オリジナルの絵が生まれるまでの道のり

こんにちは。水墨画家のDと申します。

今回は「オリジナルの絵が生まれるまでの道のり」というテーマで能書きをたれていこうと思います。

オリジナルの絵はいろんな人のマネをしてそれを組み合わせることで生まれてきます。

 

人のマネだとオリジナルじゃないのでは?

 

と思うかもしれませんが、すべての創作物はマネから始まっていて、絵も例外ではなく「マネ」から入っています。

 

いちばん最初の絵は実物のマネ

 

この地球ができてからいちばん最初に絵を描いた人は、何のために絵を描いたのでしょうか?

もともと「絵」は情報を伝えるための手段でした。

いちばん古い「絵」として残っているのは今から何万年も前の洞窟の中の壁画です。

当時は主に狩りをして生活をしていた石器時代で、現在のようなハッキリした言葉があったのかなかったのかはわかりませんが、その絵が馬とか牛とか野生の動物を描いていたことから、「狩り」に関する何かを伝えようとしたものだということがわかります。

要するに姿、形をわかりやすく絵にすることでそれがどんな動物かを伝えやすくしたんですね。

馬の絵を描いて「こんな見た目の動物は物とか人を運んだりするのに便利だから殺しちゃダメだよ」とか牛の絵を描いて「こんな見た目の動物は食用にするから息の根を止めるんだよ」ということを伝えるために絵を描いていました。

この絵はいわばいちばん最初の絵です。

この絵ですら、もともと実在する動物とかをマネて描かれたものです。

絵は「伝える手段」から人々を楽しませる「芸術」へと進化していきましたが、「何かをみて絵を描く」という本質的なところは大昔から何も変わっていません。

 

つまり、そもそも絵はマネから入ったということが言えます。

 

オリジナルの絵を描く方法

 

これまで数え切れないほどのいろんな絵画作品が世の中に誕生してきましたが、その中には「これあの絵の構図と同じじゃん」みたいなものもたくさんあります。でもそれをオリジナルの作品として世に出してたりします。

「パクり」か「オリジナル」かの境界線ってすごく曖昧なもので、明確な基準なんてありません。

その絵を見たたくさんの人が「パクリだ!」って言ってしまえばパクリになっちゃうし、気づかなければオリジナルになります。

非常にさじ加減が難しいところですが、ひとつ言えるのは、どんなアーティストでも影響を受けた作品とかアーティストのテイストは出てしまうもの、ということです。

わかりやすいところでいうと漫画家の藤子不二雄氏は同じく漫画界の神様・手塚治虫氏の影響をモロに受けすぎています。面白いぐらいそのまんまだったりします。

藤子不二雄氏がデビューした当時のことは知りませんが、もしかしたら「手塚治虫のパクリじゃん!」って思ってた人もいるのかもしれません。それぐらい絵のタッチとか、ストーリーの内容とかめちゃくちゃ似てます。

でもパクリという印象はなくて、まったくの別モノに感じるから面白いですね。

藤子・F・不二雄氏も手塚治虫氏もすでに他界されていて、おふたりとも漫画界の神様のような存在です。僕も尊敬の念が絶えません。

 

そこに尊敬の念があれば、愛情をもって作品を描けばそれはパクリの域を越えてしまうこともあるのかもしれません。

 

というわけで、オリジナルの絵を描く方法をいくつか解説します。

 

①構図をそのまま流用してみる

 

いろんな作品を模写していると「この絵ステキだなぁ、こんな絵描いてみたいなぁ」っていう作品に出会えることがたくさんあると思います。

その作品の構図をそのまま流用してまったく違う絵に仕立ててみるのです。

 

たとえば上の絵は元ネタはこれです。

とある本の表紙を考えていたときにこの写真がすごく雰囲気があっていい感じだなぁと思って使ってみたのですが、使ってみるとイマイチしっくりこず、じゃあ自分で考えてみようってなってできあがったのがこれです。

構図とか雰囲気とかそのまんまです。

でも人物のモデルは全然違う誰かさんです。まぁ、でも「パクリ」ですよね。でもたぶん言わなければわからないことなので黙っといてください。

これがオリジナルを生むひとつのパターンです。

 

②2枚以上の構図を組み合わせてみる

 

絵は多くの場合、登場人物(モチーフ)と背景で構成されています。

たとえばこの絵は馬がモチーフで背景は夕焼けの牧場です。

たとえばモチーフだけを残して背景を変えてしまうとこんな絵になります。

全然印象が違いますよね。たぶん撮った本人でもなかなか気づかないんじゃないかというレベル。

馬を反転させたらもう完全に別モノになります。

肝心なのは「パクリ」でイヤな思いをする人がいるなら絶対やってはいけないということです。

フリー素材ならいくらマネしても問題はありません。

そんな例をもうひとつ。

この絵は僕が描いた作品です。赤ちゃんが夕焼けの浜辺で黄昏てるという、なんともノスタルジックな雰囲気の絵ですが、これは実は2枚の写真を組み合わせて描いたものです。

これと

これです。どちらもフリー素材なのですが一応それぞれ反転させています。

これなんかはどこかの森でみつけたセミと夕焼けを組み合わせて描いたものです。

これはフリー素材とかではなく自分で撮った写真を組み合わせて描いたものです。

それぞれまったく何の関係もない写真を組み合わせるとまったく新しい絵が生まれたりします。

ほかにも、写真に限らず、テレビで流れてる映像とか、映画のワンシーンとかいろいろなものを組み合わせると全然違うものが生まれたりするのでいろいろためしてみてください。

著作権にはじゅうぶんご注意ください。

 

生まれたときからマネをして生きる術を学んできた

 

そういえば、そもそも僕ら人間は赤ちゃんのころからそばにいる親とか大人のマネをすることで言葉とか生きていくためのいろんな動きとかを覚えていったなぁと思い出しました。

生きる手段はたくさんあって、決して身近にいる大人だけじゃなくて、友達とか学校の先生、遠く離れた場所にいる外国の人、いろんな人のいいところをマネして育ってきたので、絵も同じようにいろんな人のマネをしてそれぞれのいいところを場面場面でチョイスして引っ張り出して組み合わせることでオリジナルの絵は生まれます。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください