何も考えずに生きていたあのころ。
僕は幸せだったのだろう。
何も考えていなかったのだから。
世の中には幼くして命を奪われる子どもがたくさんいる。
それも自分という存在を作ってくれた母親や父親に。
虐待を受けても、それでもその子は
泣いて親に捨てられまいと必死にすがる。
まわりから見たらどんなにひどい親でも
その子どもからすればこの世で唯一無二の存在だ。
幸いなことに僕自身は幼いころにそういう思いをしなくてすんだ。
ただただ、何も考えることなく、のほほんと毎日、
虫を追っかけたり、魚をとりにいったり。
家に帰れば母親がごはんを用意してくれている。
それは僕の中では当たり前のことだった。
それが幸せだなんて考えたこともなかった。
だけど今、自分が親になってそれが
なんて幸せなことだったのかということがわかる。
子どもが毎日を楽しく笑って過ごせる環境を作るのは
決してカンタンなことじゃないし、たいへんなことも
たくさんある。小さい子どもは思い通りに
うごいてくれるはずもないので、瞬間的にイラっとすることも
たくさんある。だけどそんなことは
親として当たり前のことだ。
それが幸せなことだと気づくのは大人になってからでいい。
小さいときは当たり前でいい。
そう考えると、心に闇を抱えている人間というのは
本人に責任はないのでは?、と考えたくなる。
では誰の責任か?
間違いなく親の責任だと僕は考える。
たとえば、20歳やそこらで通り魔的なことをしてしまう人たち。
だいたいああいう人たちはまわりとの人間関係が
うまくいってなかったりすることが多い。
その人間関係がうまくいかない理由は幼いころに
親の愛情を受けてるかどうかでずいぶん変わる。
僕なんかはまさにそのうまくいった側の人間なので
多少道は踏みはずしても元に戻ることができた。
それは親が一生懸命愛情を注いでくれてその蓄積が僕の中にあったから。
だけど小さいころに虐待を受けたり、
親が子どもに無関心だったりすると
愛情の蓄積ができていないので
愛情というものを知らないまま大人になってしまう。
愛情の蓄積がなくて愛情を知らないということは
他人に対する接し方もよくわからない。
それは言葉で教えるものでは決してなく、
感じさせることでしか教えれないからだ。
結果、自分の感情をどこに向ければいいのかがわからなくて、
何がなんだかわからなくなって人を殺したり
犯罪に手を染めてしまったりしてしまうのだと、僕は考える。
責任が親にあるからといっても
それはあくまで第三者的にみたときの話であって、
本人はそれを口にしたりしてはいけない。
人のせいにしてもそこから得るものは何ひとつない。
負の感情が増幅して憎んだり恨んだり、負の連鎖が始まるだけだ。
たとえ親が悪かろうが、それをすべて
自分のせいにできればそこから人生はガラッと変わっていく。
最終的にそんな親でも許すことができたら、
親に対して感謝の気持ちが生まれて関係も良くなっていく。
親がそれを受け入れてくれれば・・・
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