「失敗したらどうしよう」は成功への道を遠ざけてしまう

失敗することを恐れて何もしなかったらその後の後悔は一生残ります。

 

いちばんツラいのは

「やってみればよかった」

とか

「やってたらどうなってたんだろう?」

です。

 

こればっかりはやってみないことには答えはみえません。

 

そして「やってみればよかった」よりも、「やってたらどうなってたんだろう?」の方がなんかはるかにツラい、というか、胸にポッカリ穴が空いたような感覚になります。

 

その穴はマリアナ海溝のようにだだっ広くて、底がみえない感じで、どーなってるか暗くてみえないし、想像もつかないから何もわかりません。

 

そりゃそーです。

 

やってないんだもの。

 

 

「やってみればよかった」の方がまだ傷が浅い理由は、まだちょっと距離があるような感じがするからです。

 

やってみたかったけど実際には手が届かない場所にあってあまり現実味がない、みたいな感じ。

 

でも。

 

「やってたらどうなってたんだろう?」

 

は、ちょっと手を伸ばせば届くところにあります。

だから余計に後悔の念が強い。

 

どっちみち、「やっておけばよかった」の後悔は変わりません。

 

 

ちょっとでも足を踏み入れてみて、その上で「やっぱりムリだ」と判断したなら全然いいんです。

その世界をみて、自分の実力の限界をみてしまったりした上での判断なので。

 

やりもしないで。

 

ムリだとか決めつけてしまったり。

 

失敗を恐れてしまったりしてやらないまま時が過ぎていくと。

 

その後悔は一生消えることはありません。

 

 

もし勇気を出して一歩踏み出せてたら、うまくいってた可能性はじゅうぶんにあったかもしれない。

 

…みたいな感情をずーっと背負って生きていかないといけません。

 

ただ。

その「やらない」を選んだことを「失敗」とするなら。

 

その失敗をただの失敗で終わらすかそれを糧に成功へと導くかは自分次第です。

 

その「失敗」を選んだのは自分自身で、もう二度と取り戻すことはできません。

 

なので、それをどう生かすかを考えればいい。

 

「やらない」を選んだことが後悔につながってしまったので、その後の人生では「やらない」という選択肢を消せばいい。

なんでもかんでも「とりあえずは一歩を踏み出してみる」という方向に変えればいい。

 

そういう意味でいうと、とりあえず今、こうしてネタにして人生の教訓として伝えることはできているので、失敗が失敗のまま終わる、ということは回避できそう。

 

バスケットボールの神様、マイケル・ジョーダンの名言にもありました。

 

「何かを始めることは怖いことでない。怖いのは何も始めないことだ。」

 

「私は9000回以上シュートを外し、300試合に敗れた。決勝シュートを任されて26回も外した。人生で何度も何度も失敗してきた。だから私は成功したんだ。」

 

と。

 

他にもそういうことをおっしゃっている偉人や著名人はたくさんいらっしゃいます。

 

でも、こういうのって自分で経験してみてはじめてその言葉の重さがわかるというか。

 

やらない選択肢を選んだことで襲ってきた後悔は二度と取り戻すことはできないけど、やってみて失敗した経験は後の人生でいくらでも生かすことができる。

 

っていうことが骨身に染みて理解できたのも、やらないっていう選択を選んだからであって。

そこらへんの微妙な心境というか、精神状態をミリ単位で把握できるようになったのはすごくこれからの人生においてはプラスに働くなーと思っとります。

 

とりあえず。

あーだこーだ考えることはたくさんあるとは思います。

でも、頭の中だけで考えれることって限界があります。

ある一定のところまで考えたら後はやってみないとわからないことだらけ。

 

なので。

一歩だけ踏み出してみましょう。

 

動かないとわからないことがたくさんあります。

そこからまたたくさん考えればいい。

 

失敗したらそれを糧にして次の手を打つ。

そうすれば少しずつ成功へと近づいていきます。

 

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