こんにちは。水墨画家のDと申します。
絵を描く時、頭の中にあるイメージをそのまま描いたつもりでも、「あれ…?なんか思てたんと違う、、、」なんてことがわりとあると思います。
それを解決します。
原因はおもにふたつ。
①頭の中のイメージがボヤけている
②シンプルに技術が足りてない
詳しく解説します。
頭の中のイメージがボヤけている
そもそも絵を描くっていうことは、頭の中に描きたいイメージがあって、それをもとにエンピツとか筆を走らせて紙の上に線を描いて形を作っていく、っていう作業を延々と繰り返すことです。
#伝わってますでしょうか
それはつまり。
頭の中にあるイメージが明確でハッキリしてるほど、ステキな絵が描きやすいってことです。
文字でたとえるとわかりやすいです。
平仮名とかカタカナとか、文字って普通に書けますよね。特に何も意識することなく、まばたきをするかのごとく自然に。おそらく平仮名とカタカナに関しては書けない人はいないんじゃないかと。
それは、その文字の形が頭の中にちゃんと明確にハッキリと保存されてるからです。
たとえば平仮名の「あ」だったら。
横線書いて縦線書いてそれに絡み合うようにぐるっとひと回りして…っていう一連の流れが頭の中に明確にイメージできてるから文字って書けるのです。
明確にイメージを持てるのは、画数が少ないからです。「あ」なんてたった3本の線でできてるので、すこぶる覚えやすいのです。しかも小さい頃に書けるようになるまでひたすら書かされてるので、書けない大人はいないほど頭の中にガッツリ植え付けられております。
…と、まぁ文字ならそんな感じで誰でもいとも簡単に書けてしまいます。
これが漢字になると少しレベルが上がって書きにくくなります。
原因は、平仮名と違って漢字は線の数が多くなるからです。
平仮名だったら多くても5画程度ですが、漢字は多くて20画以上。
そうなると覚えれる人とそうでない人が出てきます。
「鬱」
こんな漢字になるともう画数多いし変な形してるしで、パッと書ける人はなかなかいません。
ただ、画数が多くても、わりと頭の中にイメージを残しやすいものもあったりします。
それが画数の少ない漢字の組み合わせの漢字。
たとえば「競」。
画数でいうと20画で漢字の中でもわりと画数が多い方ですが、よく見ると「立」と「兄」という、5画の簡単な漢字を縦に重ねて組み合わせたものがふたつ横に並んでるだけです。
なので、極端な話、文字を書くのって平均5本ぐらいの線が書けたら成立してしまうわけですね。
#しかも漢字は生きていく上で必要なものだし
#生きていく上でというか
#覚えさせられるから
人間の許容範囲の線の数って平均10本ぐらいで(たぶん)、線の数が多くなればなるほど覚えにくくて、頭の中のイメージがボンヤリしてしまうのです。
これが絵になると線の数は一気に増えて、漢字の比ではないので、もっとボンヤリしてしまいます。
たとえば某国民的キャラクターのこの人。
これでもすこぶるシンプルな仕上がりになっていますが、それでも線の数は軽く20本を超えます。ヒゲを除けば14本になるので簡単そうな感じがしますが、それでも描けない人の方が圧倒的に多いのが現実です。
まず文字とは違って曲線が多いことが原因のひとつです。曲線を描くときは直線と違って指の力の入れどころがコロコロ変わるので描きにくいのです。
描きにくいものは比例して頭の中にイメージとして残りにくいものなのです。
あと、絵を描くことは、生きていく上でべつにそこまで重要ではないことが原因のひとつです。
文字は社会生活をする上で必要不可欠なもの、という認識が強いので強制的に何度も何度も書かされます。だからどんな人でも平仮名カタカナぐらいはスラスラ書けるほど頭の中のイメージが鮮明になっているのです。
でも絵はべつに描けなくたって生きていくには何ひとつ困ることがない。
それが現実なのです。。。
まぁ、とはいえ。
描きたいと思ってるからこそ今これを読んでくれてるわけなので、めげずに解説を続けます。
そんな感じで、絵は曲線だらけで頭の中にイメージが残りにくいので、絵を描く時はその元になる絵とか写真(モチーフと呼びます)を横に置いてそれをみながら絵を描きます。
これをそっくりそのままモチーフの通りに描くのを「模写」と呼んだりします。
人の脳ミソは写真ほど精密に記憶できなくて、情報量が多くなればなるほどそのイメージは曖昧になってボンヤリしてしまいます。
先ほどの某国民的キャラクターみたいに線の数が少なくてシンプルな仕上がりだったらパッと見ただけで描ける人も少なくありません。
でも、線の数がすこぶる増えるようなモチーフ、たとえばリアルな馬とかの場合は、いっぺんに頭の中にそのイメージを保存することは難しいです。
なので横にモチーフの絵や写真を置いてそれをみながら少しずつ描いていくことで、そのモチーフのイメージの細かいところまで頭の中に置いておくことができます。
これはプロの絵描きの人でもそうで、漫画家さんとかはいろんな資料を取材して集めたりしてその資料をみながら漫画を描いたりしています。
キャラクターを描く時に人体模型を置いてポーズをとらせてそれをみながら描いたりとか。
プロでもそんな感じなので、僕ら人間の脳ミソのスペックってそんなに大したことないんだっていうことなのです。
何も見ないでスラスラ〜っと絵を描くことができたらそんなにカッコイイことはないですが、それは人間の能力的に限界があるということです。
具体的にどこをみればいいのか?
頭の中のイメージを明確にするためにはモチーフの細かいところをしっかり観察することが大切です。
たとえばこの馬の写真だったら。
・輪郭の線はどこにあるのか?
・頭、首、体、足などの全体的な体のバランス
・目と鼻と口の位置関係
・骨格
・筋肉の付き方
・顔の表情
・光とカゲのバランス
・風が吹いているのかいないのか
…などなど、細かいところまでよーく観察すれば頭の中のイメージはより明確なものになっていきます。
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頭の中のイメージがボヤけるっていうのはそういう感じです。
それは元になるモチーフを横に置けば一瞬で解決することで、それができないのは単に描く技術が足りてないだけです。
技術が足りてない
先ほどから申し上げておりますように、絵は線の集合体です。
エンピツを思い通りに動かして紙の上に足跡を残す、みたいな感じのことをしたのが「線」です。
シンプルな絵でも、直線やら曲線やらいろんな線がたくさん複雑に絡み合って絵はできあがっております。
いくら頭の中のイメージを明確にできても、思った通りに線を描くことができなかったら、絵はすこぶるブッサイクな仕上がりになってしまいます。
思った通りに線が描けないのは、脳みそが「こう動かして」って指示を出した方向に手が動いてくれないっていう状態です。つまり、脳みそと手がうまく噛み合ってないのです。
これを解決する方法はひとつだけ。
体に線を描くことを覚えさせるしかないのです。
こればっかりは、人それぞれ感覚が違うので、こうしてみたらいいんじゃない?っていうのがなかなか言えません。
何回も何回も線を描いて、その中で「こうすれば上手くいく」っていう感覚を少しずつ掴んでいくしかないのです。
絵を描くための線は大きく分けると2種類しかなくて、「直線」と「曲線」。
このふたつです。
そこから細かく分けていくこともできるのですが、めんどくさいことになるのでやめときます。
大丈夫です。
文字は書けるので、絵を描くための線も必ず描けるようになります。
あ。
ひとつだけお伝えできることがありました。
エンピツの持ち方です。
文字を書く時はエンピツの端っこの方をわりと力を入れて持つと思うのですが、
絵を描く時はエンピツの真ん中あたりを、できるだけ力を抜いて持った方が思い通りの線を描くことができます。
絵が上手い人ってだいたいこんな感じでエンピツを持ってることが多いので、ぜひお試しくださいませ。
絵を描く時の手の動きは、めちゃくちゃ細かいことを求められる場面が多々あります。
特に人物画とかだと、顔のパーツが1ミリズレただけで別人になってしまうことがけっこうあります。
なのでミリ単位の調節は絵を描く上では必須アイテムで、身につけておいて損はないものです。
うまくいけばこんな絵だって描くこともできるようになります。
まとめ
絵は苦手な人が多いですが、文字をスラスラ書けるのも、絵をスラスラ描けるのも、同じように積み重ねた結果なのです。
なので文字が書けるんだったら絵も同じように描けるようになります。
先ほども言いましたが、文字に比べて絵には理由がないだけです。
文字は上手くなくても形がある程度わかれば伝わるのでそれでじゅうぶんです。
でも絵が描けないといけない理由なんかどこにもない。生きていく上で必要不可欠なものでもない。だからよっぽどのことがない限り絵が上手くなろうとは思わないのです。
絵を描く人はよっぽどのことがあったから絵の練習を積み重ねたのです。
その「よっぽど」の内訳は「絵を描くことが好きだから」です。
好きだから続けられるんです。
夢中になれるんです。
絵を描くことが少しでも楽しいと感じてもらえたら幸せです。
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