優しくない。
それは優しくないのではなく、優しさの種類が違っただけ。
人それぞれ優しさには形があります。
それがたまたま合わなかっただけのこと。
パズルの最後のピースのところにまったく別のパズルのピースを持ってくるようなものです。
どう頑張っても合わないんです。
「優しさ」の奥底にある感情って結局のところ"自己満足"なんじゃないかなと思うのです。
自己満足って言うとなんだか自己中心的みたいな感じがしてあんまり聞こえはよろしくないかもしれませんが、優しくした相手がどんな形であれ何かしらのリアクションをくれる。
たとえばそれが満面の笑顔だったなら。
嬉しくなって、またしたいな、と思う。
そんな時は、こちらの顔もたぶん満面の笑顔になってると思うのです。
「優しさ」って見返りを求めてるんです。相手の笑顔というこれ以上ない見返りを。
そんな自己満足って最高じゃないですか。
でも。
こちらが良かれと思ってやったことでも、相手にとってはそれが良いことではなかった。
もしくは。良いことだったんだけれど、それを素直に受け止めることができずに突っぱねてしまった。
それが一般的な自己満足で、自分だけが良いことをした、と思ってて、相手にはまったく届いていないパターン。
そんな時に人は「優しくない」という言葉を発してしまうのです。
それを言われてしまった側の気分はどうでしょう。
その瞬間はすごくショックで立ち直れないぐらいヘコみます。
人によっては「二度とこんなやつに優しくなんかしてたまるか」ぐらいに思うことでしょう。
そりゃそうです。
でも、たぶんまた優しくしてしまうのです。
なぜなら、人は本来ものすごく優しい生き物だから。
どんなに悪人だろうと。
どんなに独裁者だろうと。
そこまで考えれるようになるぐらい人として育ったのは「誰かの優しさ」があったからです。
人は生まれてから何年かは、誰かしらにお世話をしてもらわないと生きていくことができません。
それが母親だろうと父親だろうと祖父母だろうと、血の繋がりのないまったく赤の他人だろうと。
他者の優しさをもらったから今まで生きてこれているのです。
その間にもらった「優しさ」が体の中のどこかには刻み込まれてるハズで、それはたぶん一生消えることのないものなのだと思います。
だから人間は本来優しい生き物のハズなのです。
でもその優しさには人それぞれ形があって、とらえ方もそれぞれ違うから、場合によっては「凶器」になってしまうことだってあります。
それは血の繋がった親子・兄弟だろうと、DNAが完全に一致してる双子だろうと、近しい存在であっても関係なくそういうことは起こります。
だから赤の他人なんてなおさら育った環境も考え方も違うので「優しくない!」とか言われてしまう事故が起きやすいのです。
「優しくない」と言ってしまう人
人は本来ものすごく優しい生き物で、思いやりにあふれてるはずなのに、なぜかそんな人ばかりではありません。
彼らは人に対して「優しくない」という言葉を吐いてしまいます。
第三者にそれを言われるならまだしも、優しくしたはずの相手にそれを言われるのは非常に精神がもげてしまいます。
でも彼らはそんな人間になることを望んでいたのでしょうか。
否。
そんなことはないはずです。
優しさをもらって生きてきたことを本能的にわかっているから、それを少しでも人に分け与えたい。それが人間の根底にある心理なんじゃないかなぁと。
彼らは成長していく過程の中で、優しくしてるはずなのに仇で返されたり、裏切られたり。
中には優しさを伝える術を知らない、不器用な人もいるわけで。
気持ちがすれ違ったりボタンの掛け違えで人と気持ちの疎通ができない人もたくさんいるわけで。
それも親、兄弟、友人関係という、すごく近しい人間と。
気持ちの疎通ができないと、人は自分の身を守るために他者を攻撃してしまうことがあります。
その攻撃を受けてしまった人は、最初は「え?なんで?」と、まったく疑うこともせずただただ戸惑っているだけですが、それが繰り返されると徐々に心に傷を負っていきます。それが何度も何度も積み重なると、それ以上傷が増えないように、自分を守るために心に壁を作ります。
そうやって誰も入り込めないようにして、人を信じれなくなってしまいます。
だから人の優しさを受け止めることができずに、突っぱねてしまうのです。
「優しくない」という言葉を発してしまうのは、彼らなりの精いっぱいの防御なのです。
世の中にはそんな人がたくさんいらっしゃいます。
むしろそんな人の方が圧倒的に多い。
でも。そんな言葉を発してしまうほど心に余裕がないっていうことを理解すると、また接し方も変わってくるかもしれません。
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