いろんな優しさの伝え方

優しくない人なんてこの世にいない

今まで生きてきていろんな人に出会って別れて出会って別れて

してきましたがどんな人間でも何かしらの優しさって持ってるものですね。

その大きさや形は違えどみんなそれぞれ優しい部分は持ってる。

そんなふうに思えるようになりました。

 

優しいという漢字は人へんに憂うと書きます。

人が人やものにたいして心配したり思い悩んだりすること。

それが優しいということ。って辞書調べたら出てきました。

 

優しくされると精神的に落ち着いて安心したり希望が湧いてきたりします。

この優しさというのは人によって感じ方が違っていて自分が優しくしたつもりでも

相手にとっては大きなお世話にしかならなかったり、

場合によっては鬱陶しいと思われてしまったりしてしまう諸刃の剣なんですね。

だからこそ人に優しくしたのにもかかわらず、それがうまく伝わってなくて

優しくすることをあきらめてしまう…。

そんな人がこの世の中には大勢いらっしゃいます。

 

親のやさしさ

 

優しさにはいろんな形がありますが、その中でも親の優しさは

その人の人間を決める最強のものと言えるでしょう。

 

僕は高校卒業と同時に家を出て1人暮らしを始めました。

その時は父親と仲が悪く半ば追い出されたような感じでした。

それが父の優しさである事に気付いたのは家を出てだいぶ経ってからでした。

家を出てまず母のありがたみを思い知ることになります。

朝起きると食事が用意してあったり、洗濯物もキレイに畳まれて置いてある。

家に帰ってくると晩ごはんが用意してある。

そんな日常の事を当たり前のように毎日毎日欠かす事なくこなしていた母を

まずすげえなと思いました。それは家を出て1人で生活をすることを

していなかったら絶対わからなかったことです。

僕はただ家を出たことで自由な生活ができるとただただ舞い上がっていました。

 

1人暮らしはそういった自由と引き換えに家事炊事も

全部自分ひとりだけでやっていかなければなりません。

頭ではわかってた事ですが、実際にやってみるとけっこう大変な事で

朝起きる時間も朝ごはんを作るという事を計算にいれておかないと

大変なことになります。笑

それに加えて材料の買い出しやら晩ごはんの準備。

その時間も結構な時間を取られる事に気づきます。

 

洗濯は量が少ないので毎日やるわけではなく、3日に1回くらいのペース。

洗濯機は全自動だからスイッチを押せば全部やってくれます。

それでも干す作業は自分の手でやる。これがまーーめんどくさいんです。

それを毎日やってた母のありがたみが骨身にしみました。

そのことについて母が文句を言ったり愚痴をこぼしたことは一度もありません。

母は偉大です。ホント。

 

そしてそんな日常の生活をするためにはお金が必要になってきます。

毎日朝から晩まで仕事をして僕ら家族を養ってくれてた

父のスゴさをここで初めて知ることになります。

高卒ですぐ就職をやめてしまった僕はとりあえずバイトをして

生計を立てていました。

バイトの給料なんて1人暮らしをしてたらすぐに底をつきます。

 

生活のために働くという事が僕は苦痛で仕方なかったのです。

でも父は仕事の事を家で話す事は一切なかった。

愚痴なんか聞いたこともないし、あとで聞いたらおそらく勤めてた会社で

上から何番目かの地位までいっていたといいます。

オヤジすげえ。笑

 

こうして僕は社会のキビシさというものを身をもって体験する事ができました。

そうやって社会に出ていろんなことを経験して頭打って

人間的に少しは成長することができたとき、そのときにはじめて

なぜ父が僕を家から追い出したのかがよくわかりました。

クソがつくほど不器用なやりかたではありましたが、

それが父の優しさだったんだなという事に気付いたのです。

そのときはなんて自分は愚かだったんだろうと枕を濡らしました。

 

おそらくそれをそのとき口で言われてたとしてもその時の僕は

理解しようともしなかったでしょう。反抗期でしたから。

 

何も言わずに反抗期だった僕を家から出す事で

そういう事を僕に教えてくれたんだと思いました。

父にとっては一種の賭けだったのかもしれません。

もしかしたら僕がそこに気づく事なくそのまま離れていってしまうかも…

という不安要素は多分にあったと思います。ろくでなしの息子だったので。

それほど当時の関係は悪化してたように思います。

 

今だからわかりますが「おれの息子がそんなバカやろうなはずはない」みたいに

僕を信じてくれていたからこそできた事なのかもしれません。

そうでなければ18年育てた我が子を家から追い出したりはしないでしょうし。

大人になって同じように子を持つ父になった今、痛いほどその気持ちはわかります。

 

やさしさのカタチ

 

優しさにはその瞬間に伝わる優しさもあれば僕の父みたいに

あとからジワジワくる優しさもあります。

後からくるものは伝わるか伝わらないかは時間が経たないとわかりません。

ちゃんと伝わるかどうかもわかりません。

伝わることのほうが少ないかもしれません。

 

でも伝わった瞬間優しくされた側はそれがズシンと重くのしかかってきます。

そこには相手を信じ切るというリスクも伴いますが。

反対に瞬間に伝わるものはすぐにリアクションがみれるのでリスクは伴うことは少ないです。

その分その優しさはすぐに忘れてしまうものだったりします。

一長一短です。

僕の父がくれた優しさがちゃんと伝わったのは

それまでに温かい愛情を父が注いでくれていたからにほかなりません。

その愛情が荒れてた僕の心を少しずつ修復してくれたんだと思います。

だから父の不器用な優しさにも気づくことができた。

そう。それまでにも父の優しさは僕自身ずっと味わってきてたはずなんです。

仮にそれがなかったとしたら伝わってなかったかもしれません。

優しさという形のないもの。

ちゃんと伝えるためにはなかなかカンタンにはいかないもんですね。

 

まあほんとうの優しさっていうのは関係なく伝わるもんだと思いますが。。。