水墨画で有名な雪舟の生涯と作品をしらべてみたらすんごい人だった

水墨画で有名な雪舟という画家がいます。水墨画といえば雪舟の名前が浮かぶ人も多いと思います。

彼の水墨画に対する執念はすさまじくて、彼がいなければ今日の水墨画という文化がどうなっていたかわかりません。それほどに彼のやってきたことは偉大で後世に多大なる影響を与えました。

そんな雪舟のもっとも有名なエピソードがこれです。

「絵が好きだった雪舟少年は修行もろくにせず、絵ばかり描いていた。修行に身を入れさせようとした住職は雪舟少年を柱に縛り付けて反省するように促した。夕方様子を見に行った禅師は逃げようとする1匹のねずみを見つけ、捕まえようとしたが動かなかった。よく見るとそれは雪舟少年が流した涙を足の親指で描いたものであったという。その絵に感心した住職はそれ以来雪舟が絵を描くことを一切咎めなくなったという。」

この説は江戸時代の画家、狩野永納が出版した本からの引用で、作り話の可能性が高いと言われています。でも大事なのはそれが真実か否かではなく、そんな逸話が残るぐらい、手が動かなくても足で絵を描くぐらい変態的に絵が好きだったというその「根性」「執念」が素晴らしすぎることです。

僕はこのエピソードが大好きで「どんだけ絵好きやねん」というツッコミとともに、尊敬の念を抱きました。たぶん僕もそんなことしたんだろうなぁと。#一緒にすんな

ほかにも当時画壇を支配していた狩野派が雪舟を師と仰いでいて、そこから一気に雪舟の人気が高まって各地の殿様が雪舟の絵画を求めたという話もあります。

そんな偉大な雪舟はどんな人物で、どんな生涯を送ったのか?それを紐解いていきたいと思います。

 

 

雪舟の人物像

 


出典:wikipedia

雪舟は日本の水墨画の礎を築いた人物ですが、元々は僧、つまりお坊さんでした。当時はお坊さんの修行の一環として「水墨画」があったそうです。

墨を使った絵自体はいちばん古いもので奈良時代からありましたが、主だったのは手紙、書籍、壁画で、「ぼかし」や「にじみ」を使っていない『墨絵』でした。

水墨画と墨絵の違いとは?画像付きで解説

しかもその墨絵もいろんな人が楽しめるようなものではなく、仏画みたいなおカタイ絵が主流だったようです。仏画を楽しむとか言っちゃったらすごく罰当たりだったんでしょう。

雪舟はそんなおカタイ墨絵をみんなが楽しめる「絵画としての水墨画」に発展させました。

雪舟は「作品6点が国宝に指定されて」いるすんごい人です。1点じゃないですよ?6点もの作品が国の宝です。ほかにそんな画家日本にいないです。

ほかの名だたる画家でもここまでの評価は受けていないことから日本国内では最大級の高評価を受けた画家であることは間違いありません。

 

雪舟の生涯

 

雪舟は1420年、今の岡山県総社市、当時の備中赤浜というところで産まれました。※諸説あり

亡くなったのは1560年の8月8日(9月16日)これにも諸説あって真実は闇の中です。戦国時代のややこしい世の中だったのであまり記録が残らなかったのかもしれません。

ほかにも、雪舟はかなり不器用な人だったらしく、あまり多くをしゃべらない無骨な男だったからこそ記録が残っていないという説も。

そんな雪舟は幼いころから絵が好きだったようです。武家に生まれた雪舟少年は幼少のころに宝福寺というお寺に禅僧、つまりお坊さんになるために修行に入ります。このころは修行の一環として水墨画を描くというのがあったので雪舟にしてみれば最高の場所だったに違いありません。

そして雪舟少年は10歳になると京都の相国寺に移って天章周文という人に絵を習いはじめます。

天章周文という人は、ほかにも優秀な画家の弟子を育てたらしいので、かなりの人物だったのは間違いありません。そんなすごい人の弟子になるということはこのころからすでにかなりの才能を発揮していたんですね。それにしても10歳ですでに自分の将来のことを覚悟決めてるのってすごいですね。僕が10歳のころは同じように絵を描いてはいましたが、そこまで覚悟を持ってできませんでした。カブトムシ追っかけてました。

そこから一気に4半世紀とんで時は1454年。雪舟が34歳のときに今の山口県山口市で当時のお殿様、大内氏の援助を受けて「画室雲谷庵」というアトリエを構えます。

それまで何をしてたのかは謎です。

そして1465年ごろから「雪舟」と名乗るようになったといわれています。それまでは「拙宗(せっそう)」と名乗っていたそうです。これにも諸説あるらしく、別人なのではないか?という人もいるみたいですが、同一人物だろうという説がかなり有力になりつつあるとのことです。

雪舟さん謎多すぎ。

そしてそれから2年経った1467年には雪舟の生涯で大事件が起きます。水墨画の本場、中国に渡って約2年間本格的な水墨画を李在という人物に学びます。

このころに天童山景徳禅寺というところで「四明天童山第一座」という称号をもらっています。北京で政府の建物の壁に絵を描いてかなりの評判になったそうです。

今でも中国のあちこちに雪舟の作品は残っているぐらい中国が大好きだったようです。中国は水墨画の本場なので彼のワクワクしてる顔が目に浮かぶようです。雪舟は中国の昔の画家の作品に興味を持って模写して勉強していました。

中国大陸の自然の風景に感動して「風景こそ最大の師」と悟ったそうな。それから帰国して日本各地を回って風景を写生し、のちに国宝に指定されたりする多くの作品は、水墨画の本場、中国に渡って大陸の大自然を肌で体感したからこそ。

自然から感じられる「圧倒的なパワー」はアーテイストにとってものすごいエネルギーになるのは僕も同じです。#だから一緒にすんな

 

 

雪舟の作品

 

代表作です。

国宝

 

・「紙本墨画秋冬山水図」


出典:wikipedia

・「四季山水図巻(山水長巻)」


出典:wikipedia

・「紙本墨画山水図」


出典:wikipedia

・「慧可断臂図」


出典:wikipedia

・「天橋立図」


出典:wikipedia

・「山水図」


出典:wikipedia

雪舟の作品は

 

東京国立博物館毛利博物館京都国立博物館山口県立博物館

岡山県立博物館香雪美術館出光美術館益田市立雪舟の郷記念館

などで見ることができます。

さすがにいろんな場所で作品を見ることができますね。

 

今なお人気が高い水墨画家・雪舟

 

生涯を閉じてから500年経っていますが、いまだに多くの人を魅了してやまない雪舟。

その人気は海外にも及び、1956年に開かれた世界平和会議で世界平和文化人として雪舟が日本代表に選ばれています。その記念としてロシアとルーマニアでは雪舟の切手が発行されたそうです。

外国の切手になった最初の日本人が雪舟だったのです。すごすぎです、雪舟さん。

 

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