絵の勉強をしたい、絵を始めたいと思ってるけど何を勉強すればいいの?
そんなことを考えたとき、絵の勉強ってなんだろう?という疑問が浮かび、そうして深堀りしていったらそもそも勉強ってなんぞや?と、いうところにたどり着いてしまいました。
どうやら「勉強」という言葉のとらえかた次第です。勉強がキライで絵を描いているのに絵まで勉強しないとダメなの?ってなっちゃったら本末転倒です。
勉強という言葉の定義
まず大前提として勉強ってなんぞや?を明確にしてみます。勉強って教科書とか参考書とかから知識を学んでそれを自分に吸収するというイメージがどうも強い気がします。
それもそのはずで、小さいころから学校の先生とか親に勉強しなさいと言われてきた人がほとんどです。
でも絵を描くうえでは、そういう意味での"勉強"ってまったく必要ないんです。
学問での勉強は誰かが定義したものを自分に吸収するということです。
これから絵を始める人にとっては「よくわからない誰かの主張すること」を鵜呑みにすることはむしろ危険な行為です。
もちろん今これを読んでるのもそれにあたります。どこの誰だかわからないヤツにいきなりこんなこと言われて、はいそうですか。とはならないですよね。
それは僕の描いた絵をみて判断してください。
ほえーーーっとなったら先にお進みください。
絵に勉強は必要ない?
こんな絵を描いてみたい!とか絶対にこの人に教わってみたい!みたいなことがない限り、教えを乞う必要はないと思っています。
運よくそんな人に出会ってもその人が自分に合わなければそう思った時点でその人から去るべきです。自分がつぶれます。
僕は独学で絵を学んできたのですが、それは「この人に教わりたい」という人が身近にはいなかったからです。なので仕方なくインターネットをフル活用してひたすら自分で試行錯誤しながら、自分の腕を上げるためにすべきことは何だろう?と毎日毎日考えてきました。
毎日毎日考えても答えは出ません。絵には正解なんてものはありません。ある人にとっては正解でも、また別の人にとっては不正解かもしれないからです。まったく同じ好みの人なんていません。
こうしたらもっと良くなる、と思って取り組んだことがいざやってみると全然ダメ。ほかの「これはダメだろう」と思うような方法で試してみたら案外上手くいった。
こんなことが日常茶飯事です。何が良くて何がダメなのかはそのときによって変わります。
常に向上心を持ってやっていれば人は日々成長するので考えかたも捉えかたも当たり前のように変わります。
「これで完璧だ!」と思う瞬間ももちろんあります。
特に思ってることが上手くいった瞬間なんかは「おれって天才! ?」と思うことも珍しくありません。
でもしばらく時間を置いて見てみると「あれ?なんかおかしい…」ということがたくさんあります。
でもそれは常に進化しているという証です。絵は「これで完璧だ」という概念はないのです。
そう思ってしまったらそこで終わりだからです。そこからの成長は見込めません。
つまりこれが「勉強」です。勉強っていうとイメージがカタいので拒否反応が起こりがちですが、要は常に今の状態から少しでも良くなろうとするか、ということですね。
良くなろうとしてやってみたことで良くない結果が出てしまったとしてもそれは失敗ではなく、その方法ではダメだった、という「経験」が手に入ったということです。それを次に生かしてそこから良くなればいいだけなので何も問題はないですね。
絵は個性が大事
これを読んでいるということは少しでも絵を本格的にやりたいという気持ちがあることと思います。
趣味にしろ、プロとしてやっていくにしろ、絵は個性が何よりも大事なものになります。
でも、「個性」なんてみんな生まれたその瞬間から持っているものです。
人はそれぞれ生まれた環境も育った環境も違います。感じかた、考えかた、何に感動するか、などなど、何もかもがほかの人とまったく同じということはないはずです。つまり、その時点で個性というのは成立しています。個性は出すものではなく、自分で育てるものです。
自分の本当の心の奥底で考えてることが環境によって出せるか出せないかだけの話です。人ってホントに弱い生き物なので、自分の考えを貫ける人ってすごく少ないです。
だいたいの人は「日本の間違った教育」に洗脳されてしまってみんな同じじゃないといけないという風潮に負けてしまいます。それでは個性なんてものはいともカンタンに潰れてしまいます。最近はそんなこともずいぶん減ったなぁと思いますが、それでもやっぱり多いですね。個性がつぶれちゃってる人が。
まわりなんてどうだっていいからいろんなことをたくさん考えて"自分"を少しずつ育てていくことのほうが絵を描くという点においてはものすごく大事なことです。
「自分の考えとか主張を常に前に置いた上で」いろいろ取り入れながら自分を育てていくといいと思います。
遠回りでも、遅くても大丈夫。「自分」を明確にすることのほうが大事なことです。それが個性を育てることにつながります。
関連記事⇒自分にしか描けない「個性的」な絵を描くために必要な3つのこと
絵は習うより慣れろ
絵はいきなり誰かに教わったりするよりもまずは自分で自分なりに描いてみるということが大事なことです。
失敗しても、下手でもなんでもいいです。絵は「習うより慣れろ」です。
いきなりある程度の絵が描けたのならそれは大きな可能性を秘めています。なぜなら、描くことが楽しくなるからです。描こうと思ったものを実際に描いてみて上手くいったら楽しいですよね?その楽しいという感覚がいちばん大事なトコです。
楽しいことはもっと楽しくしたい!と思うのが人間です。
なのでまずは習うことよりも、「描いていて楽しい」という感覚を身につけるのがすごくすごく大事なことだと思います。
楽しくないと続かないっす。なんだかんだ。
僕はいきなりある程度の絵を描けた人間です。だからこそ言いますが、たぶん遺伝的なものもあるんじゃねーかなと。
僕の祖父は水墨画や日本画を描いていた人でした。そういうのが身近にあったので、必然的にそういうところに意識はいったのかなと思います。
でもその当時はそんな意識はまったくなくて、後から考えたらそういうことなのかなと思っただけです。
物心ついたときからすでに絵は描いていたので何よりも絵を描くことの楽しさを感じたくて描いていたのを覚えています。
なのでまずは絵を描くことの楽しさを脳に覚えさせると絵って上手くなります。
ぜったいに。
理論は後からのほうがいい
絵にはいろんな理論があります。パース、縁辺対比、遠近法、、、その他もろもろ。それこそ「お勉強」の領域です。
理論って理解すると表現の幅がものすごーく広がります。「ああ、これがこうなるのはこういうことなのかっ」という発見は理論を勉強すると身につきます。でもいきなり理論から入ってしまうと、頭でっかちになってしまってそれが自分を出すことの弊害になったりします。
バンド時代にそれは痛感しました。専門学校で音楽理論を勉強してるヤツに限って曲作りをするときに理論がどうのこうのとか言ってきたりします。
「そういうことじゃなくて多少理論と違うことをしてたって作品が良くなればそれでいいんじゃないの?」
と思ってました。
絵も同じです。
先に理論を取り入れてしまうとつまらない作品になること多いです。
それよりも理論から外れてようが、自分の思うようにやって「ナニカ」を爆発させることのほうが大事なことです。
作品は自分の写し鏡です。一生懸命全力を尽くして絵を描けばそれは作品に表れます。手を抜いてしまえばそれが作品にも表れます。
ほかの人が見てわからないことでも、自分がそれを知っている限り、ずーーっと自分の中に残るでしょう。
作品にウソはつけません。理論で固めてしまうと作品が理屈っぽくなってしまって人に伝わりにくくなります。最初はね。
自分である程度成長を実感できたときに理論を取り入れるのはむしろ成長を促進させてくれます。これは楽器でもスポーツでもなんでもそうですが、ある程度のところまでいくと理論をフル活用して練習したほうが効率がいいんです。プロ野球選手なんかは専属のトレーナーとかつけてバチバチに理論で固めたりしてます。
絵も同じです。理論を取り入れるタイミングは人それぞれです。
ちょっと成長が横ばいになってきたなーと感じたぐらいがちょうどいいのではないでしょうか。僕はたぶんそんな感じでした。
ひたすら自分の思うがままに描いて描きまくってちょっと行き詰まったときがあったのです。
そんなときにパースとかそういうことを勉強したらそこからまたぐんぐん伸びていきました。
絵の勉強のまとめ
・勉強という言葉の意味
・個性が大事
・習うより慣れろ
・理論は後からでもじゅうぶん
以上のことを踏まえて絵を始めるのがいいかと思います。
作品の中に何を込めるか、それによって何を伝えたいのか、ということが何よりも大事なことです。
お互い頑張りましょう!
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