを叩いて周りの人たちを驚かせたことがあります。

これもバスケとまったく同じ要領でそれまでに頭の中で繰り返し練習していたからそんな芸当ができたんです。

ドラムをカッコイイなぁと思ったのは中学生のときでした。吹奏楽部の発表会みたいなのがあって初めてドラムというものを生で見た僕は「カッコいいっ!」と衝撃を受けて、いつかやってみたいなーという憧れを持ちました。

それからというもの、なぜか頭の中でドラムを叩く自分をイメージし出したのです。その時はホントに自分がドラムをやる事になるなんて夢にも思っていなかったので、なぜそういう事をし始めたのかは謎です。

ひとつ言えるのは憧れるという感情をもつことがセンスを磨くことにおいて大切なんだなぁということです。

憧れをもつと頭の中はそのことでいっぱいになりますよね。それがセンスを磨くことの第一歩だと思うんです。

もちろんただ憧れるだけではセンスが磨かれることはありません。頭の中でどれだけイメージトレーニングできるかが大事なことです。実際に体を動かしたりその物事に触れるという事だけが練習じゃありません。

頭の中に理想の自分のイメージを創り上げることができるか。それだけなのです。

 

絵や音楽という芸術センスも自分で作り上げれる

 

先ほどのふたつの例は体を動かす時のセンスです。絵や音楽という芸術的なもののセンスというのも基本的なところは同じですが少し勝手が違っていて、人がいいと思うものをいかに自分の中に吸収できるかという事がカギになります。

絵や音楽という芸術的なものは人によって好き嫌いがあります。なので「これがいちばん素晴らしい」という概念はありません。

なので自分以外の人の好き嫌いをいかに分析して何がいいのか何が悪いのかという事を常に考えてそれに対してアンテナをいっぱい張ることでなんとなくこれがウケがいいんだなということがわかるようになります。

たとえばテレビのドラマなんかをみて学校とかでその話題になったりしますよね。それを自分では何もいいと思わないからといって「ハイ、それで終わり」ではなく、多くの人がいいと思うものにはそれなりの理由があるはずです。その理由を徹底的に分析して研究してその結果を自分の中に吸収する。

そうやって吸収したものと自分がいいと思うポイントとの公約数みたいなものを見つけることで少しずつですがこれはいいだろうということがわかるようになります。

自分がいいと思っていても人がいいと思わなければただのセンスのない自己満の人になっちゃいます。

 

人がいいと思うものと自分がいいと思うもの

 

僕にはもともと音楽とか絵のセンスなんかなかったように思います。小学生とか中学生の頃なんかはテレビにいっさい興味がなかったし、流行りの歌とかも一切知らなかったようなやつです。

なので周りの友達とかがドラマの話とか、そのドラマの主題歌とかの話をし出すともうチンプンカンプンで一切ついていけてませんでした。泣

中学3年生ぐらいでようやくそういうことを気にするようになって流行りのドラマとかを見たりして少しずつ世の中を知っていきました。

なので最初のうちは流行りの歌とかを聴いても何がいいのかサッパリわからないことが多かったです。ムリやり聴いているうちに少しずついいところが見えてきてそれを何回も何回もやって、やっと人がいいと思うポイントがわかるようになっていきました。

この時はセンスうんぬんなんか考えてるハズもなく、ただ周りについていけてない事が恥ずかしくて必死にやってただけでした。

そのときに必死にやってた事が後々役に立つ事になりました。人を喜ばせれる音楽や絵を作れるようになったのです。

センスというのはその事に対してどれだけ考えれるかという事に尽きます。センスがないと嘆く前にそれに対してキチンと向き合ってできてるかという事が大事なことなんだと思います。

 

 

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