当たり前ととるか幸せととるか…

朝起きてトイレに行って顔を洗ってご飯を食べる。

 

そんな日常の他愛もない生活の中、想定外のことが起きてしまったらイライラしたり焦ったりしてしまいます。これは日常の生活が「当たり前」になってしまっているからです。

 

でも、僕らが生きているこの世界はいつ何が起こるかわかりません。

 

最近の日本でいうと「新型コロナウイルス」の感染。

 

あんなもの、誰がいつ予測できたでしょう。

突然襲ってきた「パンデミック」によって日常の当たり前が当たり前じゃなくなってしまったことはまだ記憶に新しい。

 

あの時、普段の日常がいかに有り難いことなのか、幸せなことなのかを実感できました。

 

でも、コロナ以前にも日本を混乱に陥れるような大きな災害はいくつもありました。

その度に日常が当たり前じゃなくなって、大変な思いをしています。でもそれが落ち着くとまた当たり前になってしまいます。

 

人間はどうやら楽な方、楽な方に傾いてしまう生き物のようです。

ポジティブに考えればそれは「平和」の証でもあります。

悪い言い方をすれば「怠慢」です。

 

「怠慢」はやがて人々の混乱を招いて破滅につながってしまいます。

 

わかりやすいのは江戸幕府。

 

300年も続いた歴史があるので繁栄してんじゃん、と言えなくもないですが、実際のところどうだったかなんて誰もわかりません。

 

今の日本は法律もちゃんと整理されて生活保護とかもあってとりあえずの生活は保証されています。それでも政府に不満を感じてる人なんてたくさんいらっしゃる。

 

今の平和な日本でもそんな状態です。

 

それでいくと江戸時代なんて身分差別もあったし、打首・切腹が当たり前の世の中です。一般市民は常に恐怖と隣り合わせです。今よりも異次元の不満があったに違いありません。

 

でもそれを表に出すことはできなかった。

出そうもんなら首が飛んでしまうので。

 

そうやって少しずつたまっていった不満が一気に爆発したのが幕末の大混乱です。

維新志士たちが幕府を倒そうと、京都を中心にあちこちで戦争が起こりました。

 

結果的に江戸幕府は倒れましたが、同時に多くの罪もない人の命が奪われてしまいました。

 

江戸幕府の「怠慢」が招いた悲劇です。

 

一般市民の汗水流して働いて作った年貢によって江戸幕府の人たちの暮らしがありました。それが当たり前になってしまって、一般市民に対して感謝することを忘れてしまった。

 

それだけでは飽き足らず、身分制度なんていうくだらない制度を作って逆らえないようにしたり、その土地から逃げていかないように脱藩を重罪にしたり。

 

これを怠慢と呼ばずなんといいましょう。

 

仮に年貢を納めてくれることが有り難い、と思っていたら。

あなたたちのおかげで今の私たちの生活があります、と思うことができていたら。

 

市民の不満などなかったかもしれません。

幕末の大混乱は起きず、多くの命が奪われることもなかったかもしれません。

 

今の日本は大きく変わっていたのかもしれません。

 

有ることが難しいのが「有り難い」です。

 

常に「有り難い」の精神を持って、日常が当たり前ではないんだっていう姿勢でいれば、想定外のことが起きてもイライラもしないし焦ることもありません。

 

むしろ日常を「幸せ」に感じることができるのです。

 

すべてはとらえかた次第です。

 

朝昼晩のごはんを食べれる。

食糧難の国の人からすればそれはすごく幸せなことです。

でも日本ではそれは当たり前ととらえている人が多い。

 

戦争中の国の人からすれば、いつ何が起こるかわからないような状況の中、朝を迎えれるだけで幸せと感じることだってあるでしょう。

 

常にそういうことを心がけてたらノラネコが子どもを連れてるのをみただけで幸せを感じたり、そこらへんに生えてるタンポポが花を咲かせて種を飛ばしてるだけでも幸せを感じることができます。

 

幸せなんてそこらへんにたくさん転がってます。

それが当たり前なのか、幸せなのかは自分次第。

 

 

 

 

 

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