当たり前ととるか幸せととるか…

生まれてきてすぐは人は記憶がない。

たまにある人もいたりするんだろうけど。

、で、だいたい一番古い記憶があるのって

4歳とか5歳とかぐらい。

 

その頃の環境がその人の"当たり前"になる。

 

 

言葉、気候、山の近くか、海の近くか、

食べるものが豊富なのか足りてないのか、などなど、

国とか地域とかによってもそれはさまざまで

その人にとってはその地域で育って

慣れ親しんだ文化や風習がある。

 

 

慣れは”当たり前“になる

 

時代によってもその考え方は違う。

日本でいうなら、戦時中なんかは

食べるものもろくになかったと聞く。

 

もっと昔でいうなら戦国時代とかだったら

身分差別によって暮らしが違った。

身分が高い人はお米を食べれるけど、

身分が低い人はアワとかヒエとかを食べていた。

食べたことないからわからないけれども。

 

 

そういう家で育てばそれが当たり前のものとして

脳に刷り込まれる。

 

 

そんな時代のことを詳しく知ってる人は

もうとっくにこの世にはいないので

話を聞くことはできないけど、戦時中のことを

知ってる人は今でも若干いらっしゃる。

 

そんな人と戦争を知らない人との間では

価値観にものすごい差がある。

 

僕自身も戦争の悲惨さは人の話とか

テレビとかネットでしか知らない。

実際に体験した人にしかわからないものがある。

 

その人たちからしたら今の日本のこの現状は

決して"当たり前"ではなかったはずだ。

 

 

いまや便利なのが当たり前

 

今や24時間どこでも食べるものはある。

ありすぎてちょっと賞味期限が切れただけで

廃棄処分になってしまう。

 

これが戦時中ならみんなこぞって

「捨てるぐらいならちょうだい」ってなっただろうな。

でも何十年も時間を経て、

やがてそれが当たり前になっていった。

 

 

ジブリの「火垂るの墓」でもめちゃめちゃ

考えさせられるのにあんなもん生ぬるいって

戦時中を過ごした人がゆってたな。

 

 

 

恵まれ大国にっぽん

 

僕自身、親や周りの大人たちに

"腐ってもないものを捨てる"

ということを教えられて育った。

それが当たり前なんだと思っていた。

 

でも違った。

 

大人になっていろんなことを知るようになって

日本で生まれたことって

すごく恵まれてることなんだなと思った。

 

 

 

お腹がすけば近くのコンビニに行って食料を調達できる。

これが当たり前だと思ってた自分が恥ずかしくなった。

 

日本ではそんなことは一部除いてあんまりないけど、

世界を見れば食糧難で苦しんでる人はたくさんいる。

 

その人たちが今の日本の現状をみたとき、

どう思うかはわからない。

でも彼らは彼らで、物心ついたときから

食料が足りてないことが"当たり前"になってる。

 

僕らの"当たり前"と彼らのそれは全然質が異なる。

当たり前が違ってくるとどこに幸せを感じるのかも

全然変わる。

 

そこに気がつけただけでも幸せなことかな。

 

 

幸せのものさし

 

幸せという基準は人それぞれちがうから、

彼らが不幸なのかといえばそんなこともない。

 

僕は別に現地で生活をしたわけでも

なんでもないけど、テレビとかで見たり、

実際現地に行った人たちの話を聞くと、

むしろ日本のほうが不幸なんじゃないかと

思うことさえある。

 

 

食べることを基準にしたら、たしかに日本は

“恵まれた幸せな国”なのかもしれない。

 

でもいくら食べるものが豊富であっても、

それを分かち合える人がいるかどうかで

また基準も変わってくる。

 

1人で食べる豪華な食事よりも、

好きな人と2人で食べるカップラーメンのほうが

おいしいことだってある。

 

 

当たり前?それとも…

 

僕が生まれ育った家は

特に裕福な家庭とは言い難いけど、

それでも1日3食は必ず食べさせてもらえてた。

それが小さいころは当たり前だった。

でもそうじゃないことも多々ある。

 

でもそれだけじゃなく、家には笑い声があった。

昔の写真をみたら、親も自分たち兄妹も

あふれんばかりの笑顔がそこにある。

 

 

自分にとっての幸せがそこにはあった。

それは自分の中で当たり前だと思っていたもの。

 

 

当たり前じゃなかったんだなと

大人になってから理解できた。

 

すべてはとらえかた次第だ

 

食糧難の人たちを自分の物差しでみたときに

なんて不幸なんだと思ったのは

それが自分の中ではマイナスでしかなかったから。

 

でも彼らの物差しでみたら別にそんなことも

ないのかもしれない。

もし自分がそういう状況になったら

すごく辛いと感じるだろう。

 

想像するだけでも先が見えなさすぎて

こわくなる。

 

それと今の自分の状況を比べたら

自分はなんて幸せなんだと

思い知ることができた。

 

それを幸せと取るかどうかはその人次第。

 

ノラ猫が子ども連れてるのをみるだけでも

じゅうぶんそこから幸せをもらえる。

 

そこらへんに生えてるたんぽぽが

花を咲かせて、次に見たときに種を

飛ばしてたらそれだけでも幸せだなと思える。

 

幸せはそこらへんにゴロゴロ転がってる。

 

 

 

それは必ずしも"当たり前"とは限らない。

 

 

 

 

 

 

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