人を惑わす四天王「地位」「名誉」「権力」「金」

地位と名誉と権力と金。

世の中には地位や名誉を欲しがる人は一定数いらっしゃいます。

 

実体のないものなのに欲しがります。

 

地位や名誉があれば権力と金がついてくるので、ハクがついたり、「おれは偉い」と勘違いできることが要因です。

 

そしてそこには人がヘコヘコ寄ってきます。

類は友を呼ぶので、同じように地位や名誉が欲しい人たちが群がってきやがります。

 

それが自分にヘコヘコしてるみたいで気分がイイのです。

 

「おれは偉いんだ」という気分を満喫してエッヘンてなものです。

 

でも実際はその人にヘコヘコしてるわけではなく、その人の所有してる地位や名誉にヘコヘコしてるだけなので、地位や名誉がなくなったとたんに手のひらを返したように人は霧散してしまいます。

 

もちろんその人が人格者であればその限りではありません。

 

でも多くの場合、地位や名誉に執着するような人は人格者であることは少なく、晩年孤独死するような寂しい人ばかり。

 

地位はウィキペディア先生によると、

 

社会またはその集団の中での身分あるいは立場、処遇、役割のことである

だそうです。名誉は

 

良い評判を得ることであり、能力や行為について、すぐれた評価を得ていることを指す。

とあります。

 

つまりどちらも自分以外の人がたくさんいる集団社会の中でしか機能しないシロモノです。

 

それは権力もお金も同じ。

 

仮に世界にその人ひとりしかいなかったらどれもこれも何の役にも立たないものばかり。

 

『ブタに真珠』

『ネコに小判』

 

そんなことわざがあるように、人間以外の生き物にも何の役にも立たないものばかり。

 

そういう地位や名誉を欲する人は、人を人としてみていません。

肩書きとかステータスでしか人をみていなくて、少しでも自分より地位が上だとわかった途端、手をスリスリして媚びを売る。

反対に自分よりも地位が下の人間には、およそ人ではないような扱いをする。

 

自分の地位を少しでも上げるために権力と金を使い、人を蹴落としたり、時には殺してしまうことも厭わない。

 

そのわりに「人から認められたい」という、なんとも矛盾した感情を持ち合わせています。

 

なんでそんなことになってしまったのかと。

 

原因をいろいろ考えてみると。その人の性格とか考え方とかが大前提ではあるのですが。

それだけじゃなく、日本の歴史的な風習とか文化がすごく影響してるんじゃないかなぁと。

日本は長らく士農工商の身分社会でした。

たぶん室町幕府あたりから。そのへんの解釈はすごく曖昧で意見が分かれてて、はっきりとしたものはないみたいですが、そんなことはどうでもいいのです。

身分によって人間じゃない扱いを受けてたっていうことが重要です。

 

身分が上の武士には農民や商人は逆らえず、ひざまずいて頭を下げて虐げられてきました。

少しでも逆らおうものなら首が飛んでしまう、超理不尽な社会です。

身分が低い人たちは常にビクビクしながら毎日を生きていました。

 

そんな中、逆らってもいないのに身分が上の人の勘違いで理不尽に命を落としていった人も多数いらっしゃいます。

武士という人種はせっかちな人が多いイメージ。

 

その時、遺族の方々はどんな気持ちだったでしょうか。

 

どれだけ頑張ってももう恨みしか残らないのではないかと。

悔しさしか残らないのではないかと。

生きていくためには、いい思いをするためには身分をどうにかしないといけない。

でもどうもならない。

そうやって身分を乗り越えて成り上がっていったのは、豊臣秀吉が代表的ですが、そんな人はほんのごくわずか。

ほとんどの人が悔しい思いをしたに違いありません。

 

あぁ…。地位や名誉があればこんな思いはしなくてすんだのに…。

 

そんなふうに思った人はたぶん数え切れないほどいたのではないかなと。

 

そんな理不尽な社会がかれこれ500年ぐらいは続いたのでないでしょうか。

なので、そんなイヤな思いをせずに生きていくためには出世して人の上に立たないとダメだ、みたいな考えにたどり着いたのです。

 

親は子どもにそんな考えを教えて育てます。

「あのお侍さんのようになるんだぞ」的な。

 

その時代は親は絶対的な存在だったので、子どもたちはそれが当たり前でそういうものなんだ、という認識で大人になります。

 

そしてそういう考えが代々受け継がれていって、地位とか名誉とかを欲するのが当たり前になった。

でもやっぱり身分差別が残っているうちはそこにはなかなかたどり着けず、悔しい思いをした人たちは数しれず。

 

明治維新以降、文明開化で西洋の文化が入ってきたりして、首が飛ぶことはないし、身分差別も公にはなくなりました。とはいえ、完全になくなったわけではなく、ホントにそういうのが薄れてきたのは第二次世界大戦以降。

そうなると今度は学歴を重要視するようになって、誰もが平等にそこを目指せるようになりました。

すると今度は学歴や社会的地位を盾にしてかつての身分社会と同じようなことをしてしまっています。

歴史は繰り返してしまうものなのですね。

 

戦後、一気に文明が進んでいろんな情報が筒抜けになったことで、ようやくそういう文化が薄れてきて、平和な優しい世界にしよう、ってなってるのはたぶん令和に入ったぐらい。

 

でもそういう時代を過ごしてきた人たちは、いまだに「江戸かよ」って思っちゃうぐらいの残念な振る舞いをしてしまっています。

 

地位や名誉を欲してうまくいってしまった人はそれが当たり前になってしまって、そこから抜け出すことが非常に難しくなっています。

 

地位も名誉も失って「ただの人」になってるのに、「おれを誰だと思ってるんだ」的な態度で振る舞ってしまいます。

 

地位や名誉を与えられたのは、それまでに何かしら実績を残したからで、そのこと自体は素晴らしいことです。

 

でもそこで満足してしまって、そこから先どうするかを考えることをやめてしまっています。

 

乱暴な言い方をすると「過去の栄光にいつまでもしがみついてる人」。

 

たいていそういう人は過去の自慢話しかせず、これから先の未来のことはどうでもいいのか、みじめになるからなのか、あまり話したがりません。

 

そうやってどんどん人から煙たがられる存在になっていきます。

 

そして最終的にまわりには人があまりいなくて、やがて家族だけに看取られる、という孤独な死を迎えてしまいます。

 

個人的には地位とか名誉とかを欲したことは一瞬だけありますが、その時はホントに自分のことしか考えてなくて、まわりの人のことなんかみていませんでした。

そして挫折した途端、見事に自分のまわりから人がいなくなりました。

 

気をつけないと。

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