「努力は報われる」
「努力はウソをつかない」
「こんなに頑張ってるのに」
そんなふうに考えてしまったらそれはもう「努力」でもなんでもないです。
それがどこに向かってやってるのか。そんなこともわからずにただやみくもに頑張ったところで報われるはずもありません。
「目標」があってそれに向かって精進して突き進んでいってその結果「目標」にたどり着くことができてはじめて、それを「努力」と呼ぶことができます。
とりあえず動いてみれば何かわかる
遠かろうが近かろうが「目標」というのはある種のゴール地点といえますね。
そのゴールがたとえば「目標」じゃなくて「目的地」だとすると、地図があればあとどれぐらいでたどり着けるかというのはわかります。
スマホという便利なものがあればなおのことあと何キロとか何分とかまで正確に把握できる時代です。
そこにはちゃんと"道しるべ"があるからそれができるんですね。
でも人生においてゴール地点までの道のりには地図もスマホも何もありません。あと何キロでたどり着くのか、この道でちゃんと合ってるのかどうなのか。
"道しるべ"もなにもないからあとどれぐらいでたどり着けるのかが把握することができません。わからないからこそ面白いし、それに向かって一生懸命やるんです。全部わかってたら誰も一生懸命やりません。
でもゴール地点と自分との距離は「今の自分」をちゃんと理解すればなんとなくゴールまではわかるハズです。
その「なんとなく」を「明確」なものにするためにはとりあえず第一歩を踏み出してみることです。
踏み出して足跡をつけてみないと自分の「正確な位置」すらわからない。
自分の正確な位置を理解することができればゴールまでの正しい道筋も少しずつだけど見えてくる。
途中で横道にそれることはあってもたどってきた道がわかっていればすぐに戻ることもできる。
そんなふうに考えると、とりあえず闇雲でもなんでも一歩動き出してみると何かしらわかることがあるはずです。動きもせずにモヤモヤしてるとイヤなイメージばかりが湧いてきて動き出すのが怖くなってしまいます。
ゴールまでの道のりを逆算して考える
道のりがわかればあとはその道をどう進んでいけばゴールにたどり着けるのかを考えるだけです。
道といっても平坦な道とは限らなくて、上り坂もあれば下り坂もあるかもしれない。もしかしたらいくら頑張っても越えられない壁があるかもしれない。
そんな感じでありとあらゆる"困難"がそこら中にあるもんだとシミュレーションしておくと、たどり着いたときに「こんなもんか」と思えることがたくさんあります。高いと思ってた目標が実は実は思ったよりも低かった、みたいな感じです。困難を想定しておくとそれに対してどうするかということも想定できます。
それってすごく大切なことで、いきなり想定外のことが起こると人は脳が止まってしまいます。ヒドイときはパニックになって収拾がつかなくなる。だからできるだけあらゆる困難を想定しておいたほうがいいですね。
それで動きが止まってしまうとまた動き出すまでに時間かかっちゃうから。
ひたすら突き進むのみ
道のりがわかってどう進めがいいのかも考えたらあとはひたすらその道を突き進むだけです。
途中で出くわす"困難"もあらかじめ想定しておいてその都度乗り越えていけば必ずたどり着けます。
昔話を少しだけ。
僕はバンドをやってるときに最初の「ゴールまでの道のり」をちゃんと見極めることができなかったことがあります。
だからいくら努力したところでそれがどこに向かった努力なのかがイマイチよくわかっていませんでした。このときの「努力」というのはひたすら練習していい曲を作って、をがむしゃらにやってただけ。
それを「どうやったら多くの人に届けれるのか」ということをまったく考えずにやっていました。
そりゃ報われるわけないわな。っていうことなんですね。
結果としてバンドはそんなふうに報われない努力ばかりして、それがどこに向かってるかがわからなくなってしまって、空回りしはじめてどんどんモチベーションが下がっていきましたとさ。
そうなると、メンバー間に不穏な空気が流れ始めて結局解散という道に進んでしまいました。
たぶんこれバンドあるあるなんですけど。努力は「ただやれば報われる」というものではなく、それがどこに向かってやってるのかを考えてやらないと、それは「努力」でもなんでもなくなってしまうんだということを教えてくれました。
極端な話、140キロの球を投げたいのに毎日素振りを頑張って3000回やってるようなもんですね。
「イヤイヤ、バット振る練習じゃなくてボール投げる練習しろよ」っていう。
そんな感じです。
王貞治さんが「報われない努力があるとするならまだそれは努力と呼べない」という名言を残しています。正しい道を選ぶことも努力の内で、その道を間違えてしまってもそこからどう修正するかで人生は変わる、ということですよね。
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