自由に生きる。
これは僕が幼いころからずっと憧れてきたこと。
そしてまわりの人が学校や会社に縛られて
生きていることにずっと違和感を感じていた。
なんで会社や学校みたいな自分以外のものが優先なのか。
なんかみてて窮屈そうだ。
どうせ生きるなら何ものにも縛られずに自由に
生きるほうが楽しいのではないか?
でもそんなふうに考える人はまだまだ少ないように思う。
いまだに社会がそういう風潮にあるのか、
そんなふうに親に仕込まれてきたからなのか。
だとしたら、僕の場合はものすごくラッキーな人間だ。
なんせ親に勉強しろなどと言われたことがない。
どちらかといえば、やりたいように生きなさいという
スタンスだったので、居心地はよかった。
…のわりに門限とかうるさくてイヤになった時期もあったけど。笑
自由に生きるために社会経験をつむ
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何も知らない自由よりも、いろんなことを知った上での
自由のほうがかっこいいし、いろいろ応用がきく。
ぼんやりとそんなふうに考えていた僕は、
とりあえず経験を積むことが大事だと思った。
大学に行くか就職するかの進路の話があったとき、
僕は迷わず就職して社会に出るという道を選択した。
僕の目的は「自由に生きる」ことだったので、
大学に行っても4年間をムダにするだけだと思ったから。
その4年間という時間を少しでも
社会を学ぶための時間として使いたい。
そんなふうに思った高校3年生。
そして入社式の日に辞めた。笑
僕の考える自由はここにはないと判断したからだ。
自由=楽しいけど楽じゃない
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あるとき、ふと思った。
自由に生きるってなんだ?
なんで自由に生きたいと思ったんだ?
、と。
自由に生きる=楽な人生では決してない。
むしろ、自由に生きるほうが危険とぶち当たる
可能性が高くなるので絶対に楽ではない。
会社や組織に属しているほうがよっぽど楽だ。
何をするにも守ってくれるから。
仕事をさぼっていてもそれなりに給料はくれるし、
有給はあるし、いいことだらけだ。
その反面、自由に生きるということはノラ犬やノラ猫のような
野性の中で生活するのとおなじこと。
ノラ猫やノラ犬は自由だけど、食事を確保するのも、
寝床を確保するのも、すべて自分でやらないといけない。
特に食事なんかは死活問題だ。
自分で確保する術がないとたちまち死んでしまう。
散歩に行くのも自由だし、いつ寝るのも自由だ。
こんなに楽しいことはないだろう。
人間に置き換えたら、まず寝るとこがないというのは
現代社会ではなかなか難しいのではないか。
2,3日ならキャンプ感覚で乗り切れるかもしれないけど
ずーっとっていうのはさすがにちょっとなあ…。
、てことで寝る場所をまずは確保しないとやってらんねぇ。
そして食事。
これを確保するには海なら魚釣ったり獲ったりできるけど
都会の街中ではなかなか…。
野生の動物を獲るって言ったってまずそれすら
あまり見かけない。。
というわけで「自由」は常に死と隣り合わせだということ。
これは言うなればいつでもギリギリの極限状態にあるからこそ、
逆にそこから開き直ることができたら
それすらも楽しめるのではないかと僕は考えた。
自由の意味
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タチが悪いのが温室で育った人間。
ほとんどの人間は温室育ちだ。
温室でぬくぬく育った人間は
それが温室だということがわからない。
その温室から出て社会という波に飲まれないと
なかなか気づくことができない。
いろんなことにぶち当たって自分に絶望することで
はじめて気づくことができる人もいる。
絶望できる人間はまだマシなほうで、ぶち当たったときに
人のせいにしてしまう人間は一生そこから抜け出せずに
ブツブツ言いながらそのまま孤独死していくんだろう。
それもある意味では自由なのかもしれない……。
自由に生きるということはまず、
精神的に縛られていることから抜け出すことから始まる。
人のせいにする人間もある意味では
その人に縛られているととらえることができる。
あいつのせいで…、とか、おまえのせいだっ、
なんていったところでどうにかなるわけでもないし。
そんなこと考えてしまってる時点でそれにとらわれて
しまっていて、前に進むことができてない。
大事なのは自分の意思
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それが自分で覚悟を決めて選んだものなら
何も問題はないのだけど、仮に自分以外の誰かに言われたり、
自分の意思以外のものがそこに少しでもあるなら
一刻も早くそれから抜け出すべきだ。
まずは自分としっかり向き合って、何がしたいのか、
どんなふうに生きていきたいのか、ということを深掘りして
自分のことを知ることから始めたらいいと思う。
これがなかなか難しいことに気づくから。
なにが難しいって今までずーっと何かに縛られたり、
何かに依存して生きてきた人に限って、自分が何をしたいのか、
自分という人間が何者なのかをわかっていないし、
そんなことまず考えたこともないっていうね。
だから最初は軽く趣味を探すぐらいに、
気持ちをラク〜にしてやったほうがいい。
それにすら縛られてしまって全然楽しめなくなっちゃう。
自分に何ができるか
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精神的に自由になると仕事も、なにかと縛られまくる、
会社という組織に入るのは絶対にムリだということに気づかされる。
ということで、必然的に自分でできることを探さないといけない。
僕の場合は、20代の半ばぐらいの時期に精神的に
解放されて自由になった。
それから何をしようかと悩んだ。
絵を描くということはこのときすでに決めていたんだけど、
クリエイターとしての感覚を取り戻しつつあった
時期だったのでそこに足を踏み入れるのは
まだ早いと思ってほかのことを探した。
そこで見つけたのが整骨院の先生という道だった。
性格的に温和なほうなので教師か整骨院かで悩んで、
最終的にどっちのほうが自由だろうという方向性で決めた。
そうやって無事に整骨院の先生になれた僕は、
完全に自由になることに成功した。
自由に生きるということは
すべての責任を自分で持たないといけない。
サボればサボったぶん自分に返ってくるし、
頑張ったぶんは頑張ったなりにそれも自分に返ってくる。
今はネットがあるのでそれを最大限に有効利用すれば、
自分の知識や経験を発信してそれでお金を稼ぐこと
だってパソコンとスマホがあればできてしまう。
選択の幅が確実に広がった。
大切なことは自分が何をしたいのか、ということと、
自分に何ができるのか、ということをちゃんと見極めて、
それを諦めずに継続すること。
それができたらあなたは完全に自由になれる。
そしたらすべてのことが楽しくなって
生きてて良かったって心の底から思えるようになる。
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