ひとくちに芸術、アートといってもそれに対する考えかたは
その人の数だけ存在します。
たまーに似通った人もいることはいますが、ぴったり一致することは
ほぼ皆無といっていいんじゃないでしょうか。
僕の個人的な考えかたをここでぶわーっとさらけ出したいと思いますので
おヒマなかたはおつきあいください。笑
芸術・アートってなんだ
世の中には数々の芸術作品がありますよね。
絵画、音楽、彫刻、建築、映画、文学などなど数えればキリがありません。
考えかたによっては文字で表現する小説とかエッセイとかも
芸術に・アートに含まれるのではないかなと思います。
僕はこのうちのふたつ、音楽と絵画にどっぷりハマりました。
そしてどちらも人を喜ばせる作品を数多く作ることができました。
人を喜ばせるということはその人に何かが伝わるということです。
作品に込められた何かによって見たり聴いたりした人たちが
僕の作品に触れることで何かしら心を揺さぶられたからこそ、
その人は喜ぶ事ができました。
心を揺さぶられるというのは
自分の中の想像をはるかに超えた時に起こる現象です。
ありきたりだったり想像の範囲内だったら心が揺さぶられるなんてことはありません。
僕自身そういう経験は数えきれないほどあります。
それは芸術というものに全く興味がなかった時でも起こりました。
おそらく誰でもそういったことは経験してると思います。
最初にそれを経験したのは小さいときに漫画を読んだときでした。
小さいころ読んだドラゴンボールやドラえもんをで心が揺さぶられました。
そのときにどんな揺さぶられかたをしたのかははっきり覚えていませんが
このふたつの作品は大人になっても何回も読みたくなる、触れたくなる作品です。
このふたつの作品に出会っていなければ、
この僕「世界一の水墨画家D」は誕生しなかったでしょう。
それぐらいのインパクトを与えてくれた芸術作品です。
音楽という芸術に触れた瞬間
僕はバンド活動をしていましたが、バンドをするまでは
音楽なんか大嫌いでした。
音楽の授業なんかこれっぽっちも覚えてないし、歌のテストとか
楽器のテストなんか仮病を使ってやろうかというぐらいイヤだったし
流行の音楽とかも一切興味がありませんでした。
そんな僕も中学3年生ぐらいになるとまわりとの調和をはかるために
オリコンチャートぐらいは知っておこうという思いで
金曜日の夜8時からやってる某音楽番組ぐらいは見るようになりました。
当時はテレビぐらいしか情報を得れるものがなかったんです。笑
まわりの友達とかもだいたいそれを見て翌日学校で話題になるというのが
通例の時代でした。今じゃ考えられませんねぇ…。
あるときその某音楽番組をみていたら、妹の影響でファンになった
Mr.Childrenの「名もなき詩」がテレビ初公開の回でした。
その当時のテレビって音めっちゃ悪かったんですよ。
映像も今と比べたら月とスッポンぐらい悪いものです。
そんな劣悪な環境下でも聴いた瞬間体に電撃が走ったのを今でも鮮明に覚えてます。
「なんだこの曲は!!!???」と。
その時はまだ音楽を始める前の状態です。
なのでそれほど音楽に興味があったわけでもないです。
それでも全身に電撃が走ったのは今でも忘れません。
そんな経験初めてのことですごく気持ちよくてなんとも言えない感覚でした。
その感覚をもう一度味わいたくてテレビを見た次の日に
すぐにCDを買いに行ったのを覚えています。
当時はたてに長いタイプのCDシングルだったんですよ。
わかる人にはわかるやつ。笑
のちに音楽やりだしてから分析したら心を揺さぶられるっていうのは
こういう事なんだなあということがわかりました。
人と共感してこその芸術・アート
芸術という言葉を調べたら
表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うことなどで、
精神的・感覚的な変動を得ようとする活動(Wikipedia参照)。
とあります。
中学のときの体に電撃が走ったあの体験はまさに相互に作用し合った瞬間でした。
この「相互に作用する」というのがすごく大事な事で、作った本人が
「うわっ、これすげえ!」ってならないと人の心を揺さぶることは不可能です。
だからいくら演奏するのが上手だったり描くのが上手だとしても、
それを本人が感動してないと何も伝わらないものです。
まれにそうでないものも共感を生むこともありますが。。
僕は18歳のときからライブハウスで音響の仕事をしていました。
たくさんのアマチュアバンドや個人の弾き語りなどをたくさんみてきました。
中にはそこからプロのミュージシャンになった人もいらっしゃいます。
そのときにそれは深く痛感しました。
いくら演奏するのが上手くても何も伝わってこないことって多々あるんです。
逆に、演奏技術は全然大したことない下手くそな人でも
物凄いモノが伝わってくる時も数え切れないぐらいあります。
それを肌で痛感したときに
「ああ、技術ってべつに必要ないんじゃね?」
とさえ思ったぐらいです。
もちろんそんな事はありません。
ちゃんと技術がないと伝えきれない事もたくさんあります。
その下手くそなバンドでももっと技術があったらもっといいのにな
、と思ったこともたくさんありました。
要は「人の心を揺さぶるナニカ」を持ったまま上手くなれば
それが1番イイんです。
なかなかそううまくはいかないもので、技術ばっかりに意識がいってしまって
伝えるということをおざなりにしてしまうんですよねぇ。
命を賭して作品に挑む
じゃあどうすればそんな「人の心を揺さぶるような作品」ができるのか?
その答えはたったひとつです。
その音楽だったり絵画だったりをどれだけ好きなのか、っていう事に尽きます。
自分の命を燃やしてそれに取り組めるかということです。
ドラムをやってる時にある有名なドラマーが
「おれはスティック2本だけ持って上京した」という事を言っていました。
それは言い換えると、ドラムだけでお金を稼いで食っていくという事を
腹くくって上京した、ということです。
それだけの覚悟を持っていかないと大成できない。
これを聞いたときに僕はドラムに対してそれは出来ないと思いました。笑
そこまでの覚悟は決める事ができなかったということですね。
ドラムに対しては僕はそこまで自信をもつことができなかったのです。
でも今仮に筆だけ持って上京できるかと問われた時に、
それなら喜んでやると答える事ができます。
絵に対してはそれだけの自信を持っています。
僕は音楽よりも絵を描くことの方が好きだったようです。
好きだから上手く描けるようになりたい。
上手く描いて自分が感動したい。
それを伝えて人を感動させたい。
そのためには自分がいろんな事に感動しないとだめです。
そうでなければ人の感動がわからない。わからないと何も伝わらない。
ただの自己満足で終わってしまいます。
どうせやるなら世界中の人の心を揺さぶりたいと考えてます。
それが世界一の水墨画家としての僕の使命であると。
そのために今日も僕は研鑽を積んでゆきます。