愛って何なのかと疑問を持った時点で幸せなんだということ

愛という言葉に疑問を抱くのはいつごろでしたか?

成長していく過程で「誰にも愛されてない」とか

「愛するってどういうこと?」とか、

そんなことを思い始めるのってだいたい思春期に

差しかかるぐらいだったんじゃないかと思います。

もしかしたらもうちょっと遅いぐらいかもしれませんね。

 

まーそのへんです。

 

というわけで愛について考えてみました。

 

愛という言葉の意味

 

 

愛: そのものの価値を認め、強く引きつけられる気持ち。

かわいがり、いつくしむ心。

 

 

愛という言葉を調べてみたところ

どれもこれも抽象的で、これといった定義は特にないようです。

 

にもかかわらず、いや、だからこそというべきか、

愛をテーマにしたものが世の中にはゴロゴロあふれております。

 

それぞれが違った形で愛を表現してて、

そんな形の愛もあるんだなと思うこともしばしば。

 

親子の愛、男女の愛、師弟愛、兄弟愛、家族愛。

 

どれもこれも共通して言えることは

思いやりの気持ちがあるということです。

 

それをまわりが見たときに「そこに愛がある」と

感じることができたらそれが「愛」であって、

だいたい当の本人たちは無意識ですよね。

 

たとえば、

お腹を空かした母親と小さな子どもがいて、

食べるものがパンひとつだけ。

 

 

そんな状況で母親のとった行動は

自分が食べたい気持ちを我慢して小さな子どもに

「全部食べていいよ」と言ったら子どもは喜んで食べる。

 

その喜んでる姿を見て母親は胸がいっぱいになる。

自分がお腹を満たすことよりも小さな子どもが

お腹を空かしてるのを見ることのほうが忍びない。

 

それは母親の子どもに対する愛です。

 

子どもがそんな母親を見て、

「お母さんも食べて」なんて言ってきたら。

 

僕が母親だったら号泣します。

こんなにも小さい子が

大人である私のことを想ってくれてる。

自分もお腹ペコペコなはずなのに。

 

母親は子どもにそんな気持ちが

あるというだけでお腹いっぱいになるはず。

 

お互いがお互いを思いやってそれぞれ行動に移した。

 

この親子の間にはあふれんばかりの愛があります。

 

でも当の本人たちは

そのときに愛とかそんなこと考えたでしょうか?

 

おそらく考えてないですよね。

 

まわりから見たときにはじめて

「それって愛よね」とうなずくぐらいです。

 

これが俗にいう「愛」という言葉の意味ですね。

 

愛とはつまり「思いやりの心」なんですね。

 

愛を感じれるかどうか

 

 

 

さっきの親子の話を聞いて涙腺崩壊しそうになったり

胸がジーンと熱くなるような人は愛を知ってる人です。

 

自分がそういうことを経験してなかったら

そういう人の気持ちがわからないので。

 

人はそういうときに自分と重ねるという心理が働きます。

 

重ねることができるのは

過去に自分にもそういう経験があるから。

 

経験がないとそれがなんなのかすらわからないですもの。

 

それを感じることができるということは

「愛」をすでに知っているということです。

 

あとはそれをどう解釈するかで

愛にあふれた人間になるかどうかが変わります。

 

愛は千差万別

 

 

愛とはつまり、相手を思いやれるかどうかということです。

 

人それぞれ感じかたが違うので

相手が何に喜びを感じるかどうかを知ることも思いやり。

 

一方的にこれは喜ぶだろうと思ってみても

それがホントに喜ぶかどうかはやってみないとわからないものです。

 

「愛してる」という言葉で喜ぶなら

恥ずかしさを捨ててその言葉を言うのも思いやりです。

 

それが愛なのかどうかはまわりが判断すること。

思いやりが育っていったらそれが「愛」になります。

 

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