水墨画で現代アートを生み出す

水墨画はその名の通り水と墨だけを使って絵を描くというすごくすごくシンプルなアートです。

日本で独自の発展を遂げている「漫画」と似ています。漫画にはストーリーとキャラクターがありますが、それを一発で伝える「絵の力」はやっぱりすごくて、内容が面白くても絵が好みじゃなかったら読む気にならなかったりします。逆に内容をまったく知らなくても絵が魅力的でどんな物語なんだろう?と気になって読み始めてしまう、ということもあります。それほどに絵には「パワー」があります。

そんなパワーあふれる漫画ですがそれを成立させているのは黒インク一色だけを使って絵を描くという鮮やかすぎるほどシンプルなものです。水墨画と違って水でぼかしたりしていないのでさらにシンプルさが際立ちます。それでもその表現の幅はとどまるところを知りません。

水墨画も同じで黒い墨だけという、すごくシンプルなものですが、水を使ってぼかしたりにじませたりすることで表現の幅が広がっています。

そんな水墨画は古くから日本に存在していました。大本をたどれば3000年前の中国で墨を使った絵を描いたものが見つかったりしてます。

墨が日本に伝わったのが奈良時代のこと。日本という島国で独自の発展を遂げました。それからほとんど変わることなく現在にまで至ります。ホントに何も変わってなくて、いろんな墨を使ったアートがあるにはあるのですが、それでもやっぱり水墨画って難しいっていうイメージが多分にあるかと思います。

僕は水墨画が大好きで描いてて面白くてすごい可能性があるので、もっといろんな人に広まってもいいのになと思っています。

水墨画の認知度が上がってもっといろんな人に見てもらえたら今水墨画を描いてる人たちがもっと幸せになれるのでそんな日本になれば最高だなと思います。ただただ水墨画愛にあふれている男です。そのためには水墨画の現状をしっかり把握してないとダメだなと思い、発信していこうと思いました。きれいごとだけ言ってても何も始まらないっす。

で、どうしたらいいかなぁって考えたら、やっぱり若い人たちが引っ張っていかないとダメなんじゃないかなぁと思うのです。

僕もまだまだ若いですが、たぶん僕のような若い世代で水墨画をやってる、やろうとしてる人ってそんなにいないです。

その前にそもそも日本で純粋に絵描きになろうとしてる、もしくはすでになってる人自体が少ない中で水墨画ときたらさらにそこから減るわけです。。。

日本のアートの価値がそんなに高くない現状もあるのですごく時間はかかるかもしれません。でもいつか、水墨画家になりたい!っていう子どもが出てきたら、将来の夢の選択肢に「水墨画家」があったら、そんな世の中にできたら最高です。

 

 

 

水墨画は「古典」である

 

水墨画のイメージって、わかりやすく言うと高校の授業とかでやった「古典」とか「古文」に近いんじゃないかなと思ったりします。古典とか古文って興味ない人からすると「難しそうだしよくわからない」が正直な感想だと思うんです。

少なくとも僕は古典の授業のとき、そう思ってました。担当の先生が好きな先生だったにもかかわらず、授業の内容はさっぱりわからないし理解しようという気にもならなかった。これが何の役に立つの?とすら。

でも古典とか古文っていうのは昔からそう呼ばれていたわけではなくて、現代からみたときに「古い言葉」だったり、「古い文法」なので「古い」っていう漢字が使われているだけですよね。

籠もよ み籠もち ふくしもよ みぐくし持ち この岡に 菜摘ます児 家告らせ 名告らさね そらみつ 大和の国はおしなべて 吾こそ居れ しきなべて  吾こそいませ 吾こそは 告らめ 家をも名をも

たとえばこれ「万葉集」の一部でバリバリの『古典』なんですけど、何を言ってるのか僕にはさっぱりわからないです。相当な古典好きぐらいじゃないとわからん!とすら思ってます。これを理解しようという気持ちにはまだなれないですが、当時はこれが当たり前でした。それが少しずつ形を変えて現代に至ります。

つまり、今僕らが使っている言葉、たとえば「ぶっちゃけ」とか「スベる」とかってわりと最近生まれた言葉ですよね。もう少し古いのでいうと「ナウい」とかそのへんも基礎は古典にあったわけです。

そんな昭和とか平成に生まれたような言葉でも、もっと先の未来、たとえば1000年後には「古典」とか「古文」として捉えられているのかもしれません。

こうやって歴史を考えるとすごく面白いのですが当時の僕はまだそんな考えを持てるほど大人ではありません。

古典に対して拒否反応が起きていました。その原因としては入り口が「難しそう」だからです。だから体が勝手に拒否反応を起こしてしまってた。この感じって水墨画を始めようとしたときにも起きてました。

でも水墨画は言葉じゃなくて「絵」なので拒否反応が起きても理解しようという気持ちが生まれたんです。

水墨画をアートに

 

そんなふうに言葉って過去、現在、未来でいろいろ形が変わっていますが、水墨画ってずーっと「水墨画」です。昔からあんまり形が変わっていない。描きかたも変わっていない。

これだけいろんなことが激しく移り変わっていく世の中で、ほとんど変わってないっていうのはなんか逆に素晴らしいことだなぁと思います。

素晴らしいとは思うんですが、それは古典でいうところの「万葉集」がそのまま残っているのと同じで、興味がある人にしか届いていません。

若い人は水墨画に興味がいかないんです。なんでか?それは水墨画が「古典」だからです。よくわからないから興味がいかないし、難しそうだからやろうとも思わない。拒否反応が起こってしまってるんだと思います。

でも「古典」とかだと言葉なのでホントに興味がある人しかやろうと思いませんが、水墨画は墨と水で描いた絵画です。そこにはいくらでも可能性があります。たとえばモノクロ写真みたいな絵を描くことだってできるわけです。

水墨画の特徴であるにじみとぼかしを上手に使えば写真みたいな、いや、写真よりも立体的な絵を描くことだってできます。

モノクロ者人はカラー写真が出てくるまではそれが普通に写真として使われていました。

でも技術が進んでカラー写真が出てくると、モノクロ写真の価値が変化して、「アート」ととらえられるようになりました。

モノクロ写真ってそれだけでカッコいいとか雰囲気ありますよね。

カラーが当たり前になった現在でも至るところでモノクロ写真は使われています。それだけ「アート」としての価値があるからです。

じゃあ同じモノクロの水墨画にだってその可能性はじゅうぶんあるはずです。

むしろ写真よりも自由がきくという意味では水墨画のほうが有利なのでは?とすら思っています。

写真では絶対にできない表現をすればそこに価値は生まれるハズ。