他人に厳しくできない人は自分にも厳しくできない

長い人生のなかで人から何かを教わるということは

「自分」という人間を形成するうえで非常に重要なコトです。

その中で厳しくしてもらうのか優しくしてもらうのかで、

今後の人生が大きく変わります。

 

 

本当の意味での厳しさ

 

厳しいというと昔のスポ根マンガのような

スパルタで過酷な指導をするという

イメージがけっこう残ってる日本の風潮です。

できなかったら暴力を振るったり、暴言を吐いたり。

 

たしかにそういう指導をすることである種の根性とか

精神的なものは鍛えられるのかもしれません。

 

でもそれはそこに「信頼関係」があるという前提での話。

 

信頼関係というのはただ単にスパルタや

過酷な要求をするだけでは絶対成立しません。

 

やり遂げたらそれなりのフォローをしないと

信頼関係どころではなくなり、ただの独裁者になりがちです。

それで社会問題にまで発展することもしばしば。

 

 

 

本当の意味での「厳しさ」というのは

むしろ「優しさ」からくるものです。

 

優しいからこそ、相手を思いやるからこそ

厳しくするのであってやみくもに何の目的もなく

厳しくしたところで厳しくされてる側からしたら

なんのこっちゃ意味がわかりません。

 

「ムチ」のみの指導では人の心に恐怖心を植えつけてしまうだけです。

 

 

 

他人に対する厳しさ

 

 

「優しさのない厳しさ」はただのイジメです

これを勘違いしている人の多いこと多いこと。

 

ぱっと見の印象はすごく他人に厳しいような

人でも実は自分に甘かったりします。

 

この場合の厳しさはただの自己満足でしかありません。

 

その人のことを本気で思いやってのことではなく、

ただ単に「厳しい風の自分」を演じて、

それに浸ってるただの自己中。

 

だから他人の失敗を許すことができません。

この手の人間はだいたい嫌われます。

 

 

僕の昔の上司はまさにこんな人間の典型で、

他人に対して厳しいようで、

その厳しさがどこに向かってるのかわからず、

意味不明でした。

 

そしてなおかつ自分に対しての厳しさもまったくないので、

努力とか研鑽とかそんな言葉はまったくもって不適切な人間でした。

 

そして虚栄心の塊でかつ、すぐ感情的になってムキになって

無関係の人間に当り散らしたりと、完全に"ただの子ども"でした。

 

こんな人間にはなりたくないなというある意味いい見本でした。

 

 

自分に対する厳しさ

 

 

本当の意味での「厳しさ」を持っている人は

自分に対しても厳しくできます。

 

自分に対する厳しさというのは常に

「自分の成長」を優先的に考えるので、

ラクな道と苦しい道の分かれ道に遭遇したとき、

迷わず苦しい道を自ら選ぶことができるということです。

 

それが自分を成長させることができると確信してるから。

 

それは究極なことをいうと、自分に対しての優しさでしかありません。

 

自分を信じることができるからこその優しさです。

 

そしてその優しさからくる、自分を思いやるからこその厳しさ。

 

この手の人間は他人と自分は別物という

感覚が強いので他人は他人という考え方ができます。

 

なので他人の失敗に対しても怒ったりしません。

むしろ失敗を最初から計算に入れて

あえて"失敗をさせたり"します。

 

失敗したとしてもそれに対して寛容なので

他人からの信頼は厚いものになります。

 

何よりも思いやりが大事

 

結局のところ、厳しいとか優しいとかそういうことじゃなくて、

その人を思いやるかどうかなんじゃないかなと思います。

 

状況に応じて「アメ」と「ムチ」を使い分けることで

自分も他人も成長できます。

 

そんなこと抜きにしてときにはダラダラしたいこともあるし、

息抜きしたいときもあります。

 

そういうのがあるから

また次頑張ろうと思えるのが人間なんだと。

 

それでいいんじゃないでしょうか。

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