世の中には地位や名誉を欲しがる人がたくさんいます。
こんな世の中になってもそういう人はまだたぶんたくさんいます。
そんな人たちにスポットライトを当ててみました。
そんなんでも一応同じ人間です。スポットライトを当てることでそういう人たちの気持ちがわかるんじゃね?
と思ったからです。気持ちがわかればそういう人たちの対処法がわかってイヤな思いをすることがなくなるor減少する。
それはつまり、この人間社会を生きていくうえで大いに役に立つーーーー。
そう思ったので深く深く考えてみました。
地位って何?
ウィキペディア先生によると、
社会またはその集団の中での身分あるいは立場、処遇、役割のことである
だそうです。名誉を調べてみると、
良い評判を得ることであり、能力や行為について、すぐれた評価を得ていることを指す。
とありました。
どちらも自分の周りに人がいて初めて成立するもので、仮に世の中に自分1人しか存在しないと仮定した場合、
どちらも何の役にも立ちません。
でも今のところ自分1人しか存在しないなんてことはあまり現実的ではありません。
これらを求めて日々迷走してる人が後を絶たないのはそこに権力と金というおまけがついてくるからですね。
でも残念ながらこの「権力」と「金」も周りに人がいないと 何の役にも立たないものです。

「ブタに真珠」
「ネコに小判」
ということわざがあるように彼ら人間以外の動物においてはこれらのモノは大して意味がないもの。
群れで生活する猿とかは多少あるかもしれないですね。
群れには必ずボスがいてそいつには逆らえない、みたいな。笑
集団で生活するとリーダーみたいな人はいて然るべきなのではないでしょうか。
問題はそいつが偉そうにふるまっちゃうとその集団は消滅する、ということですね。

人間は得てして楽な方向に走る傾向があります。
楽して稼ぎたいし、そっちの方が楽しいに決まってますね。
人には偉そうに振る舞えるし、自分のために勝手にいろいろ動いてくれるんだもの。
こんなに楽で楽しい事はありません。
でもそんな人生が本当に楽しいかどうかはその人によりますよね。
僕はそんな人生はくそくらえです。
さまよえる子羊
今から地位とか名誉とかに走るとどうなるかというお話をします。
僕の昔話で恐縮ですがしばらくおつきあいください。
僕は10代の後半からバンド活動をしていました。
そのバンドは地元ではそこそこ人気のあるバンドになっていました。
そしてその地元には小さな芸能事務所みたいな会社がありました。その会社の人たちと関わっていくといろんなつながりができます。
そしてあるとき、レコード会社の人が関わってくれたりするようになりました。そうなると環境が少し変わって、いつも自分たちで払っていたスタジオ代や、お弁当や飲み物など、あらゆる身の回りの雑務を事務所のスタッフの人たちがしてくれるようになりました。
普段なら絶対に自分たちでしてたことを率先してやってくれていました。
それがある程度の「地位」なんだと僕たちは勘違いしてしまいました。最初はそんな環境の変化に戸惑っていましたがだんだんそれが常態化してくると、
完全に有り難みを忘れてしまっていました。
してもらって当然みたいな空気になっちゃってたわけですね。
それがそういう「『地位』を得た人間の『権力』なんだ」みたいに思ってしまっていました。
正直言ってそんなに大それた事を成し遂げたわけでもなんでもありません。
別にCDがそんなに売れたわけでもないし、ライブの動員数も大した人数呼べたこともない。
いわば実績がなにもない状態です。

それなのに関係者がついてくれた事や、事務所の人たちがそうやって身の回りの雑務をやってくれてる事で有頂天になってしまって、自分たちの真実を見失っていました。
その後バンドはとある理由で解散することになります。
そうなると、何の実績を残したわけでもない人間に残された道は孤独のみでした。
掌を返したかのように相手にされなくなってしまいました。
こんなに恐ろしいことはないな、とあとで痛感しました。ある種の人間不信にまで陥ってしまったので。
完全な自業自得であることは間違いないんですけどね。

堕ちるのはカンタンなこと
今考えるとこの時期にこういう経験をしておいてよかったなと思います。
いや、この程度で済んでよかったというべきか。
もし仮にもっと高い所までいってたら、と思うと怖くて夜も眠れません。
僕はバンドがそうなる前からそういう「地位」とか「名誉」とかが大嫌いな人間だったにも関わらず、知らず知らずのうちに自分がそうなってしまったことに後で気がついて背筋が凍りました。
でもこれを経験した事によって、人間ていう生き物はこんなに簡単に堕落してしまうものなんだということを身をもって経験できたことはなによりも自分の中で財産になっています。
それ以降はそういう匂いがしただけで拒否反応が起こるようになりました。
でもそれをただ単に拒否するのではなく、それすらも受けとめてみんなが喜べる方向に進めていけたらそれがいちばんかっこいいんじゃないかと思えるようになりました。
すべては過去のできごと
「地位」も「名誉」も何の役にも立ちません。
というより、それは所詮過去の実績や功績を周りの人が評価してくれているだけの事であって、言ってしまえば「過去の栄光」です。
「過去の栄光」にとらわれている人間は「未来」をみていないし、「現在」もみていません。
そういう人ってだいたい偉そうに振舞う人多いんですよね。
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だからそれを必死で守ろうとする。そんなの最強にカッコ悪い。
そんな人間は相手すると時間のムダ使いなのでやめときましょう。
でも世の中にはそれを求めて、その為だけに大金をはたいたり、労力を厭わない人も少なからず存在しています。
そんな事にこだわる時間があるなら、その時間を少しでも未来に向けて今自分の為すべき事が何か。
という事を考える方がよっぽど有益な時間だし、何よりそっちの方がカッコイイですね。
カッコイイなと思える人ほど過去の事は忘れていて、「あーそんな事もあったっけかなー。忘れちまったそんな事。ハハハハ」
ぐらいに言ってしまえます。
そんなふうに言える人ってステキだと思います。そんなふうに考えれるようになれば人生が楽しくなってしかたないです。
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