時代によって流行するものが変わっていくのが世の常です。
服装や髪型、食べ物、その他もろもろ…。
流行りモノはある一定の期間を過ぎるとすぐに忘れ去られてしまいます。
一発屋と言われる芸人とかまさにそうですね。
全然面白くも何ともないヤツが毎日のようにテレビに引っ張りだこになってることも
珍しくありません。それはそれでイイんだけどそこからどうするかによって
一発屋と呼ばれてしまうかその先もずっと活躍できるかどうかが変わってきます。
時代を超えるホンモノの芸術
芸術の世界も、流行りモノがあって音楽なんか特にどれもこれも似たような
リズムだったり曲調だったりします。それはそれで流行ってるから、
世間のみなさんがそれを望んでるという観点からそういうモノを作ろうってなるのは
それはそれで素晴らしいことだとは思います。
でも時には時代とか流行りとか関係なく
いつ聴いても古さをまったく感じさせないモノも間違いなく存在してて。
そういう音楽ってホンモノの芸術なんだろうなと思います。
クラシック音楽なんかはまさにその典型で、
だいたい16世紀とか17世紀とかに作られた曲がいまだにいろんなところで使われてたりします。
運動会のアレとか。G線上のアリアとか。
300年以上も昔に作られた曲なんですよ。あれ。
もはやそうなると流行りとか時代とかそんなことは関係なくなりますね。
いつ聴いてもイイものはやっぱりイイということが証明されてます。
色あせないモノ
メチャクチャわかりやすいのが山下達郎の「クリスマスイブ」とかですね。
あの曲がリリースされたのが1983年。30年以上経った今でもクリスマスになると
あの曲がいろんなところで流れてるし、やっぱりクリスマスシーズンに聴くとしんみりしちゃうし、
CMなんかでもあの曲で旬の俳優さんとか女優さんなんかを使ってたりしてても
全然古さを感じさせません。
僕は冬にあの曲を聴きながら自転車に乗って走っているとニヤニヤが止まりません。
なぜにそんなに時代関係なくいつまでたってもイイと感じるのか?
というのが気になって仕方がないのですが、このナゾはたぶん一生かかっても
解けないんだろうけどたぶんそうかなーと思うぐらいはなんとなくみえてきたのでここに記しておきます。
先ほどの「クリスマスイブ」でいうと、リズム的なところはガチガチの8ビートで、
コード進行もよくあるものです。転調してるわけでもなんでもないし、
この感じの構成だとどんなメロディをのっけてもある程度の曲には仕上がるんです。
よっぽど変なことをしない限りは。
なので特に変わり映えするものはなにも見当たりません。
曲の構成でいうとものすごいシンプルなものに仕上がっております。
それでも聴いた瞬間にそれとわかるし、その時に雪でも降ろうもんならもう鼻血が止まりません。
…と、いかにもな感じで分析してみましたがそんなことはホントにどうでもよくて
もはやリズムとかコード進行だとか曲の構成だとかそんなことはどうでもいいんです。
そういうちっぽけなものはどこかに吹き飛んでしまうぐらいのナニカがこの曲にはあるんです。
その「ナニカ」がこの曲にはあふれんばかりに込められていて、
だからこそどんなシーンで使っても画面が映えるし、古さなんかみじんも感じさせない。
というのが僕の出した結論です。これが時代を超える本当の芸術です。
何回クリスマスシーズンにこの曲聴いて泣きそうになったことかわかりません。
その目に見えない「ナニカ」が込められた曲はいつの時代も決して色褪せることはありません。
新しいとか古いとかそんな次元をはるかに超えてます。
関係ない。
「ナニカ」の正体
目に見えないものがそこには込められいて、それを体で感じたいがために
僕らはさまざまな方法をとります。スマホやパソコン、テレビなどなど。
あらゆる手段を使えるけど結局その「ナニカ」を求めてることにはなんら変わりありません。
いつの時代も。
ひと昔前ならテレビとかラジオぐらいしかなかったから
みんなこぞってテレビのあるところに集まったりラジオのあるところに集まったりしてました。
そもそもこの構図自体が今も昔も変わらない普遍的なことなんじゃないかなと思います。
それだけの人がたったひとつのことを体験したいがために動く。
そこに作り手のものすごいタマシイがこめられてます。
「ナニカ」の正体はタマシイです。
タマシイの正体
タマシイは作り手の情熱とかその物事に対してのエネルギーとか。
数値では決して表すことができないものです。
それを作りあげるにはいかに凄まじい情熱をもってその物事に取り組めるかどうか。
すぎやまこういちという素晴らしい作曲家がドラゴンクエストの「序曲」を作るのに
5分もかからなかったという逸話があります。実際に作り始めてからある程度の形が
出来上がるのにかかった時間はホントに5分程度だったそうです。
でも彼は「5分で作ったんじゃなくてその前の54年をたして54年と5分でできたんだ」と言いました。
もうこの言葉にすべてが込められてますよね。
それだけ長い時間音楽に向き合ってきたからこそできたものなんだと。
その長い時間をかけて自らのタマシイを磨き上げてきたからこそのものなんだと。
この話、僕大好きでして。ホントにかっこよすぎる。
あとこんなのも。
「天才だと? 37年の間、毎日14時間練習を
続けてきた私をつかまえて、天才呼ばわりする気か!」
(パブロ・デ・サラサーテ、作曲家、バイオリン奏者)
これはひとつの例ですけど、こういうことが芸術という分野の
ナゾを解くカギになってることは間違いなくて。
結局、時間をかけて少しずつ磨いていくしかなくて、それこそ一朝一夕でできるものでは決してないんですね。
解きたいような解きたくないような。。。
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