水墨画で有名な雪舟の生涯と作品をしらべてみた

水墨画で有名な画家といえば雪舟ですが

彼がどんな生涯を歩んでいたのか、どんな人物だったのか、

どんな作品を描いたのか、調べてみたので紹介したいと思います。

 

雪舟ってどんな人?


出典:wikipedia

雪舟は日本の水墨画の礎を築いた人物です。

墨を使った画自体はいちばん古いもので奈良時代からありましたが、

主だったのは木簡、典籍、壁画でこのころは水を使った

「ぼかし」や「にじみ」は使っていない墨絵でした。

絵画としての墨絵ではなく仏画などのお堅い絵だったのです。

雪舟はそんなお堅い墨絵を絵画としての水墨画に発展させたすごい人です。

そのすごさは雪舟の作品6点が国宝に指定されています。

ほかの名だたる画家でもここまでの評価は受けていないことから

日本国内では最大級の高評価を受けた画家であることは間違いありません。

 

雪舟の生涯

 

雪舟は1420年、今の岡山県総社市、当時の

備中赤浜というところで産まれたとされています。

亡くなったのは1560年の8月8日(9月16日)

これには諸説あって没年はあくまで推定のものだそうです。

戦国時代のややこしい世の中だったので

あまり記録が残らなかったのかもしれませんね。

 

ほかにも雪舟はかなり不器用な人だったという説もあり、

あまり多くをしゃべらない無骨な男だったからこそ

記録が残っていないのかもしれません。

 

そんな雪舟は幼いころから絵が好きだったようです。

武家に生まれた雪舟少年は幼少のころに宝福寺というお寺に

禅僧、つまりお坊さんになるために修行に入ります。

このころは修行の一環として水墨画を描くというのがあったので

雪舟にしてみれば最高の場所だったのではないでしょうか。

そして雪舟少年は10歳になると

京都の相国寺に移って天章周文という人物に絵を習います。

天章周文という人物はほかにも優秀な画家を弟子を育てたことから

かなりの人物であったことがわかります。

そんなすごい人の弟子になるということはこのころからすでに

かなりの才能を発揮していたのではないでしょうか。

雪舟は1454年。34歳のときに今の山口県山口市で当時のお殿様、

大内氏の援助を受けて「画室雲谷庵」というアトリエを構えます。

それまで何をしてたのかは謎です。

そして1465年ごろから「雪舟」と名乗るようになったといわれています。

それまでは「拙宗」と名乗っていたそうです。

これにも諸説あるらしく、別人なのではないか?という人もいるみたいですが、

同一人物だろうという説がかなり有力になりつつあるとのことです。

 

雪舟さん謎多すぎ。。。

 

そしてそれから2年経った1467年には雪舟の生涯の中で大事件が起きます。

水墨画の本場、中国に渡って約2年間本格的な水墨画を李在という人物に学びます。

このころに天童山景徳禅寺というところで

「四明天童山第一座」という称号をもらっています。

北京で政府の建物の壁に絵を描いてかなりの評判になったそうです。

今でも中国のあちこちに雪舟の作品は残っているらしいです。

雪舟は中国の昔の画家の作品に興味を持って模写して勉強していました。

中国大陸の自然の風景に感動して「風景こそ最大の師」と悟ったそうです。

それから帰国して日本各地を回って風景を写生し、

のちに国宝に指定されたりする多くの作品を描きました。

いろいろ調べてみましたがとにかく謎だらけです。

雪舟さん。

 

雪舟の作品

 

代表作です。

国宝

 

・「紙本墨画秋冬山水図」


出典:wikipedia

・「四季山水図巻(山水長巻)」


出典:wikipedia

・「紙本墨画山水図」


出典:wikipedia

・「慧可断臂図」


出典:wikipedia

・「天橋立図」


出典:wikipedia

・「山水図」


出典:wikipedia

雪舟の作品は

 

東京国立博物館毛利博物館京都国立博物館山口県立博物館

岡山県立博物館香雪美術館出光美術館益田市立雪舟の郷記念館

などで見ることができます。

 

さすがにいろんな場所で作品を見ることができますね。

 

雪舟のエピソード

 

雪舟のエピソードとして有名なのが

「絵が好きだった雪舟少年は修行もろくにせず、絵ばかり描いていた。

修行に身を入れさせようとした住職は雪舟少年を

柱に縛り付けて反省するように促した。

夕方様子を見に行った禅師は逃げようとする1匹のねずみを見つけ、

捕まえようとしたが動かなかった。よく見るとそれは

雪舟少年が流した涙を足の親指で描いたものであったという。

その絵に感心した住職はそれ以来雪舟が絵を描くことを一切咎めなくなった。」

というのがあります。

さすがに水で床に描いたねずみを本物と間違えることはないと思うのですが。笑

この説は江戸時代の画家、狩野永納が出版した本からなので

作り話である可能性が高いですが、手が動かなくても

足で絵を描くぐらい絵が好きだったということでしょう。

だからこんな逸話が生まれたんですね。

 

この話をはじめて聞いたときは「どんだけ絵好きやねん」と思いましたが、

たぶん僕もそんなことしたんだろうなぁと思います。

一緒にすんなってつっこまないでください。

 

ほかにも

当時画壇を支配していた狩野派が雪舟を師と仰いでそこから一気に

雪舟の人気が高まって各地の殿様が雪舟の絵画を求めたという話があります。

 

 

今なお人気が高い水墨画家・雪舟

 

生涯を閉じてから500年経っていますが、

いまだに多くの人を魅了してやまない雪舟。

その人気は海外にも及び、1956年に開かれた世界平和会議で

世界平和文化人として雪舟が日本代表に選ばれています。

その記念としてロシアとルーマニアでは雪舟の切手が発行されたそうです。

外国の切手になった最初の日本人が雪舟だったのです。

素晴らしいですね。雪舟さん。

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