厳しさにもいろいろありまして。
軍隊のようなほぼイジメに近い厳しさがスタンダードな我が国ニッポンです。
軍隊というと上官が声を荒らげ、偉そうに罵って時には暴力をふるい、場の空気がピーンと張り詰めているあの感じです。
すごく高圧的で人のことを褒めることはあまりせず、ホントに人間か?と疑ってしまうほどの態度で襲いかかってきます。
そういう厳しさっていうのは場を凍りつかせるし、人を萎縮させてしまったり、ホンっトーにプラスの要素が1ミリもありません。
あるのは恨みとか憎しみとかマイナスの要素ばっかり。
かすかに希望を見出すとしたら、ちょっとやそっとじゃくじけないなにクソ根性がつくぐらい。
でもそんなものはあんまり役に立たないというか、そんなやり方しなくても根性ぐらいナンボでもつくわさ、って感じなのです。
いまだにそういう厳しさが横行してるところはいくらでもあって、それを苦に自ら命を落とす人も後を断ちません。
日本の負の遺産です。
社会は厳しいから今のうちに厳しさを味わっとけみたいな感じのことを言う人も少なくありません。
たしかにそういう理不尽なこともたくさんあるのが人間社会ですが、そんな人ばかりじゃないし、むしろ優しい人もたくさんいらっしゃいます。
そういう厳しさじゃなくて、一歩社会に出たらもうそこは弱肉強食の世界で、少しでも怯んだら飲まれてしまうぞ、っていう厳しさです。
厳しさの種類が全然違うので、軍隊ばりのイジメのような厳しさは何の役にもたちません。
むしろそれで心を閉ざしてしまって、それを開くのに時間がかかって人生をムダにしかねません。
そうじゃなくて。
優しさを兼ね備えた厳しさだったらその時はしんどいかもしれないけど、いろんな意味で成長できるし、後で恩を感じたりプラスの要素しかないのです。
たとえばダッシュ100本をやると仮定して。
こんなものは地獄の苦しみでしかないので、これをやるって聞いて嬉しい人なんかたぶんひとりもいないと思うのですが。
これを軍隊のような厳しさでもってやるとしたら、やる目的とかを何も説明せず、竹刀とか持ち出して恐怖で煽ってむりやりやらすみたいな感じになります。そんなことされたら反感しかありません。
ダッシュ100本をヒィヒィ言いながら、やってる最中も怒号の嵐で、やってる側の人間は恐怖と苦痛しかありません。
足がフラフラでボロボロになって見事やり終えたとしても、「この程度で何をそんなにバテとるか!この根性なしが!」みたいなことを言って褒めることなど一切しません。なんならもう50本ぐらい追加させられそうな勢いです。
頑張っても頑張っても何ひとつ認めてくれないので肉体的にも精神的にもボロボロになってしまいます。
反対に。
優しさをもってやってくれるとしたら。
まず最初にダッシュ100本をやる目的をキチンと説明します。
足を鍛えたりメンタルを鍛えたりするために君たちの未来のためにやるんだと。この時に笑いを交えて話してくれたりします。
それを聞いたらまぁなんとなくしゃーねぇか…ぐらいの気持ちにはなります。
イヤだけど。笑
やってる最中も声をかけて応援したりとか常にこちらを気にかけてくれたり、笑いを交えて楽しい雰囲気作りをしてくれるので、なんとか頑張れたりします。
足がフラフラになって終わった後もよく頑張った!と褒めたたえてくれます。
そんなことされたら頑張ってよかった…と、なんか嬉しい気持ちになります。
…とまぁ、こんな感じで、同じダッシュ100本をやるにしても、後者の場合は希望を持てます。
ダッシュ100本を例には出しましたが、何事もそんな感じの和気あいあいとした雰囲気の中でやった方が楽しいし、マイナスの感情が生まれにくいのです。
でもこういうやり方は「ぬるい」とかとらえられてしまうことも少なくないので、あまりやりたがらない人が多いです。
それはたぶん日本の歴史が影響してるものと思われます。
日本は長らく武士が国を治めていて、士農工商の身分制度がありました。
殿様の存在は絶対で、まるで神様かのような扱いです。
ところが多くの殿様は気が短くて度量の小さい人間だったようです。
プライドも中途半端に高くて、すごく偉そうに振舞っていました。なので逆らおうものならすぐに打首、切腹です。
そんなガチガチの体育会系の縦社会の元祖がそこにはあって、まさに軍隊のような文化が今でも至るところで根深く残っています。
こういう文化の特徴は上の人間は威厳をみせようと偉そうにふるまって下の人間をゴミ扱いします。だからイジメが多発するのです。
そして本来の目的を見失ってることが多い。
なのでふざけたり和気あいあいとするなど言語道断の世界です。
最近になってやっとそういうのがよろしくないと気づきはじめた人が増えてはいますが、まだまだ完全に払拭するには時間がかかりそうです。
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